書物蔵

古本オモシロガリズム

『の文学史』

一日、ぼけぼけとすごす
いろいろなもの、すすまず(´・ω・`)

〈盗作〉の文学史

〈盗作〉の文学史

車中にて『<盗作>の文学史』を読む。浩瀚なり。もちっと圧縮してくれたほうがよかったかも(^-^;) しかし、あえて文学史としたところがミソ。このテの話をすると著作権法の成立史になっちゃったり、著作権法の学理解釈の多数派史になっちゃったりして、著作というものがどーゆーふーに流転していくかという本来の流れがわからなくなっちまうもんなんだが、あらかじめそれは封じられるというわけ。
のっけから著作権侵害は「盗作」のごく一部かあるいはほぼまったく関係ない文脈で語られるという指摘があり、納得。「無断引用」というレトリックも、確信犯的に必要なので(もちろんマスメディアにとって)されているとの指摘も納得。
著作権法の話とは別に、盗作の話は成り立つというわけ。
日本図書館界ではここ10年ほど現行著作権法の原理的解釈が猛威をふるい、機械的適用で知識・情報の流通が阻害されちまってる。いちど現行著作権法を離れた思考をするのも、単なる木っ端役人に司書が陥らないようにするには必要なことだよ。
米人(米国司書)のなかには単に現行法の解釈以外のことも考えられる人たちがいるから「孤児作品」なんちゅー新概念をつくりだし、それを新規立法につなげようという動きがでてくる。日本館界にそれがぜんぜんないのが困ったところ。
現行著作権法の学理解釈多数派や行政解釈について知識を得るのはまぁよいこととして、それをそのまま機械適用しようとしちゃうからなぁ(*゜-゜) そしてそれを正しいと思ってしまうアフォさかげん。現行法ではこんなアフォな結果になってしまうが、現行法ではしょうがないので立法で解決するのがよいという法学論文もあるのに、法律を知らん館員さんに限って、解釈学派の教条を機械的に適用しちまうから。