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■語誌の見つけ方3 専門論文DBを工夫して引く
 「読む」などがそうだが、専門的・学問的な論文題目においても「○○を読む」といった形で、論文の主題でないのに、論題中に「よむ」が出てきてしまう。

将門塚

今日は将門塚近辺で収録の日。
初めていくビルヂングでやるのぢゃ。
ここだらうとてエイヤッと右折したら隣のビルだった(^_^;
親切な警備員さんに、そのまま裏から回れますよと言われ回る。なんと迎えに出てくれていた。
ゲートを入って上がると待合室へ。なんと議員先生がいて(・o・)びっくり。でも一緒に出るんぢゃなくってホッ。
会場ではビヤビヤとライトが。うーむ、慣れぬのぅ。
けど司会がさすがプロ、ぶっつけ本番なのに滞りなく収録できた。
早めに終わったので古書展へ行こうとて神保町へ行ったら、やってない(´・ω・`)
せうがないので友人の会社へ寄る。執筆依頼した先生がたまたま来ていたので新聞紙書誌学について議論。

「よむ」の語誌

「よむ」というと、何をよむか、となり、そりゃあ現在では、テキストを、ということになるだろう。
テキストを読むことを、漢語で「読書」というしね。
しかし、やまとことのはたる「よむ」は、もともとテキストがやまとのくににない時代からあった動詞なわけである。
ということから「よむ」の語誌文献を調べてみたところ、9件ほど見つかったのだが。
ちょっと問題なのは、9件のうちいちばん面白い議論を展開している兵藤裕己説(1990)が語誌の専門書誌や、汎用雑誌記事索引で見つけられないことである。
ん? なんでわちきがそんなもんを知っているのかってか?
魔人ぢゃよ。文献魔人に教えてもらったのぢゃよ。それはともかく。
本居宣長以来「よむ」はもともと物を声を出して数えることだということになっているんだ。「月読みのミコト」という神様の名前、それが文字のない時代によむが使われている例なんで、月齢を声を出して数えるということになっている。宣長はさらにテキストを声を出して読むのもよむなのだという。うたをよむってのも、心の中に出来上がったテキストを読み上げているのだと。
しかし、兵藤説だと同じ月をよむんでも、数えるのではなくて、もっと解釈するというか、少なくとも声を出して数えるという意味がコアでないという解釈がなりたつという。「太平記読み」なんていう用例があるように、テキストがない物語を口演するようなものでも「よむ」というのは、確定されたテキストがあるんではなくて、太平記のお題がアタマんなかにあって、それを敷衍、解釈、講釈しているのではないかと。宣長「よむ」解釈は兵藤にいわせると、あまりに近世的(江戸時代、つまり同時代)ではないかと。
ことの当否は古代中世の用例の解釈が妥当かどうか、日本語学で誰か論文書いてほしい。

敷衍すると

兵藤のいう「題目」はまさに図書館情報学にいう「主題」にあたるなぁと、森さんが座談会で雑誌特集の特集はまさに単行本の主題のようなものなのだ、と連呼しているのを読んで気づいた。
もちろん「太平記よみ」の場合、お題があってそこから敷衍して、ことばが紡がれるわけだが、逆に関連する論文を集めて成立するのがお題、というか主題なわけで、ベクトルは逆さだが、構造は同じ。
うたをよむ、というのも、心ん中に出来上がったテキストをよみあげているのではなく、心ん中に出来上がったイメージを講釈していると考えたほうが自然。

追記

29夜、森さんとこの件で長電話。兵藤は中世文学研究で、『万葉語誌』の古代文学研究とそこが色合いの違いが出ているのだろうと。
そも江戸時代の本居宣長は、近世という後の時代からさかのぼって古代に聖書としての古事記を設定した。そしてそれを定まったテキストとして読解することで国学なる知識体系を創ったわけで。けれど、歴史的事実を見れば、古事記はむしろ中世で忘れられていたうえに、古代においてはまさに口承から適宜、テキスト化され編纂されたもの(たしか稗田阿礼がなんとかかんとか)。それを定まりたるテキスト扱いにする、というのにそもそもの無理ないし間違いがあるわけだが、そこがそれ国学イデオロギーなわけである。宣長は漢語を分析枠組みにつかうとてっきりカラゴコロに陥るぐらいのことを言っているが、あまり宣長に依りすぎても、国学イデオロギーに陥るというところか。

小松まで乗った際、レモンジュースお代わりを

横になったらつい寝入ってしまい、朝方3時半に気づく。二度寝しようとて飛び飛びに寝ていたが、8時に朝食とて会場へ。
会場へ行ったらその時間はわちき一人しかおらず、給仕してもらいつつ一人で飯。調子に乗ってご飯のお代わりをたのんだら「どれくらい?」と聞かれので「最初と同じくらい」とたのんだら「はい」と。やや多めだった。サービス? 給仕さんかわいい人だったなぁ。
それから部屋にこもって予習。いちおう請負仕事があるので。
予習しながらふと、昨日休みだった古本屋に行こうかと欲がでる。ネットではいまいちよくわからない。ってか昨日、直接行ってもわからんかったんだけどね。
電話したらやっているので来てよいとのこと。宿にタクシーを呼んでもらい、しばらく待つ。待っている間、女将と話したらこの宿は明治年間創業とのこと。図書室の本を集めたご主人は昨年逝去されたとのこと。タクシーが来たので乗り込み、10分ほどで着く。昨日わちきが自転車で通ったみちとまったく同じルートなり。
ついたら、なんとご主人は40年前雄松堂に勤めていたのだとか。要するにここは資料モノの専門店(特に会計学)で店舗でなく事務所兼書庫なのであった。
身分をあかして書誌ものを集めていると言ったら書庫内のそれの置き場へ案内してくれたので、資料ものを掘り出す。県立図書館の月報そろいなり。ニャハハ掘り出しなり。
こういったものは古本屋でもあまり扱わないとのこと。ほかに文庫活動の年史なども掘り出して、しめて二万八千円のところ二万三千円に負けてくれた。
○○館へ行かねば、ついてはタクシーを呼ばねば〜と言ったら、にゃんとクルマで送ってくれるよし。本も買ったのでつい甘えてしまう。行きがてら昭和40年代、ご主人が青学の学生をしていた時代の下宿ばなしを聞く。昨日といい、ここはお国を何百里〜なのに、なぜだか東京の話になるなぁ。

