書物蔵

古本オモシロガリズム

理想的に悪い研修とそれを受容する痴的スタンス――どっちもどっち

ちやうど一週間まへのこと。

ツールの「使い方」って何だらう(。´・ω・)?

久しぶりに元つとめてたとこの友人に会い、会食。このヒト調べ物をする仕事をしていて、話していると参考になることおびただし。
最近こっている、参照質問の解き方汎論について論議。特に先方の例示した、ダメな研修事例の話に啓発さる。いやこれは教える側でなく教わるがはの問題なんだけど……

ある事柄で研修とて、それ関連のDBの使い方を教えると、受容者側が――勝手に――情報の構造のなかでのDBの使い方なのに、そのDBの操作法として寸詰まりにして受容しちゃふ。あな情けなや。。。

と聞いて、なるへそ(゚∀゚ )アヒャ、と思ふ。
そのDBの中身、収録範囲はどっからどこまでで、、どこから生成され、結果はどう位置付けられるのか、といふことを教へやうとしても、受容者側で、勝手に、

このタブをクリックして、このボタンをおせば、それに関してなんでもでてくる!(゚∀゚ )

と考えちゃふ(というか寸詰まりに誤解しちゃふ)と言ふてもよい。
いやこの人の授業を一昔まへに受講生として受けたことあんだけど、そりゃあもう、理路整然とたいしたものだった。ホントは別の担当の主題なのに、そこの担当は押し込め部屋なればまともな講師などつとまろう人材などいやうはずもなく、かはりにこの人が代役でたったのに(・o・;) そんな人でも受容がはがこれでは。。。(*´д`)ノ

紙資料の教化力

そのDBのコンテンツが、どのような由来で、どのように組織化されているのかといった「(その専門ジャンルにおける)知識の構造」の話をしているつもりなのに、受容者側が、「そのDBの操作」として受容してしまうのだという。
この人が自己分析するに、「自分は若いころ、それ系の紙資料の山と格闘せざるをえなかったんで、(DB成立の)背景にあるものがわかるから、こんなこと言うのかなぁ」と。
それでござるがな。
いちど、

紙資料に残る効用:自称フツーのねーちゃんが有能な調査員になったハナシ. -- 書物蔵
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20091021/p2

で話したよね。紙資料の集積には教化力があると。
もちろん、いったん教化されちまへば、その人はその分野については十全なわけだから、あとはネットだけでも、なんとかなる。ネットを通じて紙にも戻れる。けど、十全に教化される前のパープーが、初手からネット情報源だけで暮らしていると、世界が限定されちゃふ。
特定分野のなかでさへ、一部でしかないDBを、「これで全部。これを操作して出ないものはない!」と思っちゃふ向きがあるとすれば、それは馬鹿である。
しばらくまへ『出版ニュースアーカイブの連載だったっけ、戦前のことを調べるのに読売、朝日を参照して*1、ノウジヲハレリ(能事畢矣)とする「研究」があると指摘していたのは。

ツールのコンテンツを知る、といふこと

むかしむかし、紙しかメディアがないころには、ツールというものは、

  1. パッと見、束(つか;本の厚さ)から収録データ量の多寡がわかる
  2. ページという版面から排列原理がわかる
  3. それらが仮にわからなくても「凡例」を見れバ書いてある
  4. 上記に該当しないのはダメなツール*2と判断してよい

ということであった。だから〈どういふ事柄が記載されているか〉ということに主題専門家はセンシティブになったし、逆に、レファレンス担当なら、ツールのキモである「排列」や「索引」、「凡例」といった、フツー人にはあドーデもいい事柄にセンシティブになった。
なればこそ、わちきももう、ふた昔もまへに、ある、それはオッソロシー――「○○天皇」と呼ばれた――ヴェテランおねーさんにレファレンス技法の講義を受けた際に聞いて、いまでも憶えて拳拳服膺していることがある。

ツールはとにかく凡例のすべての条項を最大漏らさず読むべし!読むべし!

ということ。実際、紙の本、とくにコーデックス体といふのは、ほんたうに優れたメディア形式で、メディアとして使うこと自体には、ほとんど訓練がいらない。文字の読み書きなどは、それなりに高度なことなので、初等教育を受ける必要があるけれど、さうでない幼稚園児であったとて、お絵かきや絵本などとしてこのメディアは教へずとも使えるやうになる。
なればこそ。
ツールの中身について学ぶといふのが、ツールについて学ぶことになっていたのが紙時代。
いや、実際にはその時代、紙メディアのあまりの使い勝手の良さに、図書館員にだって、ツールについて学ぶなんてことは、馬鹿らしくてやってらんないとて、真面目には行われなかったんだけどね。
現代は電子メディアの時代。
とりわけ、DB的知識、情報にはPCがフィットしていた――というか、逆か。DB的なものをもとめてPCができたのかも――ので、PCの中にあるツールを教へるといふのがレファレンス技法の研修、ツール研究になろうけれど、ともすると、ボタンの押し方だけにかまけてしまって、はい、終はりといふことになっちゃふからなぁ┐( ̄ヘ ̄)┌

