書物蔵

古本オモシロガリズム

もしわちきがオタどんの疑問にこたへてみたら

晴れてヴァーチャル古本屋となったオタどん。そのオタどんが今度は書誌学者よろしく、ある本の来歴について書誌研究の分野にのりこんできた。

松崎(1910)著は発禁だったのか?

坪内祐三氏が「発禁?」「この「明治四十四年発禁?」という一節は私の憶測ではなく、誰だったか専門家の記述を元に書き込んでおいたのだ」というこの本。

坪内氏は、「まったく市場に出廻らなかった」のではないかとも思っていたという。
オタどんは、意外と現物が残っていること、改版の再販も出ていたらしいことから、発禁ではなかったのではないかとしている。
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20101105/p1
オタどんはさらに、話がややこしくなるが、と言いつつも、実は全く同じタイトルの、違う著者による本が発禁になっていたことを突き止めた。

  • 東京の女 / 柴田流星著 . -- 洛陽堂 , 1911.9

たしかにこっちの方は、帝国図書館にもなくて現在、都立図書館にあるきりのようである。

明治44年に二種類の『東京の女』が発禁になったと見るべきか、それとも、大年表の記載は誤りで、天民の『東京の女』のみが発禁になったと見るべきか。

とオタどんは悩んでおる(゜〜゜ )

ああ、「古本屋」(笑)のわしにはここまでしか解けなかった。「元図書館員」の誰ぞなら、坪内氏の疑問を完全に解き明かすことはできるであろうか。

とて、わちきと思しき人物に助けを求めてゐるやうなので、せどり師のわちきもチト考へてみた(^-^;)

おこたへ

なに、簡単なことですよ。だって…

最初っから発禁じゃなかったんだもの

いやサ、この天民の『東京の女』は、フツーに売られていたんよ(。・_・。)ノ

この本、当時の販売書誌(の復刻)を見ると、明治44年版の総索引の巻(p.103)に、天民『東京の女』が50銭で注文できますよ、と出てくる。ちなみに明治44年、もり・かけそばが3銭5厘だから(値段の風俗史)50銭は3、4千円というところかしら。
オタどんは賢明にも発禁の事実関係を斎藤昌三『現代筆禍文献大年表』に求めており、これは大変網羅的でよいツールなれど、各種資料から趣味家斎藤が作ったものなれば、ちがう典拠、そう、思想弾圧の総本山、内務省警保局図書課あたりの執務資料があるとさらによかろうとて。
んで、こんなの見てみた。

すると、やっぱり天民の『東京の女』はでてこない(´・ω・`)
ならば、これならドーダ!
とて。

これも見あたらず(。・_・。)ノ
さらに元図書館員らしく分析すると、国会所蔵の当該本の請求記号は、「73?の393?」あたりであるようだ(超読みづらいデジタル画像による)。古書展でよく1000円ぐらいで転がっている『国立国会図書館百科』(1988)なる本のp.79に、この請求記号の本は「明治時代の図書」とある。また、帝国図書館にあって発禁本になったものや最初からの発禁本には「特500、特501」の記号をつけるとある。つまり、この本、発行時から明治・大正・昭和と、フツーに閲覧できてたんじゃないのかなぁ。(2011-02-13追記)

発禁ではなかった可能性大

なになにがあった(今回は発禁になった)ということは証明しやすいけれど、なかったことの証明はきはめてムズイ。けど。

  1. 明治44年当時の販売書誌に載っており、
  2. 内務省の発禁書目録(2種)、宮武の年表にも載っていない
  3. さらに初刷りがフツーに帝国図書館で閲覧されつづけていたやう

という3つの根拠から、発禁でなかったと考えるべきではないかしら(´∀` )

1年ちがいで同じタイトルの本が!

ではなぜ発禁説がでたのか。
まさしく、オタどんが見つけてきたもうひとつの『東京の女』、すなわち翌年の柴田流星著と混同された可能性が大きいと見るべき。
もちろん斎藤の年表にはっきり発行と同じ月に風俗禁止になっていると載っているし、ちょっと意外なことに、より一次資料に近い『禁止出版物目録 ; 第1編』をみると。
なんと同じ月に2度も発禁になっている(×o×)
禁止された数日後に、『新版東京の女』を柴田が出していて、そっこく禁止にまたなっている(・∀・`;)
こりゃ、柴田はタイヘンだぁ。ってか、斎藤の年表にもそれなりの瑕疵があるということですな。

残される疑問もあり

オタどんが見つけてきた松崎天民『女八人』(磯部甲陽堂大正2年9月)の巻末広告にある「東京の女(隆文館)禁止」という記述が正しいとすれば、販売書誌で発売が確認された明治44年から大正2年までの3年間の間に発禁指定されたということも、可能性としては考えられるが、その可能性は小さい気がする。
ちなみに、発売頒布禁止の処分は、発行時に禁止されなかったとしても、いつでもできたはず。
ってか、ここいらへんも含めて戦前期の出版法制についてまとまった本がないのだよなぁ…(´・ω・`)
日本近代書誌学のこれからの課題ではあるまいか。