書物蔵

古本オモシロガリズム

昭和40年代、図書館現場で「全冊コピー」はできたか?

著作権法を現場に機械適用する館界議論の流行りにキョーミないんだけど(といふかそれは税金を濫費するマチガイだとさへ思う)、著作権法が館界で流行る前にどのような適用実態があったのか、についてはキョーミあり。ってか、わちきも当時影響された山根一真『情報の仕事術』(日本経済新聞社, 1989)あたりで紹介されとった絶版本の資料用コピー本って、あれ、どこでコピー入手しとったんだろうねぇ(σ^〜^)
けど、特定主題の言説が流行る前の同主題の言説を見つけるというのは、じつは結構、むずかしい。
でも、オモシロいものを見つけた。

フランスの著作権法はいままで実際に適用されたことがほとんどなく、国立図書館においてさえ図書の全冊コピーが著者の了解なしに行われるという状態であったけれども、そのフランスにも、ようやく著作権問題が現実問題のものとして浮かびあがってきたようである。(略)この権利侵害の訴えを起こした「勇気ある」出版社は…
「国立科学研究センター(CNRS)、著作権裁判で敗訴―フランス―(あちらの話題)」『国立国会図書館月報』(166) p.26-27 (1975.1)

英米語の「コピライト(コピーの権利)」ぢゃなくて、「著作者の権利」という概念語をつくりだしたおフランスで、こんな現状があったとはとは(・∀・)
ってか、じつは1970年代までのフランスで著作権がどのように守られて(いなかっ)たかを知ることなど、どーでもいい。それよか、日本の図書館現場でどのように、著作権が守られて(いなかった)かを知る材料になるなぁと。
著者は頭文字しかない。それゆえ十中八九、図書館員であろう。だから彼(ん、彼女か)が使っている言葉から1975年当時の国会図書館の複写業務をの実態を逆算してみよう。すなはち…

  • 仏の国立図書館の事例が館刊行物の活字になるぐらいだから、逆に、日の国立図書館では、それほどまでには著作権侵害の実態はなかった。てーのも、同じか仏より悪い状態であれば、内部告発になってまう。今だって内部告発者の保護が不完全にしか行われないのに、ましてや昭和50年代に正式の広報誌に内部告発はありえない。
  • 著作権の判断は、法理的には著作単位で判断することになるが、著者はなんのことわりもなく「図書」という言葉を使っている。で、この記事の仏の事例は学術論文だったりもするので、著者のいう「図書」はbookやmonographの意味ではなく、冊子、物理単位、volumeのことを言っている。
  • 「全冊コピー」という言葉も、仏の事例と実は関係ない(事例は論文コピーなので)。

結局、「図書」といい「全冊」というも、書き手が無意識的に1975年当時の、日本(十中八九、自分の勤務館)の現状を参照枠にして論理を展開いるとしか解釈できない。
1975年当時、日本の国立図書館へ行って、登館者が「複写したい」と言ったらばなんと言われていたのかといへば、「冊子の全部でなければ、複写してよいですよ」と言われていたことがわかる。
でも、これぐらいのこと、文学部出ならフツーにわかるかぁ(・∀・) 法学部出にゃ逆にわわからないかも(σ^〜^)