書物蔵

古本オモシロガリズム

「病的なマニュアル主義」が図書館界で発現するとイマドキは著作権法厨となる 2 ed.

ふと覗いたウチダ先生がおもしろいことを言っている。

現代日本のシステムがことごとく機能不全に陥っているのは、私の見るところ、この病的なマニュアル主義のせいである。
コミュニケーション能力とは何か?. -- 内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2013/12/29_1149.php

おほむかし、図書館界で悪いマニュアル主義は整理系の目録規則の杓子定規適用者ぐらいだった。でもそれは直接、コレクション蒐集や利用者に悪影響をあたえる図式にはなっておらなんだ。目録に採れようがとれまいがブツとして収集はされ、蔵書目録がアホでも、気の利いたレファレンス・ライブラリアンが居れば(別にリストを作るなどで)利用者にもなんとかなった。

当節の図書館界では著作権法厨かなぁ該当するのは

昨今、跋扈しとるのは著作権がらみのマニュアル主義者。これは実は利用者に直接の悪影響を与える。コマッタことであるのに、ウチダ先生ほどの知恵者や論客が、図書館業界にいないのよ。
著作権法なんて、人格権とか財産権とかの諸権利の束を場合わけして、それを提供するブツの著作物類型*1にあてはめて、権利の消滅の有無を判断すればよいちゅー枠組みでしかないもの。
それをきちんと現場の職員に「理解」させればいいだけなのに、現状は逆に働いていて。
ここでも、悪しきマニュアル主義で先生指摘せるごとく、

求められているのは「すべてを列挙した網羅的マニュアル」の整備と、「決して自己決定しないで、逐一上位者に諮って、その指示を待つ」人間の育成である。

あるところで、国家機密でもないのに利用者に示してはなんねという下らないマニアル*2を見たら、上記のような原理は書いて無くて、どんどん屋上屋を重ねる「すべてを列挙(しようとして失敗)した網羅的マニュアル」で、それを解釈するほうも、「決して自己決定しないで、逐一上位者に諮って、その指示を待つ」という者ばかりであきれたことがあった┐( ̄ヘ ̄)┌
いまどき図書館の紙の本や紙焼きコピーなんかに、アリガタイ著作権法の精緻・厳格な適用なんざ、やってもさしたる意味(著作権者の財産権を守るという意味)はない。むしろ学術や文化を阻害する機能・結果しかなく、過去の著作物を社会的に抹殺する機能のほうが強い*3
ここ何十年かの違法(著作権法違反)閲覧状態を、きちんと法改正によって合法化した公文書館業界*4とちがって、図書館業界なぞ政治的な意義も少ないし、音楽や映画などカネを多大に生んだり、真に複写しやすい電子本とかとちゃうんで、まともな法学者はいそがしくて相手にしてくれんし。業界自身も(JLAの大借金*5などで)動きがとれんようになっとるし。
たとへば、どっかの図書館では目次に執筆者名がでてくる冊子の部分を一著作とカウントしとるようで*6、それは、とちゅうで和解かなんかになった判示の立論によるようだが、書籍の編集サイドや著作者の方でそんな意識でいるという実態は保証されない。
数年前にこの話を編集者あがりのライターさんにしたら、「それぢゃあ、執筆者名を編集者が丁寧に目次まで出したら、そうなっちゃふの?(・o・;)」とあきれて怒ってたことを思い出す(すくなくともその人は、著作権の帰属ではなく編集上の律義さとして目次の執筆者名を理解し、本づくりもしてきていたということ)。
また、Mさんにもいはれたが、単行の論文集などはしばらくまへからランニング・タイトルが印字されるようになって、それが無言のうちに複写許諾を与えていることは容易に理解できよう。

もちろん著作権法にかぎらない

ということで、わちきは1970年著作権法のみを図書館関係法規として鼓吹するno味噌が嫌いなのぢゃが、本質的には、1950年図書館法だろうとて同じこと。1956年物品管理法や財政法、地方自治法だろうが地方財政法だろうが、単独法規をもってきて単純に「適用」したって、自縄自縛になるだけぢゃ。
たとへばサ、1950年図書館法厨が「無料原則ムリョーゲンソク」と連呼するけどさ、あれって国会図書館には適用されない条項だから国会図書館は閲覧に閲覧料を取ってよい、ちゅーのは、ちょっとした事情通なら誰でも知っとること。
むしろ、わちきがなんちゃってクラーク司書なら、1947年の財政法第9条第1項をもちだしてきて、「適正な対価なくしてこれを譲渡し若しくは貸し付けて」るから違法だと主張するね(σ^〜^)σ

第九条  国の財産は、法律に基く場合を除く外、これを交換しその他支払手段として使用し、又は適正な対価なくしてこれを譲渡し若しくは貸し付けてはならない。

だって「法律に基く場合」という他の法律に、国会において一般国民に無償で貸付(処分)すへしなどという条文がない*7んだもの(・∀・)
つまり、よき図書館事業をさきに考えて、しかるのちに現行諸法規とのかねあいを考えるのでなければ、そもそも法律の話などしないほうがよいくらいなのである。
もちろんウチダ先生はこんなぼやきでおはろうはずもなく、だから、ディスコミニュケーションが生じた時は、あへてコードを破ることが必要であり、それには「誠」が必要だという、もっとオモシロいことに論を導いているのだが、わちきは、ウチダ先生ほど人がよくないんで、そのてまへの部分だけ引いておく。

わが国のエリート層を形成する受験秀才たちはあらかじめ問いと答えがセットになっているものを丸暗記して、それを出力する仕事には長けているが、正解が示されていない問いの前で「臨機応変に、自己責任で判断する」訓練は受けていない。むしろ誤答を病的に恐れるあまり「想定外の事態」に遭遇すると、「何もしないでフリーズする」方を選ぶ。彼にとって「回答保留」は「誤答」よりましなのだ。だが、ライオンが襲ってきたときに「どちらに逃げてよいか、正解が予示されていないから」という理由でその場に立ち尽くすシマウマは最初に捕食される。だから、秀才たちに制度設計を委ねると、その社会が危機を生き延びる可能性は必然的に逓減する。

2011年3月15日から数週間、「何もしないでフリーズする」連中ばかりでほんとうに怒ったことだったが、どうも、なんで怒っているのかフリーズ連には、本質的にわからなかったらしい。
いや、彼ら彼女らだけライオンに捕食されちまふのなら、むしろ本望だが、こっちまで巻き添えにしやうとするからねぇ(-_-;

*1:といっても著作権法の中に示されれているほんのちょっと。とても書誌学や図書館学でやってる類型ほど細かいものでもない

*2:かつて、高卒ボイラーマンがmanualのことをかように表記するのを実見し、さても正しき標記かなとて、それ以来たまにかように記すことにしてをる。

*3:http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/hibi2007/20130731/1375287147

*4:http://b.hatena.ne.jp/entry/current.ndl.go.jp/e1303

*5:ホントにどーすんのかね(゜〜゜ )

*6:http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/284140

*7:1948年国立国会図書館法第21条あたりに書いてあるべきなのに、そのような明文はない。おそらく、通説にいう「慣例」か、あるいは違うからくりによって、無料の貸付が行われていると解さざるをえないわけ。