会場では喫茶店があったので、そこにしけこんでアイスコーヒーを飲みながら予習す。あとで2Fのフロアに上がったら、なんとプラモデル完成品の展示会が行われていたが、お仕事があるのでざっと見しただけだった。プラモデルなんて見るの久しぶりなり。
お仕事は途中でスタミナ切れでやや平板になってしまった。失敗ではないが。
その後でどうしようかと思ったら、主催者が館へどうぞ、というので甘えてクルマで連れて行ってもらう。空港行きのバスも近場から乗れるとのこと。車中では宿のなき主人が文化人で名物だったという話を聞く。ある種の地方文人というのがいたんだなぁ…。
そちらへ行って、一通り見学させてもらう。勉強になる。かつて務めていた東京本館の本館と雰囲気がそっくり。昭和30年代ですなぁ。永遠の昭和ぢゃ。
って、全てがおわりバス停で待っていたがなかなか来ない。地方でも渋滞は発生するのね。
アテンドが苦労して飲み物を配るのを見ていたら、幼少のみぎり、たしかANAの727だったかに小松まで乗った際、レモンジュースを飲みさらにお代わりを所望したことを思い出す。森さんに懐かしがり病だからと言われちゃうなぁ。機内アナウンスでおかわりが欲しい人はどうぞ、というのを聞いてそんなことを思い出した。
機中で日記かこつう原稿を書こうと思ったが、存外に書けず、日記の一部のみ。それに上昇時、下降時はテーブルって使えないのね。知らんかった。移動中に執筆するなら新しい幹線のほうがよいねぇ。
帰りは筋斗雲およびGoogleマップの提案を退け、一番合理的な航路にて30分ほどで帰る。1日のP3代金は三千円ほど。かように港へ乗り付けてお仕事とは1970年代に聞いたアメリカ人の生活みたいだなぁと思う。

首都高は危ないよ


七時、はたと起きる。目覚ましがその後になりだしたので止めるが、起き出したのは7:20だった(^_^;)
トーストを焼いてバターを溶かす。その間にメープルくんにチュールをあげる。
本を用意したりしているうちに8:00になりてヤバシとて出撃。途中、右折車線が全然進まんので諦めて左折へ移りて進みしところ、トラックとタクシーが思い切りぶつかっているのを見て、さてこそ怪我の功名なるかなと安堵す。すくなくとも飛行場までの安全をばこいねがう。
飛行場では相変わらずわけわからんグルグル道。これ、一発で目的地へいける人っていないのではといぶかしく思う。
グルグルしてP3へ入るも、これまたどこも満で最上階へ行けぐらいのことが表示。なれど、少数各階へ入っていく筋斗雲を見つけたれば「はは~ん、さういふことかぁ」と気付き、最上階の下6Fへ入ると案の定、ごくわずかだが空きが発生していることがわかり、そこへ滑り込む。
エレベーターで4Fへ移動し、ステンショへ。そこでアテンドさんに、500番台はさきにバスにのるのかと聞いたら、入ってからバスなのだと案内さる。さればこそ身体検査へ突撃す。とどこおりなく突破し、しばらくまちてリムジンバスにて東亜国内航空へ乗り込む。
最初は物珍しく、1時間ほど自分ちはあそこだなぁと感慨深く見ていたが、さすがに途中であいていたところ、高度をさげつつ雲中を突破して目的地へ着陸。
スマホにお伺いをたてたところバスに乗れとのことだったので、言われるまま乗りかつ降り、県立図書館の南で弁当を使う。
おにぎりを食べてから視察とて県立を見学。それからお宿へ。お宿ではいろいろ親切な指南をうく。特に良かったのが、こおで二輪車を借りれたこと。これにて全市内古本行脚をすることにす。
最初の店は残念、閉店?していたのでブックオフへ。1冊、湯浅先生の電子図書本を買う。しかし、かようなところまできて東京産品を買うのもいかがなものか、などと思いつつ、それでも買う。
市立図書館へかっとばしたら、こちらもなんと閉店日。せんかたなしとて、次の古本屋へ。
そこへ行くと常連とおぼしきおぢさんが延々と何やら店員に話している。空いたを津をして入る。むかしの値段を踏襲しているようであったが、ここで『佐賀県立図書館60年史』をゲット。その勢いで南のブックオフに行き、こちらでは都立のビジネス支援連がJLAから20年前にだした調べ方本をゲット。って、この本知らんかったのはなぜだろう。
晩飯は宿で聞いた近場の店へ。そこの店長さんと首都高は危なくってイケねぇ、ってな話で一致。

早稲田から広尾へ

早稲田で古本を売っているとかで、そちらへ行く。


東京堂へ寄って帰ろうかと思ったが途中、ふと、都立図書館ならやってるかしらとて、そちらへ。
連載用のコピーなどす。永田町でもできるんだが、今日、あそこは休みなんでね。
その後、アップルパイを食べて、帰る。