新聞雑誌は幕末明治になってはじめて日本に行はれた、って誰でも知ってるよねぇ(´・ω・)ノ
ではそのまへは?
そりゃー、瓦版よ、読売りよ
ってなわけで…
フツー誰でもさう思ふよねぇ…
ところがである。
ネット上には全く書誌および情報のない次の文献を読むと、朝倉治彦がすでに昭和末年にをいて、新聞紙の前身にあたるメディアは、随筆だと喝破してゐて、驚いた:(;゙゚'ω゚'):
私の結論をさきに申しますと、随筆雑著の類が、新聞・雑誌成立の基礎を培養していたということです。
言いかえますと、新聞・雑誌が、従来の随筆・雑誌の肩がは〔ママ〕りとなったと言ってもよいかと思います。その為に、随筆が衰退したのだと、同時に言い得ます。
ただ、「随筆類に含まれていた諸要素」とか「新聞紙の欄に」とか、せっかく分析枠組みらしきものを提示できてゐるのだから、一覧表にでもして整理すべきだったのではあるまいか。