理想的に悪い研修

それで思いついたのは、やった気分になるけど、ぜんぜんやったことにならない研修のやり方(σ^〜^)

  • とにかくたくさん教へる。
    事例たくさん。ツールたくさん。質問AにはツールA'、BにはB'、以下、できるだけたくさん教える。〈質問と答え〉ではあっても、ぜんぜん〈解法〉を教えたことにならないのは言及せずに、講師も受講生もへろへろになる。が、なんかやった気分になる(*´▽`)
  • DBの操作法ばかりおしへる。
    たくさんあるDBをつぎつぎに紹介し、検索ボックスごとに、タブごとに、プルダウンメニューごとに、○○ごとに、説明し、クリック、説明し、クリック、説明し、クリック。DBの中身にタイトルや凡例を裏切る重大な欠損があるのには言及せずに、講師も受講生もへろへろになる。が、なんか教はった気分になる(・∀・)

これにできればキンキンキラキラのパワポ(できれば動画つき)をまぶせば、完璧m9(`・ω・´)ビシッ

ぼやき

たとえば人事の速度が速くなり、あるいはベテランの大量退職などで、どんどん現場の力量が落ちてくると、やれ研修だそれ講習だとテ、off-JTをやりたがるものなんだケド、事業やスキルが高度なことであればあるほど、実はあんまり役立たない。
役立てるとすれば、よっぽど研修・講習の中身を考えないといけないけど、実は意外と、誰も考えてない。大学の司書課程の先生たちもなー(*゜-゜)

長期的には「消えるだらう」

質問を文脈がらみまで解析して理解できない調査代行者、ツールをその生成過程もふくめて理解してない(=脊髄反射的にしか使ってない)サーチャーは、インターネットの普及とコンテンツの蓄積、Q&Aサイトの隆盛によって、消えるだらう。
消えればいいのである(σ・∀・)
あなたは消えるだらう、である(。・_・。)ノ

あなたはいないだろう:行かなかった図書館総合展から
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20131111/p1

だって、もともとレファレンス(参照的読書)なんちゅーものは、ユーザ本人がやるべきものだからである(*´∀`*)
参照担当司書(reference librarian)がやってきたのは、ツールの整備と、むつかしい参照質問の一時的・パイロット代行と、それに伴う新しい〈解法〉の開発(ツールの開発含む)だった*3のだし。

にゃんでこんなことになっちゃうの子猫ちゃん:「高度レファ」のコスト分析
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20090917/p1

代読(代行読書・調査代行)などというものは、福祉費つきの視覚障害者やお金持ち、あるいは国民代表のための特別サービスなのである。
Reading roomでreadingするのは、userなのである。Refering*4 roomでreferするのはuserにきまっとる。だから、機械的対応しかしない参照担当が、機械システムに置きかはったり、利用者自身のPCリテラシー向上によって不要になるのは、理の当然m9(`・ω・´)ビシッ
もちろん、わちきとて、reference serviceが原初、personal aids to readersであったことを忘れちゃあおらんが、personalな対応をする人がどっかにいれば(それは図書館コンシェルジュなのかもしれん)、必ずしもreference roomに鎮座ましましている必要はないと思ふ。

あっ('0'*) そーだったc(≧∇≦*)ゝアチャー

ん?(・ω・。) さういへば、また、こんなことももいはれたなぁ。

かういった知見をブログなんかに書いちゃ、ダメですよ。アイデア著作権法で保護されないンですからっ!o(`ω´*)o

んー(´・ω・)
もう書いちゃったc(≧∇≦*)ゝアチャー
といひつつ、ほんとーのキモは*5書いてないよーん(σ^〜^)

*1:戦前期の記事検索できるDBは目下、両紙のみ。毎日は……、事実上引けないも同然。さらにまた、戦前のことを参照するのに「三大紙」などという戦後の概念をもちこんぢゃあ、命取りなことは、「真相はかうだ! 藤岡淳吉の日本焚書は片隅で/『印度資源論』のホンタウの訳者は」『文献継承』(23)に書いた(。・_・。)ノ

*2:ダメでもそのトピック、ジャンルにそれしかなければ、無理やり使うことになる。

*3:逆にいえば、新しい解法やツールの開発につなげてこなかったレファレンス・サービスは、ただの税金の無駄遣いとさへいへやう。正確には、その場かぎりの給付行政の一種。だから給付行政としてわりきれば存続可能ではある。あとは金額の問題かな。

*4:これはここで創ったわちきのPidgin語。英語ではreferのing形はreferenceといふらし。2015.2.23追加→名詞形はフランス語風のreferenceだけど、現在分詞はreferringという形がある。

*5:なにがダメかは書いてあるが、ではなにがイイかは書いてないでしょ。