書物蔵

古本オモシロガリズム

コミック高岡の淵源は、日本最初のセドリ師ぢゃったΣ(゚◇゚;) 

オタどんが、軽く調べて、「「高岡本店」ではなく「高岡書店」が正しいようだ」としたのだが、https://jyunku.hatenablog.com/entry/2019/02/10/200354
どうやら事態はもっと複雑だったらしい。
これはオタどんも引いている後藤金寿編『全国書籍商総覧』(新聞之新聞社、昭和10年)をよくよく分析的に読んで判明したことなのぢゃが、昭和10年段階で、高岡書店には、

  • 出版業をする「高岡本店」(神保町すずらん通り)
  • その小売り部「高岡分店」(神保町すずらん通り)
  • 小売りの店「高岡書店」(小川町靖国通り沿い)ここは「高岡支店」とも呼ばれた

の3つがあったのぢゃ。
詳しくは年表を見られたいが、まとめると…

コミック高岡の歴史

高岡安太郎(1864-?)が大垣から本屋の親戚を頼って1877(明治10)年に上京。1880年に独立して、しばらくセドリをしてお金をため、1885(明治18)年、三番町(麹町区)に古書店を開業。1889(明治22)年に学参を出版したら、これがあたり、1891(明治24)年に裏神保町(のちの通神保町)へ移転し出版業へ。そしてこの時にどうやら弟(出版年鑑S7年版による)の高岡寅次郎(?-1931)に小売り書店をはじめさせたらしいのだ。そしてこの寅次郎が、現在のコミック高岡の直接の先祖になるようで。
高岡書店の寅次郎は1931(昭和6)年に死去し、その孫の高岡達夫(1916-199?)が小売店を継ぐ。基本的には学参の小売りをしていたらしいが、戦時中、企業統合の影響で廃業。戦後昭和23年に営業を再開しが、昭和30年代に安太郎の系統の高岡本店が廃業し、それをどうやら寅次郎系統が統合したらしい(これは推測。史料なし)。また小売り店舗も小川町から神保町の靖国通り沿いに移転したのもこのころと思われる。
高岡書店がコミック中心になるのは1974年のこと。大学生協や大型小売店に学生客を取られてしまったので新天地をマンガに求めたのだった。マンガ専門店の草分けとされる。その後はみなさんご存じのとおり。
マンガ小売りなのにシュリンクパックをしない、同時に「立ち読み」はきびしく取り締まるなど、ユニークな陳列販売をしていた。同人誌の初期には店頭に陳列もしていた。1980年代から90年代にかけて、店内は芋を洗うようなありさまだったと新聞記事にある。地下を少女マンガを、1Fを一般マンガを陳列。そういや2Fも1990年代にエロ漫画コーナーにしてゐたこともあったなぁ(*゜-゜) これが1Fに降りてきたのは2000年代だったっけ?
しかし、今回の調べで一番オドロイタのは、高岡書店の開祖たる高岡安太郎が日本で最初期のセドリだったといふこと(。・_・。)ノ
明治20、30年代に書籍取次(4大、とか5大とかの「おおとりつぎ」)会社が成立する以前の世界では、新刊でも古書でも「セドリ」は店頭品揃えの幅を広げるのに必須の機能だった。そこで出てきたのが「せどり」。
今回、気づいたことがあったので古本せどりの起源については別して記事にしたいなぁ。せどりが1980年代に一度滅んでることは拙ブログに書いたっけか。
しかし、コミック高岡の始祖―正確には始祖・寅次郎の兄・安太郎―が近代日本最初期のせどり師だったとは。

