書物蔵

古本オモシロガリズム

小松まで乗った際、レモンジュースお代わりを

横になったらつい寝入ってしまい、朝方3時半に気づく。二度寝しようとて飛び飛びに寝ていたが、8時に朝食とて会場へ。
会場へ行ったらその時間はわちき一人しかおらず、給仕してもらいつつ一人で飯。調子に乗ってご飯のお代わりをたのんだら「どれくらい?」と聞かれので「最初と同じくらい」とたのんだら「はい」と。やや多めだった。サービス? 給仕さんかわいい人だったなぁ。
それから部屋にこもって予習。いちおう請負仕事があるので。
予習しながらふと、昨日休みだった古本屋に行こうかと欲がでる。ネットではいまいちよくわからない。ってか昨日、直接行ってもわからんかったんだけどね。
電話したらやっているので来てよいとのこと。宿にタクシーを呼んでもらい、しばらく待つ。待っている間、女将と話したらこの宿は明治年間創業とのこと。図書室の本を集めたご主人は昨年逝去されたとのこと。タクシーが来たので乗り込み、10分ほどで着く。昨日わちきが自転車で通ったみちとまったく同じルートなり。
ついたら、なんとご主人は40年前雄松堂に勤めていたのだとか。要するにここは資料モノの専門店(特に会計学)で店舗でなく事務所兼書庫なのであった。
身分をあかして書誌ものを集めていると言ったら書庫内のそれの置き場へ案内してくれたので、資料ものを掘り出す。県立図書館の月報そろいなり。ニャハハ掘り出しなり。
こういったものは古本屋でもあまり扱わないとのこと。ほかに文庫活動の年史なども掘り出して、しめて二万八千円のところ二万三千円に負けてくれた。
○○館へ行かねば、ついてはタクシーを呼ばねば〜と言ったら、にゃんとクルマで送ってくれるよし。本も買ったのでつい甘えてしまう。行きがてら昭和40年代、ご主人が青学の学生をしていた時代の下宿ばなしを聞く。昨日といい、ここはお国を何百里〜なのに、なぜだか東京の話になるなぁ。

会場では喫茶店があったので、そこにしけこんでアイスコーヒーを飲みながら予習す。あとで2Fのフロアに上がったら、なんとプラモデル完成品の展示会が行われていたが、お仕事があるのでざっと見しただけだった。プラモデルなんて見るの久しぶりなり。
お仕事は途中でスタミナ切れでやや平板になってしまった。失敗ではないが。
その後でどうしようかと思ったら、主催者が館へどうぞ、というので甘えてクルマで連れて行ってもらう。空港行きのバスも近場から乗れるとのこと。車中では宿のなき主人が文化人で名物だったという話を聞く。ある種の地方文人というのがいたんだなぁ…。
そちらへ行って、一通り見学させてもらう。勉強になる。かつて務めていた東京本館の本館と雰囲気がそっくり。昭和30年代ですなぁ。永遠の昭和ぢゃ。
って、全てがおわりバス停で待っていたがなかなか来ない。地方でも渋滞は発生するのね。
アテンドが苦労して飲み物を配るのを見ていたら、幼少のみぎり、たしかANAの727だったかに小松まで乗った際、レモンジュースを飲みさらにお代わりを所望したことを思い出す。森さんに懐かしがり病だからと言われちゃうなぁ。機内アナウンスでおかわりが欲しい人はどうぞ、というのを聞いてそんなことを思い出した。
機中で日記かこつう原稿を書こうと思ったが、存外に書けず、日記の一部のみ。それに上昇時、下降時はテーブルって使えないのね。知らんかった。移動中に執筆するなら新しい幹線のほうがよいねぇ。
帰りは筋斗雲およびGoogleマップの提案を退け、一番合理的な航路にて30分ほどで帰る。1日のP3代金は三千円ほど。かように港へ乗り付けてお仕事とは1970年代に聞いたアメリカ人の生活みたいだなぁと思う。

