書物蔵

古本オモシロガリズム

雑本、の大切さ

isbn:4-535-51232-9:detail

雑書が大切だ

とは、谷沢永一もいっとったし、Mさんもよくいふところである。
雑書の定義なのだけれど、一定程度の普遍性を持つ学術の書(まあ、最近、にふぉんじゃあ、博士号濫発ではてなだけど)、定番の教科書、あるいは逆に、趣味の本、そのどちらでもない、「(´・ω・)ん、こんな本あったっけ」ってな本。
で、しばらくまへの古書展で、安く拾った上記の本が、図書館史的に、といふか図書館資料論的にちとオモシロなのであーる。
上記の本、新聞記者が書いた著作権プライバシー権についての本。学術的に正しくはもっと法学的アプローチをとるべきだらうし、論文形式にもすべきだらうが、さうでない。実録といふわけでもない、では何学なのかといへば、なんだろー、ってな感じではあるけど、実は大半の本ってさうだよね。もちろん著作権小説でも著作権短歌集でも、ない。←図書館情報学史短歌集の話は、なんどかしたよね(σ^〜^)σ

このまへ「文献継承」に「真相はかうだ!」を書いた際、オモシロねたとして藤岡淳吉問題として30年以上、有り無しが不明だった日本焚書のことを書いた。
そこでのキモは、

戦前の新聞記事をどーやって広く探すか

という問題で、結局、現状でもそんなことはフツーにはできず、学者ですらほとんどできず、ということだったわけで。
ところがこの本では2000年前後に一度、それが解決されるような動きがあったのだと(@_@;)
いやー、図書館系の言説にはでてこん情報ぢゃ(o^∇^o)ノ