書物蔵

古本オモシロガリズム

せどりの超カンタンな通史

オタどんの古本フレンズが、次の本をけふ知恩寺で拾ったとかや(´・ω・)ノ

  • 川下浩ほか編『南天荘書店主人大萩登追悼集』大萩登追悼集刊行会、2001

国会図書館にないレアもの(σ・∀・)


わちきも2011年に話題にしているが、それ以前にたしかゴロウタン探索で岡山市によく行っていた時代に買ったものと思う。
2011年9月の古本フレンズとのメールやりとりで、

> ちなみにたしか
> 南天荘書店主人大萩登はアナーキスト
> 死亡時は大萩登追悼古書市が開催され 、
> 石神井さん出品雑誌を落札、○百万円。
○は引用者伏せ字

などと言及されている。アナキスト古本屋かつ競取師大萩さんについては追悼集を読んでいただくとして、このエントリでは、日本一カンタンなセドリ通史を書いてみん。

セドリは近代書籍流通業成立の先駆け

2019年3月に閉店したマンガ専門小売店コミック高岡のことをオタどんに触発されて調べたら、なんと初期セドリの一人だったことが、反町の「紙魚の昔語り」で判明した(´・ω・)ノ

しかし、今回の調べで一番オドロイタのは、高岡書店の開祖たる高岡安太郎が日本で最初期のセドリだったといふこと(。・_・。)ノ
明治20、30年代に書籍取次(4大、とか5大とかの「おおとりつぎ」)会社が成立する以前の世界では、新刊でも古書でも「セドリ」は店頭品揃えの幅を広げるのに必須の機能だった。そこで出てきたのが「せどり」。
コミック高岡の淵源は、日本最初のセドリ師ぢゃったΣ(゚◇゚;) - 書物蔵

高岡安太郎(1864-?)という人物が大垣から本屋の親戚を頼って1877(明治10)年に上京。1880年に独立して、しばらくセドリをしてお金をため、開いたのが高岡書店だったのだが、要するに、元手が少なくても、お金がすごくたまる仕事がセドリだった。というのも、この明治10年代の日本には書籍取次業(本の問屋)がまだ無い。
本屋は、本の生産(出版の版元)、流通、販売(小売)のぜんぶをやるのが「ほんや」という江戸時代以来の商売方法が続いていた。
けれど、これでは、品切れ絶版でない書籍は、版元の「ほんや」でしか買えない。仲のいい本屋どおして交換することは江戸時代からあったようだがレパートリーが限られる。
それでも江戸時代はまだよかったんよ、新刊がでるペースがものすごく少ないから。ところが、時代は明治になり、新知識が求められるとともに新刊発売ペースが早くなってきた。どーする?どーする!
と、いうことで、元手となる小金をもとに、東京市内の本屋を歩き回り、ある本屋で本を買い、別の本屋でその本を売る、という利ざや稼ぎの競取り師が業者として成立したというわけだった。
ん?(・ω・。) 古本の話ぢゃないぢゃないかってか(σ・∀・)
いやサ、言い忘れてたが「ほんや」というのは江戸時代、当然ごとく古本も扱っていたのであった。新刊書店と古本屋が分離するのは、やはり明治の後半なんよ。「ほんや」は、版元でもあり流通でもあり、小売でもあり、古本屋でもあった。
近年の研究では、江戸期ほんやの起源は、今でいう古本屋であったという説すら提出されておるのぢゃぞ(´・ω・)ノ

  • 江戸の古本屋 : 近世書肆のしごと. 橋口侯之介 著. 平凡社, 2018.12

江戸の古本屋: 近世書肆のしごと

江戸の古本屋: 近世書肆のしごと

話を戻すと、資料的に追っかけられてはいないが、明治初期、初期のせどりは新刊および古本を「ほんや」どうしで交換し合う機能を果たしていた。だからもうかったし何人もいたが、それは論理上、取次業の成立で衰退することになり、古本をメインとした形で残ることになったのだろうと思う。
で、これまた状況証拠しかないが、明治的セドリは一旦、昭和戦時に絶滅したと思われる。というのも。

戦時中、いったん途絶える

谷沢 僕が初めて本に接したのは、大阪の夜店なんです。月に三回くらい夜店が出まして、そこには必ず古本屋が何軒かありました。講談社佐藤紅緑の本なんか、当時一円の本が、安い場合には十銭でした。そして数日後、読んで持って行くと、かなり有利に買ってくれました。だから追い銭をちょっと出すと、次の本と交換できた。そんな形で、もっぱら講談社の少年読物を読んだものでした。
紀田 私の場合も大変良く似ていますね。要するに貸本屋と古本屋が一緒になっているような店が〔略〕
谷沢 その夜店は、昭和十六年ごろになくなりました。そして大阪では、古本屋が全部貸本屋に衣がえして、一切占いで高い保証金で円本を一冊五円くらいで貸すわけです。〔略〕
『読書清談:谷沢永一対談集』潮出版社1984、p.209

上記で谷沢永一が証言しているように、実は日本中(といってよい)の古本屋は戦争期にほとんど貸本屋のようになってしまったのであったから。
大萩登氏のような戦後のせどり師は、戦後経済が復活してから出てきたと思われる。せどり男爵も活躍は昭和戦後期に設定されている。

せどり男爵数奇譚 (ちくま文庫)

せどり男爵数奇譚 (ちくま文庫)

それも1980年代には途絶えて(これはたしか紀田先生が他で書いていた)なくなり、いまのセドラーなる形で復活するのは、ブックオフマケプレが成立してから、ということになる。