書物蔵

古本オモシロガリズム

規則遵守を叫ぶのなら、「守れない規則」の廃止も叫べよ、という至極まっとうな話

松浦晋也さんのネット連載をフト読んで、我が意を得たりと思ふたことである。

(略)本末転倒の結果、為すべきことが為されなくなり、組織や国家が衰退に向かうなら、そもそもコンプライアンス強化などしない方がいい。
 コンプライアンスの強化は、単に現場を締め付けることではない。コンプライアンスは守るべき規則と表裏一体であって、特に「守らないことが前提になっている規則」が一杯ある日本では、規則を実質的に守れるものに変えていく作業が不可欠だ。その2つがそろって初めてコンプライアンスは意味を持つ。
松浦晋也「人と技術と情報の界面を探る」コンプライアンス強化と「守れる規則」は表裏一体であるhttp://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20131203/1114048/

タイトルの「コンプライアンス強化と「守れる規則」は表裏一体である」というのは、ちょっと舌足らずで、むしろ、

規則遵守を叫ぶのなら、「守れない規則」の廃止も叫べ

というのが、内容により即したタイトルと思われる。

「守らないことが前提になっている規則」がまだまだある日本

松浦さんの立論は、日本法には、守られないことを前提に立法されたものが数多く残っているので、遵守するにはそういった守られない・守れない条文は廃止しないと、会社も国家も滅びるよ、というもの。
実際、わちきいつも道を歩くときには、あ、これは道路交通法違反という歩き方をしている人をきはめて頻繁にみる。けど、目の前に警官がいるのに、捕まえないね。つまり、運用で自動車は厳格適用するけど、歩行者はかなりゆるく適用するという慣例になっとるわけ(これは現在ただいまでもそう)。それが良くも悪くも中進国だった日本帝国および昭和期民主日本国だったわけ。
ここ10年ほど、館界に殖えたのが単独法規杓子定規適用厨。特に著作権法ね。

法文上の著作物と、管理可能な文献粒度

いちばん困るのは、なにを著作物の1単位とするかについて、

法文には、図書館実務上、処理不可能なことが書いてある

こと。
図書館では近代図書館成立このかた数百年ずっと、著作単位で著作メタデータ(目録データともいふ)を扱ってこなかった。
物理単位(おおむね単行本1冊)にちこっとプラスマイナスした「書誌単位」なる概念を創出し、それでメタデータをつくってきた。
著者の管理も(著者標目の典拠のこと)それをもとにしたものであったから、
たとえばサ、単行本の著者なら過去百年の図書館界の慣例・ルールによって蓄積されてきた著者標目によって没年がわかる率も何割かはあろう。また、かっては、日本著作権法協議会という文化庁の外郭だかなんだか、かなーりアヤシイ団体が『著作権台帳』なるものをメンテしていた。
けれど、それより細かい、論文や記事、あるいは詩や短歌の1篇レベルではまったくコントロールされとらんから、どれがだれのやら、だれがどれのやら、同定すること自体が歴史学的作業となり、そんなことは学者にだってよーでけんのに、単に文献複写に登館した縁なき衆生にできるわけがない。
実際、研究者が複写に苦労しとる。

国民の権利*1 - 猫を償うに猫をもってせよ
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090128

もともと、行政国家における法令などというものは、むやみやたらにたくさんあり、それらのどの法令のどの条項が適用されるかで、実は結論が逆さになってしまふ。だから、図書館業務にとって著作権のどの条項が使え、どこが使えず、どれが妨げなのかを考えるのが司書の仕事であろうはずなのに、ここ10年ほど殖えたのが、さういった法的な構成を考えられないアホ司書。ってか、そういうのは本来の意味での司書とは呼べんがね。だって、さきに図書館サービスを考えて、あとからその法的構成を考える、って図式ぢゃ、ないでしょ。ただの規則単純適用で、クラークもどきとしかいえない。
さういった「法の検認」問題をはじめ、現行法上でどうすれば世の中うまく治まるか考えて、それでも現行法で読めなければ、法改正を考えるというのがまともな官僚であろうと思われるし、なればこそ、高給取りの官僚なるものがいるのであらう。

筆のすべるヤマジュン先生がいちばんまともとは(´ヘ`;)

しかしこの悪弊を指摘したのが10年もたってヤマジュン先生ひとりというのもなさけなや日本図書館情報学界(´ヘ`;)とほほ

講演会「著作権法に無視された図書館法」(講師:山本順一桃山学院大学教授) #yamajun2013 - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/451250

まあ、ジュンジュンは、その筆のすべりには定評があるから、それが結果としてよかったとしても、たとえば図書館法制について、日本国では一番穏当なことを書く鑓水三千男氏にしてからが、著作権法がらみだと保守的にすぎる立論をして物足りないところであった(゜〜゜ )

CA1770 - 動向レビュー:図書館はデジタルカメラによる複写希望にどう対応すべきか / 鑓水三千男 | カレントアウェアネス・ポータル
http://b.hatena.ne.jp/entry/current.ndl.go.jp/ca1770

もちろん、鑓水三千男氏は図書館情報学プロパーでも図書館員でもなく、ふつーの(とはいへそーとー頭いいと思うよ)一般公務員なので、わちきのリクエストなどはスジちがひなのだけれど。
根本先生の三巻本、法制のところはヒドかったしなぁ。。。(´・ω・`)
あーあ、省令科目、「図書館制度・経営論」はどうなっちゃふのかしら。。。

*1:このエントリ、著作権法改正が必要という結論はいいんだけど、ILLで借りたら全コピーできるという事実誤認があったり、細部はやや問題あり。ちなみにこの「権利」も、全複写する権利ではなくて、黙秘する権利のことをさしているとみるべき。