「コミック高岡」関連年表

1864 元治元年11月 高岡安太郎、大垣に生る(各種出版名鑑)。
1877 明治10年 安太郎上京。親戚(書店)で修行(各種出版名鑑)。
1880 明治13年 安太郎独立。最初期の洋本セドリ(『紙魚の昔がたり明治大正篇』p211)。
1882 明治15年10月1日 高岡本店開業?(『出版便覧』昭和8年版)
1885 明治18年 安太郎、古本店を麹町区三番町に開業(各種出版名鑑)。
1889 明治22年 安太郎、最初の出版?。『サンダーユニオン第四読本直訳意解』「高岡書店」名義。「麹町区三番町六十番」に居住。小売り/取次店舗名「高岡書房」の可能性(奥付「大売捌所」より)『大日本帝国憲法俗解』『シチズン・リーダー直訳』なども(『読売新聞』1889.03.22)
1891 明治24年 安太郎、移転。(裏神保町6→1922:通神保町6)へ。新本小売店と学生参考書出版を兼営。
同年? 寅次郎、高岡書店を小川町1丁目3に開業(『全国書籍商総覧』1935)
1892 明治25年 安太郎「裏神保町六番地」(『蜻蛉文集 : 国文軌範』奥付)
1897 明治30年 寅次郎(東京市神田区美土代町四丁目五番地)「高岡支店」名義で『英文大家集注釈』を出版(同・奥付)。
1901 明治34年 この頃より出版に全力を傾倒し飛躍的発展。
1902 明治35年 推薦されて東京書籍商組合評議員に(各種出版名鑑)。
同年 寅次郎、高岡書店を開業。古書?
1916 大正5年 高岡達夫、書店(小川町1丁目3)に生る。(5.26)父・尚次郎、母・つる(『全国書籍商総覧』1935)。
1921 大正10年 このころの復元地図「神田古書店街配置図其の一」では「高岡支店」が現在位置に(『稿本神田古書籍商史 : 年表』1964)。あるいはこれは「其の二」昭和19年ごろにある「広文館支店」の間違いか。
1924 大正13年 「高岡本店」名義最初の出版?「通神保町六番地」(『英語の発音とアクセントの研究』奥付)
1931 昭和6年1月 寅次郎死去。達夫が高岡書店を継ぐ(『全国書籍商総覧』1935)。「神田美土代町高岡書店主、高岡寅次郎氏は病気静養中のところ、一月十五日遂に逝去した。同氏は東京書籍商組合評議員高岡安太郎氏の令弟にして」(『出版年鑑昭和7年』)
1935 昭和10年ごろ 高岡は本店(通神保町6)、分店(通神保町5)、書店(小川町1丁目3)(後藤金寿編『全国書籍商総覧』新聞之新聞社、1935)。書店は「高岡支店」と呼ばれていた可能性あり(「小川町ビル一階に高岡書店がある。明治大正時代ここは高支と呼んで~」藤井誠治郎『回顧五十年』1962 - p191-192)
1938 昭和13年 高岡安太郎◎高岡本店(神保町1-5)、高岡達夫×高岡書店(小川町1-3)、高岡達夫×高岡支店(神保町1-9)(『全国書籍業組合員名簿昭和13年1月現在』)
194? 企業整備で一時廃業(『東京組合五十年史』1992)
1948 昭和23年9月 (合)高岡書店として営業を再開(『東京組合五十年史』1992)。
1953 昭和28年 出版最後?「神田神保町一丁目五番地 高岡本店」、同「高岡博一」(『初等微分方程式』奥付)。
※昭和30年代に再統合? 出版部門を閉め、おそらく小川町の「高岡書店(高岡支店)」が本店の敷地かその裏の靖国通り沿い(現在地)に移転したのだろう。

小川町ビル一階に高岡書店がある。明治大正時代ここは高支と呼んで、本店は神保町の東京堂の並びにあったが、今は電車通りに転じた。本店の店主故高岡安太郎氏は岐阜県の人。明治十三年麴町三番町に古本店を始め、漸次出版を兼業して神保町に進出し学参物が大いに当たって頗る発展した。
〔中略〕
 高岡支店の並びに神谷書店がある。ここも古い書店で〔略〕初代店主は神谷久兵衛氏で、〔略〕地図の出版をやったが、現在は小売専門で〔以下略〕

  • 藤井誠治郎『回顧五十年』1962 - p191-192

1974 昭和49年 「コミック中心の商品構成に」(「[マンガ前線]=2 売る側も“専門化”(連載)」『読売新聞』1988.09.14)
1977 「三年前に思い切って現在のコミック専門店に」生協や大型書店対策(『読売新聞』1977.06.05)。
1979 昭和54年 高岡書店、マンガ専門店に(『東京組合五十年史』1992)。
1987 昭和62年 「全国のマンガ同人誌が約二百点置いてあるが」( [あの本屋さん]マンガ専門、5万冊『読売新聞』1987.04.29)
1990 平成2年3月 同人誌を販売する→ 翌年2月摘発さる(「わいせつ漫画本を販売 有名書店を摘発/警視庁」『読売新聞』1991.02.25東京夕刊「三店では、昨年三月ごろから、露骨な性描写のある漫画本を一冊六百円から千円で販売」)
1992 平成4年 『東京組合五十年史』に高岡書店の自店紹介文。代表:達夫(76歳?)
199?  3Fを売り場に拡大
200?  3F売り場を縮小
2019 平成31年3月 閉店 代表者、和夫

