書物蔵

古本オモシロガリズム

アサピ新聞

帰ったら、朝日に国会図書舘の納本率について記述が(×o×)
「誰のための著作権延長か/没後50年で出版される本は1.6%」『朝日新聞(be)』2007.6.2p.b3 
著作権保護の死後延長についての記事で、「没後50年で出版される本は1.6%」しかないという数値を導くだす根拠に国会図書舘の所蔵データを使っている。

同図書館によれば戦前のカバー率は7割程度で戦後は約8割。流通情報が電子化された92年以降は100%近くカバーされているという

なんかコトバが足りないような感じ。このまえ読んだ文献では、戦前雑誌のカバー率は3割だというし、それにしたって、分母を非流通雑誌まで加えれば数パーセントまで落ちてしまうというし。
1992年以降100パーってのも、ずいぶんとパーな感じ、ってか分母を都合がいいように操作しとるね。マンガや同人誌を算定していないとか(・∀・)

著作権の議論で

国内の著作権法議論に対する不満は、結局のところどうすればきちんと利用できるのか、という方向にならないところ。結局、現行著作権法の祖述で終ってしまう。
米国みたいに、"orphan works"とか、必要に応じて有意義な新しい概念をつくるのが本来の意味での議論・研究だよなぁ。
朝日記事にいう「死蔵作品」って漢語がオファン・ワークの訳語なの? だとしたらこれまた本質がズレた訳語だのぅ。
記事は保護期間延長(死後50年→70年)の是非論をやってて、まあそれはそれで目下の論点ではあろうし、今でも十分読まれていない三田先生がなぜに70年に固執するのか、ってのは文学者ってのはもともとヘンなもんだから、両方ともとりあえずおいといて。
問題は現行死後50年保護でも同じで、死後50年であっても70年であっても、あるいは生前であっても、生んだ親が行方不明になってしまった孤児作品は一部引用の形でしか利用できないということなのだ。
たとえば。
満洲に渡ったまま行方不明になってしまった楠田五郎太の著作を研究したいとする。
でもそもそもいつ死んだのか不明。片道何時間もかけて所蔵館まで読みに通うしかない。でもそんなことは専業の学者でもなかなか出来ないよね。
これが、もし、どっかで著者のデータベースを用意していて、著作権継承者に連絡がとれればコピーぐらいはさせてもらえるだろうし、それこそ図書館協会あたりが「復刻図書館学古典資料集」を30年ぶりに再開(って絶対にないだろうが)するようなときには復刻されるやもしれず。
ん? 著者のデータベース?
そういえばそんなものに近似のデータベースがあったような気が。

国会の著者名典拠が著作権者DBにどうしてもなれない3つの理由

(かきかけ