書物蔵

古本オモシロガリズム

エロ本はどこに入るのか

3日午前1時記載。
さっきツイートしたことは、実は金曜に兵務局さん相手に論文の材料とて語ったことがネタになっとんのぢゃ。

読書史を考える時、

教育:教科書、副読本
学問:人文書学術書
仕事:技術書、法令集医書
生活:料理書、大工入門、家庭医学

といった場合わけができるが、エロ本はどこに入るのか、真面目に考えると難しい。

日用品と捉えて、生活場面の家庭医学?
ってか、NDC(日本十進分類)でそうなっとる

正確には、ふつうの公共図書館大学図書館だとエロ本は選書段階でハネられるので、NDC本体に、エロ本の項目がない。

それゆゑ…
特別にエロ本が選書(収集方針とやら)を通って入ってくる国会附属図書館で、
NDC:598.2 結婚医学
に「性に関する雑著は,ここに収める」という適用細則を、1980年代に作ったらしい。

いま手元の7版に細則ないが、9版には本表に載っている。
読書史上、エロ本のことを語るなんて、なんてつまらなくも下品でふまじめなんだろう、ってな価値観を表明する人が、男女ともによくいるが(゜~゜ )
読書のハビトゥスとか、内務省検閲、国会納本など、大きすぎて、長期すぎて、正しすぎて、ふつーの人たちには見えない読書「制度」を見る時に、こういった「極端本」「周縁本」(わちきの造語ね)がどのように扱われるかから、その全体像がわかるんだよ(σ・∀・)
「性に関する雑著は,ここに収める」というNDCの適用細則が1980年代にできたらしいことから、すぐ仮説的に言えることは次のとおり。

悉皆納本を謳っていながら、その頃までエロ本の納本率は極端に低く、逆にそのころ若干の向上を見、適用細則が必要になった。

NDCは学術分類を元にしているため、
そもそも生活に根ざした書店配架分類とかけ離れており、生活書をうまく分類できない。

もう2つも仮説がゲットできちゃった(^-^)

戦前の内務省検閲が、実際にどう運用されていたかを見るには、
「主義書」
「エロ本」
などの極端本や周縁本がどうbanされたかを見ればよい、ということになる、というか、それでしか分からない。

おそらく当時の内務省の図書課員にだって、一般基準、特殊基準などとガイドランを示されていたとはいえ
実際にどの書目がバンされたか、を見ることで、体感的に論理を内面化していくしかなかったんだろうサ(´・ω・)ノ

せどりの超カンタンな通史

オタどんの古本フレンズが、次の本をけふ知恩寺で拾ったとかや(´・ω・)ノ

  • 川下浩ほか編『南天荘書店主人大萩登追悼集』大萩登追悼集刊行会、2001

国会図書館にないレアもの(σ・∀・)


わちきも2011年に話題にしているが、それ以前にたしかゴロウタン探索で岡山市によく行っていた時代に買ったものと思う。
2011年9月の古本フレンズとのメールやりとりで、

> ちなみにたしか
> 南天荘書店主人大萩登はアナーキスト
> 死亡時は大萩登追悼古書市が開催され 、
> 石神井さん出品雑誌を落札、○百万円。
○は引用者伏せ字

などと言及されている。アナキスト古本屋かつ競取師大萩さんについては追悼集を読んでいただくとして、このエントリでは、日本一カンタンなセドリ通史を書いてみん。

セドリは近代書籍流通業成立の先駆け

2019年3月に閉店したマンガ専門小売店コミック高岡のことをオタどんに触発されて調べたら、なんと初期セドリの一人だったことが、反町の「紙魚の昔語り」で判明した(´・ω・)ノ

しかし、今回の調べで一番オドロイタのは、高岡書店の開祖たる高岡安太郎が日本で最初期のセドリだったといふこと(。・_・。)ノ
明治20、30年代に書籍取次(4大、とか5大とかの「おおとりつぎ」)会社が成立する以前の世界では、新刊でも古書でも「セドリ」は店頭品揃えの幅を広げるのに必須の機能だった。そこで出てきたのが「せどり」。
コミック高岡の淵源は、日本最初のセドリ師ぢゃったΣ(゚◇゚;) - 書物蔵

