書物蔵

古本オモシロガリズム

本は千部刷らなければ算盤がとれぬ、といふのが常識

 出版物の全国普及に関して、日配の配給課長だったとおぼしき中條一郎という人が、面白い、しかし的確な指摘をしている。友人が玩具を発明し売り出した。その友人が町中の玩具屋店頭を見たが、自分の発明品が店頭にみえなかったという。そして「新刊書にしても同断だ」としてこう述べる。

本は千部刷らなければ算盤がとれぬ、といふのが常識になってゐるが、千部では東京市内の本屋だけでも行き渡らぬ。全国で一万二千として二冊宛配給しても二万四千冊だ。全国の主な都市の主な本屋の店頭にその姿をみせるには凡そどの位すらなければならぬか推察できると思ふ。

中条一郎「本屋随筆(配給について、統計について、ゾッキ屋の話)」『書物展望』11(7)p.60-64(1941.7)

明治の統計書はめんどくさいが上手く引き当てればオモシロΣ(゜∀゜;) 

いまコロナ禍在宅研究支援とて臨時公開されとる「都道府県統計書データベース」(J-DAC:ジャパンデジタルアーカイブズセンター)。
大変に重要かつ便利な当該DBなれど、『警視庁統計書』が引けないのであった(´・ω・`)
『(明治四十三年)警視廳統計書』を見ると、こんな不思議な項目が設定されている。

地方所定違警罪>新聞紙雑誌発売転売及縦覧所営業届出規則ニ違背ス (〃〔男〕 二十 二十

https://books.google.co.jp/books?id=ZSqgl4bZwUkC&pg=PP391&dq=%E2%80%9D%E7%B5%B1%E8%A8%88%E6%9B%B8%E2%80%9D%E3%80%80%E2%80%9D%E7%B8%A6%E8%A6%A7%E2%80%9D&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjJkv74idjoAhUU_GEKHXAQBmgQ6AEIJzAA#v=onepage&q=%E2%80%9D%E7%B5%B1%E8%A8%88%E6%9B%B8%E2%80%9D%E3%80%80%E2%80%9D%E7%B8%A6%E8%A6%A7%E2%80%9D&f=false
p.354によれば、20件中19件までが浅草で捕まっているので(1件のみ赤坂)、浅草署管内に、違法な新聞販売所、縦覧所が集中していたことになる。ということは、これらはみな、売春あっせん所としての縦覧所の可能性が大きい。
ヨミダスだっけか、新聞縦覧所でエッチいことをやる輩がいるから取り締まる、といった記事があったような。「新聞紙雑誌発売人転売人及縦覧所営業届出規則」ってやつだったんだねぇ。
これは「警視庁ニ定ムル罪」のひとつであろう。『東京府統計書:明治22年全』(東京府、1890.12)に「警察>188違警罪処断者」という統計グループがあって、「警視庁ニ定ムル罪」というのがあったらしい(p.387。中身は1889年分)。
ほかにも「庁令及府令違犯」(p.583)に「新聞紙雑誌雑報類又ハ時事ヲ風刺セル冊子ヲ路上ニ読売ル」も「市部警察署」内管轄不明で8件取り締まられている(郡部警察署はゼロ)。
これはいわゆる「読売り」ですな。古写真の読売りを見てごらんよ。ほとんど「花の慶次」のごとく傾いているぞよ(σ・∀・)

古書現世さんに古本を売りに

しばらくは日中、出かけることあいならんだらう、とて、筋斗雲に段ボール箱を五つばかり積み込んで、古書現世さんに古本を売りにいったことぢゃった

他に用事があるので、ほとんど本をあわてて放り出した形になってしまったけれど、現世主人さまは愛想よく受けてくれたのであった(^-^;)

ツイッターでゲットしたもの

-(全角ハイフンマイナス)

  • (半角ハイフンマイナス)

‐(全角ハイフン)
−(全角マイナス)
‒(フィギュアダッシュ
—(全角ダッシュ
–(二分ダッシュ
―(ホリゾンタルバー)
ー(全角長音)
ー(半角長音)
─(罫線)
━(罫線)
一(いち)

届出書省略の許可証を見る

池袋、神保町、高円寺と、実は大変忙しい。
本来の研究が進まぬ困った∩(・∀・)∩
それはそうとツイッターで重要な資料を見せてもらったのでここに引用する。

これ、現物は初めてみた(・o・;
この許可証は、保存しておいたほうがいいと当時されていて、納本証明書がわりになるとか(σ・∀・)
納本証明書を内務省は出さなかったので、届出書省略の許可証が、その代わりになるよ、と当時の出版マニュアルに書いてあるのだった(σ・∀・)
詳細は次の文献の解題にあるよ(σ・∀・)

  • 文藝同人雑誌出版 マニュアル : 戦前版 / 小林昌樹 編・解題 金沢文圃閣 2017 (書物史誌コレクション ; 1)

てか研究史的には逆で。
いままで内務省が発行者に対して受け取り証書を出してこなかったとも・きたとも問題自体が建てられてこなかったのに、戦前の同人誌出版マニュアルが発掘されたら、そこに、受け取り証書を出してもらえないから、届出書省略許可書が代わりに地元官憲向けに使えるよ、と書いてあって、その記述から逆に受け取り証書が出ないということが初めて実証された、というわけ(´・ω・)ノ

講義プリントの始まりは明治末?

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何度か拙ブログで講義プリントに言及したことがある。
いまツイッターで「「東大ノート交換クラブ」とか「辛酉社」といった昭和前期にプリントを出したところが話題になってたので、改めて国会図書館の蔵書目録を引いてみたら、思っていたよりもずっと早く、明治末から講義プリントは出ていたらしい。

  • 物権法講義 (明治44年度東大講義) / 富井政章 述. 東京帝国大学, [明44] <14-648>
  • 国際私法 上巻 / [山田三良 講]. [ ], 〔大正--〕 <14-649>

といったところで、受入登録印を見ると、納本でなく購入(購求)となっている。

買うべきか買わざるか?! それが問題だーーって問題になったのは大正昭和から???

例の「正統的な読書」に所有・占有問題がある。今の日本インテリの正統的読書観によれば、本は自分で買って所有すべきもの。しかし、この意見が主流になったのは果たしていつからなのだろううか? 岡村「江戸の蔵書家たち」を見るに、本を買えた人は多くなく、また、筆写してコピーを

一体日本人ぐらゐ読書しないものは無からう。事々しく理窟を云はないでも一軒々々家底を尋ねて見ると解る、西洋人の家へ行つて見ると、中東生活以上の家庭には必ず書斎がある。学者で無くとも相当な書籍を持つてゐる。処が日本人の家に書斎のあるのは中等社会の百軒に一軒とは決して無からう。

魯庵はこういって日本人は「不読書国民である」として「日本人全体が読書の害を受ける程に読書を好んでをらんのだ」という。
内田魯庵「多読する乎多作する乎」『文章世界』8巻1号(大正2年1月)