書物蔵

古本オモシロガリズム

 書誌学者,書盗となる? 島田カン

島田翰(シマダ・カン;1881-1915)という書誌学者が若い頃の友人といしてでてくる。すこししか言及がないけど,「宮内庁の秘蔵書の研究で知られる書誌学者」だったが「一種の書痴が昂じ,足利学校の蔵書を秘したことがもとで自裁した」とある。
ほへー,なんか高踏的な表現になってるけど,「本を盗んじゃって,(それがばれたので?)自殺した」ってようにしか解釈できないんですけど…
むむむー。なんつうか,今の感覚では,本を盗んだくらいで自殺する必要はないわけですが(^-^;)。
ただ,盗みたくなる感覚はよくわかります。というか紀田さん自身,若い頃は相当な書痴だったらしいから(夢に周公を見ず,ってのは老い孔子が言ったことだけど,紀田さんも,夢に本をみず,って嘆息してました),書痴が書盗になる,ってのは身につまされますねー。
推測だけど,島田は本を管理する側の人だったのではないか知らん。そうじゃなきゃ,なんで自殺するのかわからんもん。そーゆー意味じゃあ,自裁すべきひとは結構いるかも(^-^)
この人の伝記が1冊だけ(叢伝の一部)あるみたいですねー。買いに行かねば。
最近思うんだけど,文学史の本って,読みようによっては,文化史として読めるンだよね。「稗史小説は士君子の読むべきものにあらず(フィクションはマトモな大人が読むもんじゃない)」といった教え(伝・帝国図書館田中稲城)を忠実に守っている私ですが,そーゆー意味で,じつは最近,文学史の本をたくさん集めていたりもする(笑)。
文学はフィクションだけど,文学史はノン・フィクション。
まったくすなおに本を読まない癖がついちゃって,しょーがないですね