資料1 『東京組合五十年史』1992

『東京組合五十年史』1992 p.466 にちゃんと「高岡書店」の自店紹介文が載っていて、コミック高岡の誕生経緯がわかる。

(資)高岡書店 〔略〕②高岡達夫③同ふじ④同和夫⑤畑 伸多⑥明治35・4 〔略〕
◎祖父寅次郎岐阜県大垣市出身。現在地に開業当初は古書を取り扱い、後に新本に転業、学参書中心の新本店として神保町書店街で学生顧客の商売を営業してきましたが、太平洋戦争により業界の企業整備により一時廃業。昭和二十三年九月合資会社高岡書店として営業を再開、昭和五十四年よりマンガ専門店に転身、夢と希望あるマンガの世界を探求する。若い読者層の開拓に務め、より良いマンガの選択に日夜努力して、このマンガ世代を幅広く拡大して日本のマンガやアニメを世界中に広げたいと思っております。

①住所②代表者名、③配偶者名、④後継者名、⑤実務責任者名、⑥創業年月日、⑦代表者の出身県、⑧趣味(代表者)、⑨趣味(配偶者)、◎店の歴史、現状、豊富、モットーなど

資料2 SFマガジン 1984.12

「(書店通信)高岡書店」『SFマガジン = SF magazine』25(13)199(1984-12)※本文タイトルは「コミック高岡」

よくお客様から、何故本をビニールに入れないのいか、そのくせ立ち読みを禁じているのは、おかしいのではないかと言われますが、本の香りや本との接触を大切にしていきたいと私達は考えており、お買い上げの際に御自身で確かめて選んでいただこうというものなのです。

資料3 ネットの日記

sakumania.com/diary/nikki/081209.html

2008/12/09 - 古い知り合いである店長の七島伸治は、いまも店長なのかな? ちょっと時間がなかったので、尋ね忘れた。

1980年代、この「七島伸治」という人がメディアに答えている。

資料4 マンガ同人誌と専門書店 そもそも同人誌は古本として流通しはじめた

商業マンガ専門店3店が、警視庁、麹町署、神田署に一斉摘発を受けた事件が1991年にあり、これがおそらく商業マンガ専門店の同人誌ばなれと、同人誌専門店の成立を促したらしい。結局この事件で商業マンガ専門店が同人誌流通から撤退しちゃふことになり、構造的には今回のコミック高岡廃業へつながっている気がする。

・同人関係の事件/1991年の書泉ブックマート、高岡書店、まんがの森の摘発
〔略〕
この頃のエロ同人誌は無修正で、かつ区分販売などはされていなかったので、警察の摘発を受けたのでした。
 その後、エロ同人誌には修正が入るようになり、書店でのエロ同人誌販売は自粛され、何年か経って、通販主体のLLパレスやメッセサンオーが参入してきて、また店頭でエロ同人誌が売られるようになり、とらのあなができて、現在にいたる…という流れに。
※LLパレスは80年代後半から活動していたそうです。
http://artifact-jp.com/2003/11/22/1991-syosen-talapla-manganomori/

けど、2010年代の今はむしろ、秋葉原で、コミックとらのあなメロンブックス、コミックZINなど、同人誌の書店は花盛り。これはどういふこと?(。´・ω・)?

そしてゲームのほかに特徴的だったのは同人誌の取扱い。1990年代も後半になると、1990年代前半の有害コミック運動の余波もそれなりに治まってきたせいか、同人誌を取り扱う店舗も増えてきました。たとえば男性向けでは1994年に秋葉原に誕生し、最初同人誌の古書店だった「コミックとらのあな」が新刊同人誌の委託を扱うようになるなど。
そしてメッセサンオーも1990年代半ばから同人ソフトや同人誌を取り扱うようになるのですが、その当時はそういった新刊を扱うショップが少なかったのもあり、かなり目立つ存在でした。
http://timesteps.net/archives/messe-sanoh.html

あー、思ひ出した/\c(・。・)
とらのあな、同人誌古本屋さんぢゃった… さうか、同人誌はそもそも非流通なれバ古本として二次流通から始まるのは、むしろ自然なことだったんだなぁ(*゜-゜)
商業コミック新刊小売店から同人誌が締め出されたと同時に、同人誌古書店が同人誌新刊小売店に転じていったといふわけね。
ここでつながるとはとは。