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古本オモシロガリズム

索引批評

古通』6月号に高梨章氏が「悪い索引」という文章を寄せている。

悪い索引

CD・有料オンラインの明治・大正・昭和の讀賣新聞」。その索引がいいかげんだという。これわちきも引いたことないが、本文は画像で、索引データがついているものらしい。
データの構成としては、タダで引ける『国会会議録DB』と同じだね。あそこも、正しい本文は画像で、文字データは全文検索用のインデックスという扱い(だから、文字データは変換ミスの誤字脱字がある)。
紅野敏郎の『読売新聞文芸欄細目』(日外 1986)で確認できるある連載52回のうち、49回が採録されていないそうな。

新聞社に問い合わせてみると、リタイアしたベテラン記者たちを集め、彼らの手作りだという。これが食わせ者だった。記事はあるのに見つけられない。それが、かなりあるはずだ、とこのとき悟った。

じゃあ、どうしたらよいのか。一頁、一頁ブラウジングするしか手立てはない。

ただブラウジングはPC画面よりも、まだマイクロのほうが「ずっとまし」だという。
で、結局、ほんとうの研究にはブラウジングがかかせなく、上記、紅野の細目や、池内輝雄『時事新報目録』(八木書店 2004)は一頁一頁のブラウジングで作られたものという。

索引の白眉

索引の白眉も、パソコンの無い時代につくられた。

索引の傑作『明治文学全集』別巻『総索引』(筑摩書房)。坪内祐三は「これ一冊あれば明治のことはだいたいわかる」と絶賛した。確かにすごい。これが作成されたのはコンピュータ、パソコンの時代ではない。カード、手作りの歳月をかけての集大成である。

索引語のコントロールもなされている(例 バイオリン→ヴァイオリン)。さすがにもれもあるそうだが(例 ぶらんこ、ふららこ、「革秋・革遷」)
わちきも、この『明治文学全集総索引』はスゴイと思ったよ。
応用が利く。
例えば「書籍館」だけど、ちゃんと「しょじゃくかん」の参照がたっており、東京図書館時代も含めて「帝国図書館」ってエントリの下にまとめている。

帝国図書館 44万年153上 78銀蔵291上 98雪嶺152下
  お茶の水の図書館 53子規127下
  上野図書館 30一葉208上 67花袋91下 98天知205上
  上野の図書館 56虚子165上 69藤村82下 96嶺雲101下 99花袋18下
  書籍館 5南翠308上 7篁村134上 15龍渓86上
  上野の書籍館 6鉄腸114上
  東京書籍館 4鋤雲371上 98雪嶺152下
  東京図書館 33雪嶺210上
  図書館 25露伴56上 30一葉173下 198下

人名の前の数字は全99巻の全集の巻。人名は著者名。その次はページ数と段。
これは実際すばらしい。明治の主要な文献のどこに帝国図書館が出てくるかが一発でわかるね
凡例をみると,単に機械的に上げてるわけじゃなくて,索引家が判断して無駄な重複は省いてあるという。

レファ本とはレファする人がいてこそ:主題から文学作品がさがすには

ある特定のものに優れているものは,他に転用しても使えることが多い。
この索引も,単に「明治文学の索引」としてだけではなく,題材から文学作品を探すツールに使えるのだ。
レファレンス・ツールというものは往々にして,

本来の出版意図とは無関係に,司書がレファ本として使うことでレファ本となる

のだ。てか,大昔,学会で聞いた小田光宏先生の所論の変形なんだけどね。
文学作品の主題・題材については一度論じたよね
ということで,お客が「○○が題材・舞台になってるお話ありませんか?」と聞かれたら,とりあえず,この『明治文学全集総索引』を紹介すればよいのじゃ。
ん?
でも日本の近代って,明治・大正・昭和・平成っていう時代区分だった気が…
ということで,大正・昭和についても文学全集は出てないのかな? と小説嫌いのわちきは知らんので調べてみますた (・∀・)
昭和のは,1986-1990年に小学館が『昭和文学全集』
大正のは,2000-2003年にゆまに書房が『大正文学全集』
出しているが…
両方とも索引がない…(´・ω・`)
せっかく,「近代の文学作品を題材から引くには,各時代の文学全集索引をひくといいよ!」とブチあげようとしたのになぁ。
弱小(失礼か?)の「ゆまに」はともかく,小学館が索引の作成をスルーするのは困るね。
簡易なものでいいから,文学研究家がボランティアで大正・昭和の「索引」を出さないかなぁ。

索引のノウハウはどこに?

