書物蔵

古本オモシロガリズム

高等貸本屋(新式貸本屋)は共益貸本社が最初?

『東京百事便』を見ると、共益貸本会社(京橋区三十間堀一丁目)が「府下に於て内外書の貸与を初めしは此社を以て嚆矢とす」としてる。 

前日のM語録

18世紀末、出版物の大量生産が始まり、大衆も本を読むという読書革命が始まる。精読から散読(≒多読)へ。
相対的に知的優位を脅かされたブルジョワは出版物を蓄積する手法で知的優位を保とうとする。蓄積、つまり書斎。生産量の拡大、精読から散読、という同じ読書革命の元でも、出版物をフローとしてしか接することができない階層が、知的下層に止まり、ストック化できる階層が上層。

なるへそぉ。
しかし一歩論をすすめると、そのストックをストックしっぱなしで顕示的に消費するのでなく、適切な排列でのストック化でリファー(つまりストックを随時フロー化)することができることが、本当の知的上層だったのでは、と言いたくなるね(o^ー')b
まだ読んでない「情報爆発」あたりに書いてありそうな気もするが。
ストックのフロー化は、出版物においては、ライブラリにおけるレファレンス、という具体になるのでありはしないか(σ・∀・)

抜き刷りの歴史

森さん曰く

前近代抜き刷り 謡曲の自分のパートだけ

近代抜き刷りは雑誌がでてから

新聞の抜き刷りはない。

岡書院、清野謙次 抜き刷り自体を閉じて出版した。人類学論文抜き刷り集。目次はつける。後尾に古書店が広告。

コピー機のない時代、抜き刷りは、名刺以上の実用的機能があった。

岩波講座はそれ? しかし証言が公館されたものでない。

甲寅叢書、大正3 最近、厚くしないと本が出ないから

アニメ『赤毛のアン』(1979年)を見る

先週末からネットにある英語字幕版を50話分続けてみる。
本放送時に見た後で、大学時代に高校時代の友人からレコードをもらったことを思い出す。ってか、あのレコードどこへいっちゃったかなぁ。そのレコードは、もうひと昔以上前、もう亡くなった同僚にCDへ焼いてもらったなぁ(*゜-゜) 職場に独自にターンテーブルなんかを持ち込んでた機械オタクの人で、この人が、日販トーハンの切り替えで納本漏れになる本を児童的に判明させるシステムを個人で(!)作った人だった。
今見ると、アンが途中で美人さんになっていくところも好きだったんだなぁ。
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「でもあのアンの顔を見ると、やはりぎょっとする」と言ったんです(笑)。
 あれは、僕が彼に必死であの顔にしてもらったわけです。つまり、骸骨のように痩せてて、目だけ大きくて、そばかすで、隣人のリンド夫人に「凄い子だねえ」と言われるような変な女の子の顔でなけりゃならない。それでいてどこか不思議な魅力もあり、骨格としては将来は美人になる顔でなくてはならないわけです。たいへんな注文ですよね(笑)。でもちゃんと、あのシリーズを見ていると、だんだん美人になっていくでしょう。
映画『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』公式サイト - 高畑勲監督

美人アンの顔を見ていると、むかしお救い申し上げた元係長の顔が思い出される(゜~゜ )
ダイアナの妹ミニーメイが幼少時の顔が、死んだ妹が小さかった頃に似ている、と当時思ったことも思い出したよ(´・ω・)ノ
それから新潮文庫でアンシリーズを全部買って読んだなぁ… 今、持っていないことから、おそらく最初に家を出る段階で古本屋に売ってしまったんだろうと思う。

いつもの飲み会で

森さんの話

科学史
インターナルアプローチ(内在的)
エクスターナル(外部要因、社会論)

村主 朋英 雰囲気として情報史ということば

写生文 柳田にいわせれば、それまで文章化できなかったことをかけるようにした文体、事実を写すことよりも思考過程を記述できるようになった

官庁に潜む畸人文化人

旧制高校教養主義のおかげで、官庁の周辺が知識の吹き溜まり
桃太郎主義←「あれはホンモノだ」

最後の押印は「21.2.7」あたり:内務省が納本を諦めた時期について

これは隠し球にとっておいたんぢゃが、手許の古本を見るに、内務省受付印がある戦後出版物を一つ持っている。
実はこれ、あるシリーズのひとつで、一括して古書展で売られていたもの。このシリーズ一括で出てたところがミソで。
いちばん遅い日付のものを買ったのぢゃ。
ということで、状況証拠から、昭和21年2月あたりに、届出・納本を、内務省側がやめたということがわかる。
オタどんに、2月あたりに何があったかわかるか聞いてみるかぁ。

同じ文章を実務から読むと…カストリ雑誌は無届出版だった

昭和20、21年で、納本の制度史的な結論は出たんだけれど、添田の日記は、もっと納本実務としても読める。
添田がどうやって「図書係」の席へ行き着いたか。
まず「内務省の正面中央廊下を教へられた通りゆく。部屋がない。うろうろしてから、」とあるのだから、誰かに事前に図書係の部屋を教えてもらっていたわけだ。ここでは図書係員の杉崎としてよいだろう。なおかつ、添田自身は内務省ビルビルに入ったのは書き振りからいって。初めてだったろう、
「正面中央廊下を」とあるから、おそらく入ったのは(東の)正面入り口。この入り口から入って「うろうろ」するということから、杉崎が添田に教えた居室は、1F廊下つきあたり右の「検閲事務室」だった可能性だ大きい(次エントリ図を参照)。
https://shomotsugura.hatenablog.com/entry/20150301/p1
ところが「部屋がない」わけで。おそらく9月に検閲が廃止されて以降、添田がたずねた12月に割合と近いタイミングで部屋が移転したものと思われる。実際、貼り紙「納本は四階南奥」が、おそらく元検閲事務室前の廊下に貼ってあったことからも言える。
図書課が、係にまで縮小され、どうやら定員も杉崎以外に2人しか見当たらなかったというのも、もちろん検閲作業の廃止が大きかったろうが、同時に、納本数の激減を思わせる。また納本受付窓口が1Fでなく、4Fまで外部者を歩かせる、というのも、同様である。納本者が引きも切らない時代は入り口受付で納本も受け付けていたというのが上記エントリでのわちきの説。
「近頃の出版に何かめぼしい物ありやときけば、ちっとも納本しないからわからぬといふ。」これは逆に言うと、納本率が高い時代、敗戦までは、出版物にめぼしいものがあるかどうか、図書課員ならわかったし、なおかつ添田もそういうものとして杉崎を遇している。それが出版社の納本不履行(=無届出版)によって、「わからぬ」ことになっちゃった。ただ、それを添田は「面白い」と評価しているのは彼がアナーキスト流れだからだろう。
「有楽町の売店に並ぶ際物筍雑誌色々並んでるのをみて、」たけのこ雑誌、という言い方は初めて見たが、どうやら実際にあった表現らしい。際物出版というのも、戦前からの用語。カストリ雑誌という表現がまだない時に、「筍雑誌」という表現と「際物出版」という表現をあわせて「きわもの・たけのこざっし」と表現したのだろうね。
「これが何も納本して来ないからな、と淋しさうに洩らした」図書係員が現認しているのに、サンクションを発揮できないものだから「淋しそうに洩ら」すしかできないのであった。

カストリ雑誌はほぼ無届出版だった

昔からカストリ雑誌は納本されていたのか否かについて疑問だったが、今回、オタどんの証言発掘によってほぼわかった。
要するに少なくとも内務省には納本されていなかった(GHQは要調査)。肝心の図書係が同時代にそう証言しているよ、と言えるわけである。