首都高は危ないよ


七時、はたと起きる。目覚ましがその後になりだしたので止めるが、起き出したのは7:20だった(^_^;)
トーストを焼いてバターを溶かす。その間にメープルくんにチュールをあげる。
本を用意したりしているうちに8:00になりてヤバシとて出撃。途中、右折車線が全然進まんので諦めて左折へ移りて進みしところ、トラックとタクシーが思い切りぶつかっているのを見て、さてこそ怪我の功名なるかなと安堵す。すくなくとも飛行場までの安全をばこいねがう。
飛行場では相変わらずわけわからんグルグル道。これ、一発で目的地へいける人っていないのではといぶかしく思う。
グルグルしてP3へ入るも、これまたどこも満で最上階へ行けぐらいのことが表示。なれど、少数各階へ入っていく筋斗雲を見つけたれば「はは~ん、さういふことかぁ」と気付き、最上階の下6Fへ入ると案の定、ごくわずかだが空きが発生していることがわかり、そこへ滑り込む。
エレベーターで4Fへ移動し、ステンショへ。そこでアテンドさんに、500番台はさきにバスにのるのかと聞いたら、入ってからバスなのだと案内さる。さればこそ身体検査へ突撃す。とどこおりなく突破し、しばらくまちてリムジンバスにて東亜国内航空へ乗り込む。
最初は物珍しく、1時間ほど自分ちはあそこだなぁと感慨深く見ていたが、さすがに途中であいていたところ、高度をさげつつ雲中を突破して目的地へ着陸。
スマホにお伺いをたてたところバスに乗れとのことだったので、言われるまま乗りかつ降り、県立図書館の南で弁当を使う。
おにぎりを食べてから視察とて県立を見学。それからお宿へ。お宿ではいろいろ親切な指南をうく。特に良かったのが、こおで二輪車を借りれたこと。これにて全市内古本行脚をすることにす。
最初の店は残念、閉店?していたのでブックオフへ。1冊、湯浅先生の電子図書本を買う。しかし、かようなところまできて東京産品を買うのもいかがなものか、などと思いつつ、それでも買う。
市立図書館へかっとばしたら、こちらもなんと閉店日。せんかたなしとて、次の古本屋へ。
そこへ行くと常連とおぼしきおぢさんが延々と何やら店員に話している。空いたを津をして入る。むかしの値段を踏襲しているようであったが、ここで『佐賀県立図書館60年史』をゲット。その勢いで南のブックオフに行き、こちらでは都立のビジネス支援連がJLAから20年前にだした調べ方本をゲット。って、この本知らんかったのはなぜだろう。
晩飯は宿で聞いた近場の店へ。そこの店長さんと首都高は危なくってイケねぇ、ってな話で一致。

早稲田から広尾へ

早稲田で古本を売っているとかで、そちらへ行く。


東京堂へ寄って帰ろうかと思ったが途中、ふと、都立図書館ならやってるかしらとて、そちらへ。
連載用のコピーなどす。永田町でもできるんだが、今日、あそこは休みなんでね。
その後、アップルパイを食べて、帰る。

光が丘は元、首都防空用の陸軍飛行場だったらしい

早朝の夢は、お店の謝恩セールの夢。
だいたいはけたと店の品物のほとんどがなくなっていたが、いや、3Fにまだあるでしょうと駆け上がってみたら、そちらも売れていたという。
これは願望なのかなんなのか。
しばらく行ってなかったので妙に食べたくなり、森さんと東京ぐれっちへ。
大盛りを頼んでしまう、いつもの美味しさ。
光が丘で古本市をやっているのでそちらへ向かう。相変わらず、光が丘ってだだっ広くて不思議なとこだねぇ。
昔、ここのホテルで起きたことを思い出す。


ちょっとばかり拾い、そのまま古本御殿へ移動。森さんを動員して古本の移動をする。
ちょっと働いてもらったので飲みに行こうと、いつもの鳥屋さんへ行ったら、なんと休み。しょうがないのでいつもの場所へ移動し、2Fの飲み屋で飲み。

タコ焼きパーティーの前にシンクロニシティ

ふと、タコ焼きパーティーをしよう、ということになり、某所OZEKIでタコを買って積み込み、某所へ向かう。
途中、首都高でいきなり渋滞が発生していたので直前に降り、そうだ高円寺に寄るべし、とて大久保通りを進みて会館へ。
ビーン、やってない……。
しおしおとパーティー会場へ着く。
でも時間あるよね、とていつもの均一へ行くと、なにやらしごく熱心に均一台をあさっている青年がいる。よくよくみると……。
にゃだ! 兵務局さんじゃありませんか!


ということでワープロ関係書をゆずってもらう。
しばらく均一前で立ち話ならぬ座り話。彼はちょうどわちきに「向きのもの」が出ているとDMせんとしてたところとかで、しきりに偶然に驚いていた。
それから分かれて一日の均一をちぇっくし、ビッグイシュー発行者の本をゲット。
パーティー会場にもどりタコ焼きパーティーを開催しましたよ。

ち、ちかれた……それで忘れ物


二日目。前日に攻略法を考えて、実は以前、週末展に行くのにたまに使っていた旧主婦の友社を使えばよいとわかり、そこへ進撃す。久しぶりに行ったが朝8時段階で結構埋まっていた。さすが都心というところか。
前日うまく行き過ぎたせいか、内容の時代が下ってきたせいか、ややテンション下がり気味。なれど、昼に持参のおにぎり2個を控室でひとりで食べ、なんとか最後の監督までやりきる。しかしアウェイでおにぎりなんて、小学校の運動会以来ではあるまいか。
式に出る元気がなくそのまま帰るが(あとで、ちょっと出るべきだったかもと反省)、目覚まし時計を忘れて事務局から呼び戻されるという一幕も。やはり疲れていたのか……(あとでさらにメモリスティックを忘れていたと連絡あり)。
帰り主婦の友からKさんに飲もうよと架電するも、もはや帰宅済みとてMさんを古本御殿に呼び出し飲むことにす。
帰りていつものところで飲み。
帝国政府は明治初年を除き一貫して(公共)図書館的なものに冷淡であったが、学校教育には金を出し、特に帝国大学についてはそうだったので、帝大附属図書館は明治期からそれなりだったというご指摘。そうなんだよね。明治期の図書館史を書く際に、素人段階での目くらましになっちゃうのがそれ。そういや明治初期定訳「書籍館」が「図書館」に切り替わったきっかけも、帝大の図書館がメディアテークになったからだったんだった。Mさんと話すといつも啓発されるなぁ……とぼんやりと考えたことだった。