書物蔵

古本オモシロガリズム

同じ文章を実務から読むと…カストリ雑誌は無届出版だった

昭和20、21年で、納本の制度史的な結論は出たんだけれど、添田の日記は、もっと納本実務としても読める。
添田がどうやって「図書係」の席へ行き着いたか。
まず「内務省の正面中央廊下を教へられた通りゆく。部屋がない。うろうろしてから、」とあるのだから、誰かに事前に図書係の部屋を教えてもらっていたわけだ。ここでは図書係員の杉崎としてよいだろう。なおかつ、添田自身は内務省ビルビルに入ったのは書き振りからいって。初めてだったろう、
「正面中央廊下を」とあるから、おそらく入ったのは(東の)正面入り口。この入り口から入って「うろうろ」するということから、杉崎が添田に教えた居室は、1F廊下つきあたり右の「検閲事務室」だった可能性だ大きい(次エントリ図を参照)。
https://shomotsugura.hatenablog.com/entry/20150301/p1
ところが「部屋がない」わけで。おそらく9月に検閲が廃止されて以降、添田がたずねた12月に割合と近いタイミングで部屋が移転したものと思われる。実際、貼り紙「納本は四階南奥」が、おそらく元検閲事務室前の廊下に貼ってあったことからも言える。
図書課が、係にまで縮小され、どうやら定員も杉崎以外に2人しか見当たらなかったというのも、もちろん検閲作業の廃止が大きかったろうが、同時に、納本数の激減を思わせる。また納本受付窓口が1Fでなく、4Fまで外部者を歩かせる、というのも、同様である。納本者が引きも切らない時代は入り口受付で納本も受け付けていたというのが上記エントリでのわちきの説。
「近頃の出版に何かめぼしい物ありやときけば、ちっとも納本しないからわからぬといふ。」これは逆に言うと、納本率が高い時代、敗戦までは、出版物にめぼしいものがあるかどうか、図書課員ならわかったし、なおかつ添田もそういうものとして杉崎を遇している。それが出版社の納本不履行(=無届出版)によって、「わからぬ」ことになっちゃった。ただ、それを添田は「面白い」と評価しているのは彼がアナーキスト流れだからだろう。
「有楽町の売店に並ぶ際物筍雑誌色々並んでるのをみて、」たけのこ雑誌、という言い方は初めて見たが、どうやら実際にあった表現らしい。際物出版というのも、戦前からの用語。カストリ雑誌という表現がまだない時に、「筍雑誌」という表現と「際物出版」という表現をあわせて「きわもの・たけのこざっし」と表現したのだろうね。
「これが何も納本して来ないからな、と淋しさうに洩らした」図書係員が現認しているのに、サンクションを発揮できないものだから「淋しそうに洩ら」すしかできないのであった。

カストリ雑誌はほぼ無届出版だった

昔からカストリ雑誌は納本されていたのか否かについて疑問だったが、今回、オタどんの証言発掘によってほぼわかった。
要するに少なくとも内務省には納本されていなかった(GHQは要調査)。肝心の図書係が同時代にそう証言しているよ、と言えるわけである。