書物蔵

古本オモシロガリズム

明治初期、単行本の出版部数

「同盟出版方法書並第一回出版書目」(博聞社、明治16年11月、16p.)というパンフレット(の金沢文圃閣による復刻)を読んだ。
そのまえがきにオモシロな記述が(゚∀゚ )アヒャ
要旨は予約出版(=同盟出版)の募集なんだけど、こんな感じ。
文明開化は出版点数で測れると西洋では言い、日本でもまた点数は多くなってきた。けれどそれらは「玉石混淆〔なので〕人其採択ニ惑フ」から部数が伸びない。

是を以て発売の部数甚た少く概子千部を以て度とし甚しきに至ては五百部を以て収益を図る者あり。是れ書価の貴くして購買する易からさる所なり。偶ま数千部に上る者あるも実に僅々のみ

だから文明開化が進まない。
あたかもよし、最近、予約出版法という大部数を出せる方法が開発され、これは期待できるが、なかなか最後までちゃんと出版されない。けれど当社はちがう。

従来発売の書、其数多きは一万部に上り少なきも数千部を下らす(うんぬん

以上を分析、総合すると次のようなことがいえる。つまり…
明治10年代において
1点あたりの出版部数は、おおむね1,000部だった。(2019.6.9追記 上限1,000部か)
市販本でも、500部で採算をとるものもあったが、この数は市販本としては少ない。
わずかなタイトルが、数千部の発行部数になることはあった。
博聞社は大手なので、数千部から一万部を刷っていた、というのは自社のことなので、むしろやや誇大になっている可能性が強いが、一般論として書かれている前半の部分は、ある程度信用してもいいと思われる。というのも、自社のことは他社からわからないが、部数の相場は他社によって検証可能だと、これを書いてをった人も知っていたろうから。

さらなる分析

ん?(・ω・。) まてよ、たしか昭和10年の志水松太郎も、同時期の渡辺太郎も1,000部を標準部数にしていたなぁ… これはどーゆーこと?
あっ!(’0’*) さうか(゚∀゚ )アヒャ
本の厚みが、明治初期のボール紙表紙本と円本以降の本ぢゃあ、くらべものにならないや(σ・∀・)σ
ん?(・ω・。) ならば、部数の数値がかわらんのはなぜ?(。´・ω・)?
あっ!(’0’*) さうか(゚∀゚ )アヒャ
造本工程の、ボトルネックに製本があるからかぁ(゚∀゚ )アヒャ
新聞はもとより(どんなに厚くなろうとも)製本は不要だし、雑誌も針金とじが出てきたから機械化できるわけだぁね(σ・∀・)σ
さうかさうか、さうだったのかウムウム