高岡安太郎(1864-?)という人物が大垣から本屋の親戚を頼って1877(明治10)年に上京。1880年に独立して、しばらくセドリをしてお金をため、開いたのが高岡書店だったのだが、要するに、元手が少なくても、お金がすごくたまる仕事がセドリだった。というのも、この明治10年代の日本には書籍取次業(本の問屋)がまだ無い。
本屋は、本の生産(出版の版元)、流通、販売(小売)のぜんぶをやるのが「ほんや」という江戸時代以来の商売方法が続いていた。
けれど、これでは、品切れ絶版でない書籍は、版元の「ほんや」でしか買えない。仲のいい本屋どおして交換することは江戸時代からあったようだがレパートリーが限られる。
それでも江戸時代はまだよかったんよ、新刊がでるペースがものすごく少ないから。ところが、時代は明治になり、新知識が求められるとともに新刊発売ペースが早くなってきた。どーする?どーする!
と、いうことで、元手となる小金をもとに、東京市内の本屋を歩き回り、ある本屋で本を買い、別の本屋でその本を売る、という利ざや稼ぎの競取り師が業者として成立したというわけだった。
ん?(・ω・。) 古本の話ぢゃないぢゃないかってか(σ・∀・)
いやサ、言い忘れてたが「ほんや」というのは江戸時代、当然ごとく古本も扱っていたのであった。新刊書店と古本屋が分離するのは、やはり明治の後半なんよ。「ほんや」は、版元でもあり流通でもあり、小売でもあり、古本屋でもあった。
近年の研究では、江戸期ほんやの起源は、今でいう古本屋であったという説すら提出されておるのぢゃぞ(´・ω・)ノ

  • 江戸の古本屋 : 近世書肆のしごと. 橋口侯之介 著. 平凡社, 2018.12

江戸の古本屋: 近世書肆のしごと

江戸の古本屋: 近世書肆のしごと

話を戻すと、資料的に追っかけられてはいないが、明治初期、初期のせどりは新刊および古本を「ほんや」どうしで交換し合う機能を果たしていた。だからもうかったし何人もいたが、それは論理上、取次業の成立で衰退することになり、古本をメインとした形で残ることになったのだろうと思う。
で、これまた状況証拠しかないが、明治的セドリは一旦、昭和戦時に絶滅したと思われる。というのも。

戦時中、いったん途絶える

谷沢 僕が初めて本に接したのは、大阪の夜店なんです。月に三回くらい夜店が出まして、そこには必ず古本屋が何軒かありました。講談社佐藤紅緑の本なんか、当時一円の本が、安い場合には十銭でした。そして数日後、読んで持って行くと、かなり有利に買ってくれました。だから追い銭をちょっと出すと、次の本と交換できた。そんな形で、もっぱら講談社の少年読物を読んだものでした。
紀田 私の場合も大変良く似ていますね。要するに貸本屋と古本屋が一緒になっているような店が〔略〕
谷沢 その夜店は、昭和十六年ごろになくなりました。そして大阪では、古本屋が全部貸本屋に衣がえして、一切占いで高い保証金で円本を一冊五円くらいで貸すわけです。〔略〕
『読書清談:谷沢永一対談集』潮出版社1984、p.209

上記で谷沢永一が証言しているように、実は日本中(といってよい)の古本屋は戦争期にほとんど貸本屋のようになってしまったのであったから。
大萩登氏のような戦後のせどり師は、戦後経済が復活してから出てきたと思われる。せどり男爵も活躍は昭和戦後期に設定されている。

せどり男爵数奇譚 (ちくま文庫)

せどり男爵数奇譚 (ちくま文庫)

それも1980年代には途絶えて(これはたしか紀田先生が他で書いていた)なくなり、いまのセドラーなる形で復活するのは、ブックオフマケプレが成立してから、ということになる。

