書物蔵

古本オモシロガリズム

戦後ミステリを広めたのは台湾人古書マニア兼古本屋兼編集長だった(゚∀゚ )アヒャ

わちきが最近、古本屋の歴史や古本マニアの歴史にこってをるのは知ってをらう。
次の本をみて、まへから知りたかったことが2つほどわかったなり。

この本は、じつは有名なミステリ雑誌「幻影城」をやっていた島崎博という人についての本でもあって、たとえば出版史的には、

なんちゅー、ちと気の効いた対比をしている文章なんかもあるんだが*1、わちき的にさらにオモシロなのは、古本および古本屋史がわかるとこ。

島崎博氏がやっていた「風林書房」の店舗

この風鈴書房、最初は赤坂にあり、『台湾史叢書』(台湾史料保存会 ; 風林書房 (発売) 1969)などを出して台湾独立運動の拠点だったという。これはびっくり(+o+) でも、日中国交回復の1973(昭和48)年には白山に移転し、古本屋として再出発をしたのだそうな。p.354に「若い方と一緒に古書展をやることに」とあるから、ヒトを使ってたみたいだが。けれど、p.338の注28にいうには、古本屋としての風林書房の活動は事実上『日本古書通信』への広告のみで、それも49年には終了したとのこと。
ハテ(゜〜゜ )さうすると小宮山書店の4Fだかでやっていたというのは風林書房ではないのかしらん。
でも紀田先生の回想には小宮山とあるからなぁ。。。もすかすて白山のあとで神保町だったのかしらん。
まあこーゆー調べ物は「古通」の広告欄にかぎるべ、とて、ハタと気付いたが、国会でやったデジデジの重大なる欠点に広告が目次に採録されないといふのがある。
いや実に、読売新聞DBヨミダスの一大特徴が広告も索引に拾われとるといふところ。社説とか政治記事とかはじつはもはやどーでもよくって、むしろ悉皆データ採録をすることが重要なんだが、デジデジは下手に雑索と連携をとろうとするからマチガッちゃったんだねぇ(゜〜゜ )
実際、国文学研究資料館などでは、出版物の広告だけのDBを創ってるぐらいなんだから広告は重要なのよ。

麒麟の会

で、その島崎氏はずっと以前から古書を収集していて、神保町の週末古書展で、いの一番に並ぶ人々が創った会に這入っていたという。
上記の本の注によれば、主に大衆文芸関係に興味を持つ人々が結成した古書愛好会だそうな。
この会については島崎氏の語りとその注両方で、だれが入っていたかが、その収集領域とともにわかるのが楽しいo(^-^)o
島崎博(ミステリ)遠藤憲昭(押絵)八木昇(大衆小説)井上敬二郎(時代小説)種市登(野村コドウ)佐々木信敏(押川シュンロウ)岩本史郎(異色もの)中嶋光一(花柳もの)秋山正美(少年もの)藤田清美(少年もの)
ん?(・ω・。) 紀田順一郎先生は入ってをらんかったのかぁ。。。ちと意外( ・ o ・ ;)

  • 機関紙「麒麟」(1)S42.8〜(5)S52.2 別冊S54.12

つぎの雑誌も島崎博が関与していたという。

  • 大衆文学論叢 1(1974.10)〜6(1978.7)

麒麟」といへば、はるかまへ、

芋貝山房の正体を知る人物…
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20101001/p1

なるエントリをあげた際、コメント欄に来訪された「広島桜」さんにご教示いただいたものであったが、やはり相当レアな同人雑誌のやうである。
ネット上にもいくつか言及あり。
http://www3.wind.ne.jp/kobashin/cgi-bin/tnotei.cgi?book=tsguest&from=1080&to=1082

島崎コレクションは

幻影城の時代 : 完全版」によれば、島崎氏が台湾に還ったまま日本に来られなかったのは経済的要因ではなく政治的要因だったそうで。
数万冊になんなんとする探偵小説類の島崎コレクションはしかし、散逸したようである。
このコレクション、そのジャンルでは網羅的かつ美麗なものだったようで、たとえば戦前の大衆雑誌なども、どんどんきれいなものに買い替えていたそうな。

追記(2013.5.7)

紀田順一郎「存在感の豊かな人」『幻影城の時代:完全版』(講談社,2008)p.549
「小宮山書店の四階に風林書房を開店されてからは、毎日のように通いつめた。私の古書ミステリは、この店のロケーションや雰囲気をもとに構想したものだ。」とあるから、一時期、小宮山に間借りしていたことは確かなのだが、年代がわからない。
売店(この場合、書店、というか古書店)だと、場所は明確なのに、クロノロジーが不明になるんだよなぁ。

*1:ところがこの構成書誌がNDL-OPACに出んのはこまったところ。