高梨氏は記事の最後に読売DBの索引に話をもどして…
「公害」という語で煤煙問題がヒットしてしまうのは問題だという。「問題は、記事中の語と、その件名とを一緒くたにしてしまって検索させていることなのである。」。まあたしかにパブリックニューサンスを「公害」と訳したのは戦後のことだった気も。
ははぁこれは。
標目の標記形の問題、件名記入における特定記入の原則の問題、さらには、索引語を主題語(件名)でなく、たんにジャンル・分野(分類)として運用している問題とかに分けられるね。
って、結局ンとこ、IT時代に紙時代のノウハウが継承されてない、ってことだね。
とここまで書いたらコメントがついたので,ちょっとそれについて。
紙時代,索引法のノウハウ(や理論)はどこにあったかといえば…
 ひとつは優良出版社(岩波とか筑摩とか)の編集部(自己流)
 もうひとつは図書館・図書館学の一部識者(英米流)
ってところかしら。
ただ紙の時代には,機械的に索引をとることが技術的にできなかったんで,人が予め索引対象などを絞り込んで索引がとられていた。「概念索引法」っていう。概念索引法でデータを作成して,紙のカードで排列していた。
ただ日本の伝統として,こういった補助的なツールにはコストをかけないできたので,両方とも細々と続いているだけで,まともな索引がつく本やまともに件名目録・分類目録を編成している図書館などは,ほんとうにちょびっとだけだった。
それがパソコン・インターネットの普及で一変。機械検索の天下に。
高梨氏が批判する読売DBとか,とにもかくにも機械検索できるようになった。どの図書館にもOPACがある。しかし…
ユーザからみて,そこそこ使える程度のものってのは実は意外と少ないのも事実。
システム開発業者が,検索システム作りますよ〜といっても,紙時代,一部出版社と館界一部に蓄積されていたノウハウとまったく別個に,一からやるから,

過去100年ほどあいだに紙メディアで一通りやった試行錯誤をまた同じようにくり返している

という側面が多分にある。
システム屋は,もとは計算機屋さんなわけだから,そんなの知るわけもないわけで。
発注側が仕様書に書き込むという形でしか紙時代の経験をIT時代にいかす手段はないわけだけど,この発注側(出版界・図書館界)にあまねく索引技術が広まっていたかというと,ぜんぜんそうじゃないわけで。これじゃぁ読売新聞の調査部?がシステム屋むけにすばらしい仕様書なんか書けるわけもない。
発注側が「なんだかワカランけど,ITでなんとかなるでしょ。作ってね」といい,システム屋も「なんだかワカランけど,とにかくヒットすりゃあいいよね」という形で検索システムが作られたのではないか,と憶測してしまうな (・∀・)
で,結局,紙時代に出版社と図書館が経験した試行錯誤を一からシステム屋さんたちがししているという状況なのでは。
このように,同じ概念装置でありながら分野・業界ごとに無関係にやっている(不毛な)状況を丸山真男は,「たこつぼ型」文化と呼んだのではなかったか。
対する「ささら型」の英米では,エントリはエントリだしディスクリプションはディスクリプションだし,ヘディングはヘディングなわけで*1。おそらく紙メディアに蓄積されたノウハウはそのままITのなかへ移入していっているのではないか,と考えられるのだ。
やっぱ戦争で負けるわけだわ。
ちなみに,わちきが日頃,文句を言わしてもらっているNDLopacだけど,現状程度の利便性(というか英米図書館学的な正統性かな)が確保されているのは,おそらく索引官僚ならぬ整理官僚*2が層として居るからだと思うよ。
きちんと図書館情報学の教科書を読んで,なおかつ実務をしている連中が集団としている。これがもし,TRCとかに外注になって,そーゆー連中が消えたら,シロウトの思いつきでOPACも日本的グダグダ(便利だけど使えない)になる可能性大。
この日本的グダグダ,「便利だけど使えない」についてはまた今度。
〜〜〜
いまある人に教えてもらったんだけど,この高梨章さんって関東学院大学の図書館員だった人みたいだねぇ。うーむ。
きっと整理系にはあんま居なかったんだねぇ。批評がユーザサイド(閲覧系or参考系)からの印象印象批評になっちまってるなぁ。それはそれでユーザとしてはいいのだけど,司書にきびしいわちきとしては,パブリックサービスの職員といえど,もうちっと踏み込んだ分析的批評をしてほしいもの。

*1:それぞれ館界では「記入」「記述」「標目」というワケワカラン漢語があてがわれてをる。

*2:テクニカルサービスの官僚だからテクノクラート???