コンセプトか物理的現実を規定してきちゃふ

M語録

物理的条件が広告に左右されちゃふ、ってのがいいんだよね。ボクって観念論者だから

Mさんのツイート(´・ω・)ノ


くるみ表紙は「主婦の友」が広告のために開発したのが最初らしい(「広告の誕生」p.150)。
大裏(表4)は飯守勘一「日本広告辞典」にも立項あり。
おかしわ(かしわもち)屋というのは、雑誌を専門に製本する製本屋(「書物語辞典」)。
ところで、新聞紙は製本過程がない。雑誌研究も図書研究も、新聞紙研究を参照して後から

工程上の下流になればなるほど、記録や研究がないが、メディア史研究として最初に成立した新聞メディア研究の、理論的欠落がそのまま盲点となって雑誌メディア史研究、図書メディア研究に引き継がれてしまったのではないか。
とMさんの弁。
わちきはひたすら、ナールホド(・o・;)

新聞史研究上、重要な司書

多田俊五は重要人物(´・ω・)ノ

  • 甦える古版新聞--鈴木コレクション〔国立国会図書館蔵(鈴木秀三郎旧蔵)〕のことなど / 多田 俊五
    掲載誌 日本古書通信 / 日本古書通信社 [編] 37(7) 1972-07-00 p.5~6
  • 整理進む「皆川号外コレクション」 / 多田 俊五
    掲載誌 新聞研究 / 日本新聞協会 [編] (通号 516) 1994-07 p.p56~59

明治期翻訳文学書全集目錄: 明治5年-明治38年 - 45 ページ
https://books.google.co.jp › books
川戶道昭, 榊原貴敎 - 1987 - スニペット表示 - 他の版
川戶道昭, 榊原貴敎 一課長、多田俊五次長、伊藤尚武課長には、種々ご教示賜わったことを記して謝する次第ある。塚瀬剛氏のご配慮に感謝する。撮影困難な本の修理には大竹製本所の大竹博氏の労を煩わした。さらに、坂下精びにお手数をかけた図書課の ...

榊原貴敎はナダ書房の社長さん。翻訳の歴史とかやってたけど、この前なくなったね。


鳴海文庫は古本屋。きちんとした目録をだしていたとか。
大空社の企画でしっかりした企画は榊原さんが立てていたという。大空社のPR誌「大空」は榊原さん、というかナダ出版センター編集だったとかや。

坊ちゃんの時代を久しぶりに


久しぶりに読んだ。10年ぶりぐらいか?
それはそうと、石川啄木が「主義書」をミルクホールで読む場面がある。んでもって、そのミルクホールは警察が主義者を見つけるために経営しているというもの。このマンガはほとんど典拠があるだろうから、手かがりになるなぁ。
ミルクホール(軽食屋)と新聞縦覧所は、明治末あたりから「出会い系」になっていた話は、専門家はみな知っていることで。

藤田節子『本の索引の作り方』は出版関係者には基本書になるのでは

忙しいので、楽しみにしていた次の本をあらあら読了す

  • 本の索引の作り方 / 藤田 節子. 地人書館, 2019.10

とてもよい本で、本作りをする人はすべからく読むべし、という結論になるが、実際に本の索引づくりで苦労した経験が複数回あるわちきならではの批評をば。
実際のインデクシングで一番、重要かつ困る(というか迷う)のは、p.117にある「オーバーインデクシング」か「アンダーインデクシング」に陥ること。つまり、索引後(見出し語)を多く取りすぎたり、少なくしかとらなかったりすること。それを避けるためのガイドラインについて、本文量との対比(p.106)やノイズ語(「付随的な語」p.115)の不採録などで示されているが、これではちょっと足りないと思う。そんなことはそもそも不可能ごとだとの記述も本書に(ページメモし忘れた)あったが、そこをなんとか言語化してほしいところである。

昨今、原稿作成にPCを使うのがデフォになり、そのせいだろう学術書ではようやく「事項索引」がつき始めたが、概念索引法でなく、自動索引的なオーバーインデクシングなどが散見されるので、出版関係者はこの本を読むとよいだろう。というか、巻末索引の作り方の本って、これしか日本にないのでは(σ・∀・)