書物蔵

古本オモシロガリズム

【重要】『昭和前期蒐書家リスト』通販分の入手方法について(おしらせ)

次の同人誌の通信販売分の入手方法について、頒布者さんからのお知らせです。
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トム・リバーフィールド編、書物蔵監修・解説
『昭和前期蒐書家リスト 趣味人・在野研究者・学者4500人』
(トム・リバーフィールド、2019年11月)1,650円

先日の文学フリマでほぼ売り尽くしてしまったので今回、一定部数重版いたします。
重版分は12月26日以降に発送予定です。次のように申し込んでください。

委託先さまへの事前予約について

・購入したい方は、委託先「金沢文圃閣」さんに次のサイトから直接メールなどで連絡してください。
https://kanazawa-bumpo-kaku.jimdo.com/%E3%81%8A%E5%95%8F%E5%90%88%E3%81%9B-%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%82%B0%E8%AB%8B%E6%B1%82/
・メールなどには郵便番号・住所・氏名・電話番号、『昭和前期蒐書家リスト』購入希望部数、などを明示してください。
・1部1500+消費税円で、1,650円となります。【送料別】
・お一人さま3部以下まで受け付けます。

受付後、どうなるか

・12月24日に前払い入金先ご案内メールが金沢文圃閣さんよりきます。
・重版分が編者兼頒布者(リバーフィールドさん)から金沢文圃閣さんに届けられるその印刷スケジュールにもよりますが、入金された方には順次12月26日すぎから発送作業に入るとのことです。年末進行で多忙中な印刷所に重版をお願いしております。予期せぬことなどでスケジュールが遅延いたすこともあるかもしれません。

ご参考

・事前予約で重版分に余部が生じた場合のみ、12月26日以降にサイト「日本の古本屋」に本書の販売データが委託先の出品として掲載されますので、それを通じてご購入いただくことができるようになるはずです。
・「日本の古本屋」メルマガ12月25日号に本書の自著紹介記事が載ります。そこでメルマガ読者様のうち抽選で5名に本書が送られることになっています。

ご留意いただきたいこと

・同人誌という発行形態ゆえご迷惑をおかけいたしますが、ご容赦くださいませ。
 
 よろしくお願いいたします。
                  トム・リバーフィールド

(書物蔵謹白)

言わずもがなのことですが、本書は同人誌であります。全ては編者、頒布者さんの篤志によるものなので、よろしくご勘案ください。また書物蔵は本書に関する経済的利害とも無関係であります。

ブックカバーはひと目が気になるから

紀田先生のことが気になってツイッタを検索したら、読書史上でオモシロなことがヒット。

カバーをかけるのはやり、何を読んでいるのか他人に知られないように、ということ。
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また、クライムノベル雑誌が、エロ本と隣接して置かれていたということ。
当時」とは「カストリ雑誌」が出ていることから、昭和20年代、30年代のことだろう。「制服制帽姿で買うには」とあるのは、紀田さんご本人が高校生くらい、ということか。もしかしたら大学生時代かもしれない。
カバーは、もしかしたら「先輩の鬼たち」の手製かもしれないが、書店ブックカバーである可能性もある。雑誌は図書と違って、書店員はカバーをかけない慣習があったように私は記憶するが、たのめばもちろんカバーをかけてくれたろう。

『昭和前期蒐書家リスト』! 戦前のブックコレクター4500人がわかる!

