書物蔵

古本オモシロガリズム

友人が朝倉治彦を…:度日閑言(タクジツカンゲン)を近世と近代の接着剤に

昼飯を喰ってうつらとしてゐたら友人がこんなものを持ってきた。

読むと、このまへオドロイタことと同趣旨のことがさらっと末尾に書いてある。

『度日閑言』は、国立国会図書館に著者自筆本がああって、〜私がこの本を見たのは、上野の図書館に勤め出して間もない頃であった。〜
内容は文学に限らず、オランダ語の雑誌記事の漢訳紹介並びに批評であり〜
一方、随筆中にも、この方向のおのがあり、また国内遠近の風俗奇事のニュースを内容とする随筆も極めて多い。明治に入って、やがて近世の随筆が衰退した一因は、幕末明治の間の新聞雑誌の肩代わりにあるのではあるまいかと思っている。

と、新聞雑誌とある種の随筆を歴史的につながるものとしてゐる。
あとこんなことも。

幕末明治の翻訳文学を精力的に調査しておられた柳田泉さんも気づかれなかった文献であったが、森さんが既にお読みになっておられたのには、一驚を禁じ得なかった。

森さん、って森洋介ぢゃなくて森銑三ね(^-^;)
あの柳田さんも知らんかったと朝倉さんがここに書いているから、つぎの書誌を見つけた時には、あれ?と思ったが。

これをザット見したら最後にこんなくだりが。

慶応三年完成以来、己に百年位も経とうとするこの間、この本を読んだ人は十指に満たないであろう。私にこの本のことを紹介してくれたのは上野司書官をしていた浅〔ママ〕倉治彦君です。それで私は眼を開いた。

ありゃ、そーだったんね。