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戦前日本で古本を集めていた、趣味人・在野研究者・学者など4500名ほど(実際には4400人くらいに)を一括して検索できるレファレンス本を、同人誌で友人が作ってくれました(^-^)
11/24(日)の文学フリマ(in 東京流通センター)ブース:ネ-21で頒布されます(頒価1000円)。
もし残部が出れば、金沢文圃閣に委託してサイト「日本の古本屋」経由で頒布してもらうそうですが、何分にも同人誌にて発行部数は僅少。確実に入手されたい向きは文学フリマへ行かれるとよいかと(´・ω・)ノ

「蒐書家(しゅうしょか)」とは

「蒐書家」とは、ブック・コレクターのこと。戦前、一部で使われた用語。ほぼ「蔵書家」と同じ意味だが、蔵書家だと、結果として本をたくさん(数万冊とか)持っている人の意味で、親から引き継いで自分では集めなかった人も入っちゃうから、自分で集めた人や、集めようとしても、結局、あんまり集まらなかった人も含めて入れる言葉「蒐書家」にしたのであった。
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リストは人名事典へ至る道

本文は昭和前期にいくつか発行された蒐書家リストからデータを抽出して、人名よみ順に混排したもの。もともと蒐書家リストは主に、古書業界の売り込み先リストとして作られたものなので、調べるという点からは不備のものだった。それが今回、一括して検索できるようになったのと、蒐集ジャンルなどもわかるようになったのがとても便利。当時の愛書趣味人の動きや在野研究者、一部学者の動向がわかるのだ(^-^)
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どうやって楽しんだり活用するのか?

でも各種名簿を混排したリストでどんな楽しみ方、活用をすればいいのか? これはふつうの人には意外とわからないらしいので、それを一切合切、事例を含めて解説したのが、このリストの原案者たるわちき、というわけなので、この解説があれば大丈夫。また石川県だけは人名事典の作例として編者が作ったものが、おまけでつけてあるので、戦前石川県古本者事典でもある。
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追記11/14 昭和戦前「研究者・研究課題総覧 人文編」だねコレ(σ・∀・)

きのふ、つれづれに本書を眺めていたら、三村竹清が蒐集領域でヘンテコなことを言っていたり、オモシロだったんだけど、蒐集領域をぼんやり眺めていたら、「学者が意外と多いなぁ」と気づいて、そこからの連想で「全員が学者だったら、あの本になるなと」気づいた。すなはち。

そうだ、これって、昭和戦前期の「研究者・研究課題総覧 人文編」そのものだ

これは拙解説に書いてない新しい楽しみ方(活用法)(σ・∀・)

大きな  。。。。 

レファ本という概念を知っておるかい?

図書館情報学なる学問では「参考図書」と訳せ、とこちたきことが言われるように、これは外来の言葉reference bookの日本漢語である。明治から戦前にかけては「参考書」と訳されておったものである。
読む本でなく、引く本。
哲学、歴史、文学など、人文系でいま現役のレファ本の和書は2万冊くらいかしら(゜~゜ )
それに今月、新しい一歩があった。それは……。
古本マニア人名辞典の予備版である。 
その名を

昭和前期蒐書家リスト:趣味人・在野研究者・学者4500人

と云う。

*

今まで、古本マニアの人名辞典は日本に無かったんよ。
それが今月、物理的に生まれた。
作ったのは、わちきでなく、リバーフィールドさん。
ま、本格的人名辞典の一歩手前のものなので「蒐書家辞典」でなく「蒐書家リスト」と号したのだが、しかしそれにしても日本で最初のものと言っていいだろう。
実は……。
この本、わちきが全体の設計をしたのだ。
というか、わちきが節
かきかけ

まっちゃまち(松屋町)は赤本の産地だった

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きのふ気づいた毎日フォトバンク内の、戦争直後カラー写真。
いやサ、この写真コレクションは、すでに昭和期にカラー写真集で出版されているので知ってはいたが、有料フォトライブラリーとなったのねん。
活気を取り戻す大阪の問屋街、昭和24年
つれづれに見ていたら、マッチャマチが出てきた。
松屋町とは、東京の蔵前にも比すべき玩具問屋街なのだが、日本出版史上重要なのは、じつは大阪が全国的地場産業、赤本の産地、ゾッキ本の問屋街でもあるからで、これは蔵前にはあまりない機能。つまり、まじめな、まともな本の産地は、東京神保町が全国区的地場産業になるんだが、ふまじめでてけとーな本の産地は東京でなく大阪ぢゃった。
手塚治虫が、最初、赤本漫画でデビューした話は象徴的だねぇ。
話をもどすと、そういった手塚初期赤本マンガが売られていた卸売の現場はまさにこの写真というわけ。

「正統的な読書」という概念

森さんに、面白い概念が提示されておるよ、とかなり前に言われてメモするなり。

前田愛「近代読者の成立」〜が指摘して以来、黙読が日本人の読書の型をつくったという説があり、これが明治後期以来の教養主義的な読書論としてひろまった。永嶺重利「”読書国民”の誕生〜などで展開されている。伝統的な読書の態度として、書物を読むことを通して著者の考えを拳拳服膺しながら読むことが称揚され、借りて読んだり図書館で読むのは決して正統的な読書と言えなかった。だから、近代的日本の成人読書は出版流通市場中心の私的読書となりがちであり、そのなかで図書館の位置づけは大きくなかったという見方が生まれる。黙読型の教養主義読書は戦後にも引き継がれた。そこにもやはり本は買って読むべしというメッセージがあり、知識人・教養人にとって図書館は必ずしも積極的に推進する期間ではなかった。
根本彰「書評:「公共図書館の冒険:未来につながるヒストリー」『図書館文化史研究』36号p.169、2019

森さんに指摘されたのは「正統的な読書」というフレーズ。
いまわちきがくどく説明すると、この正統的な読書は、次のようなものを言うのだろう。

書店に行って良書を買い、家に持ち帰り勉強べやで机の上に本を起き、十分な日光か照明を確保し、椅子に座って正対し、居住まいを正し、距離は数十センチおき、静かに最初のページから黙読し、一時間ぐらいしたら休む。

これを書きながらすぐ思いがわきでてくるのは、こんな思い。

こんな正統的な読書、って実際の読書でやったことは、ほとんどないなぁ。

たとえばサ、自室で本を読むときには日本人なら畳の上に寝転がって読むことのほうが多いのでは(´・ω・)ノ
机に正対して居住まいをそれなりに正して、というのは、受験勉強ぐらいに限られるのではあるまいか。
そもそも座って読むよりも、立つか、寝転がる場合のほうが多いのではあるまいか。
なーんてことがスグ思いつく、オモシロな概念が「正統的読書」。
ん?(・ω・。)
おみゃーは何とちくるったことをいふとるんかってか(^-^;)
さう、君はお気づきぢゃ。
つまりはぢゃ。
「非正統的読書」が重要といふことぢゃ。
わちきはここに、「非正統的読書」を日本読書史研究のテクニカルタームとして提唱するなり(σ・∀・)

オタどんに対抗し、神保町で国会図書館にない本を

これぞ古本まつり?

オタどんが西の京で、古本市にトチゲキしまくりなので、東の京都のわちきもとて、行くなり(´・ω・)ノ
筋斗雲はマックの前に駐めて、ぶらりと靖国通り露店を一周す。

んー
やれやれ、何も買わないですみそうぢゃ。
なんてったって、古本が一軒分も溜まってしまったからのぅ…
買わないで済めばそれにこしたことはないのぢゃ

とて、最後に三省堂の入り口のところで安堵していたら、「○○教育」なる複合語のタイトルが目についた。

古い○○教育は、ネタの宝庫?

いやさ実は、○○教育は、これは戦前の言葉としては狙い目なんよ。
と、ゆーのも、リジッドな既存学問で対象にしづらい研究対象を、新しく研究対象にするのに、ガッコーとかキョウイクといった知識枠組みが使われることがあったからなのである。ヘンテコなものを拾いやすいタイトルの言葉なのだ。
ん?(・ω・。)
戦後かな?
でも、装丁が古いから昭和30年前後か。
とて手に取ったら、これが大アタり。

  • 新聞教育二十五年. 藤井宗夫編著 「新聞教育二十五年」刊行会 1972-05