書物蔵

古本オモシロガリズム

アニメ『赤毛のアン』(1979年)を見る

先週末からネットにある英語字幕版を50話分続けてみる。
本放送時に見た後で、大学時代に高校時代の友人からレコードをもらったことを思い出す。ってか、あのレコードどこへいっちゃったかなぁ。そのレコードは、もうひと昔以上前、もう亡くなった同僚にCDへ焼いてもらったなぁ(*゜-゜) 職場に独自にターンテーブルなんかを持ち込んでた機械オタクの人で、この人が、日販トーハンの切り替えで納本漏れになる本を児童的に判明させるシステムを個人で(!)作った人だった。
今見ると、アンが途中で美人さんになっていくところも好きだったんだなぁ。
f:id:shomotsubugyo:20191015235045p:plain:w360

「でもあのアンの顔を見ると、やはりぎょっとする」と言ったんです(笑)。
 あれは、僕が彼に必死であの顔にしてもらったわけです。つまり、骸骨のように痩せてて、目だけ大きくて、そばかすで、隣人のリンド夫人に「凄い子だねえ」と言われるような変な女の子の顔でなけりゃならない。それでいてどこか不思議な魅力もあり、骨格としては将来は美人になる顔でなくてはならないわけです。たいへんな注文ですよね(笑)。でもちゃんと、あのシリーズを見ていると、だんだん美人になっていくでしょう。
映画『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』公式サイト - 高畑勲監督

美人アンの顔を見ていると、むかしお救い申し上げた元係長の顔が思い出される(゜~゜ )
ダイアナの妹ミニーメイが幼少時の顔が、死んだ妹が小さかった頃に似ている、と当時思ったことも思い出したよ(´・ω・)ノ
それから新潮文庫でアンシリーズを全部買って読んだなぁ… 今、持っていないことから、おそらく最初に家を出る段階で古本屋に売ってしまったんだろうと思う。

いつもの飲み会で

森さんの話

科学史
インターナルアプローチ(内在的)
エクスターナル(外部要因、社会論)

村主 朋英 雰囲気として情報史ということば

写生文 柳田にいわせれば、それまで文章化できなかったことをかけるようにした文体、事実を写すことよりも思考過程を記述できるようになった

官庁に潜む畸人文化人

旧制高校教養主義のおかげで、官庁の周辺が知識の吹き溜まり
桃太郎主義←「あれはホンモノだ」

最後の押印は「21.2.7」あたり:内務省が納本を諦めた時期について

これは隠し球にとっておいたんぢゃが、手許の古本を見るに、内務省受付印がある戦後出版物を一つ持っている。
実はこれ、あるシリーズのひとつで、一括して古書展で売られていたもの。このシリーズ一括で出てたところがミソで。
いちばん遅い日付のものを買ったのぢゃ。
ということで、状況証拠から、昭和21年2月あたりに、届出・納本を、内務省側がやめたということがわかる。
オタどんに、2月あたりに何があったかわかるか聞いてみるかぁ。

同じ文章を実務から読むと…カストリ雑誌は無届出版だった

昭和20、21年で、納本の制度史的な結論は出たんだけれど、添田の日記は、もっと納本実務としても読める。
添田がどうやって「図書係」の席へ行き着いたか。
まず「内務省の正面中央廊下を教へられた通りゆく。部屋がない。うろうろしてから、」とあるのだから、誰かに事前に図書係の部屋を教えてもらっていたわけだ。ここでは図書係員の杉崎としてよいだろう。なおかつ、添田自身は内務省ビルビルに入ったのは書き振りからいって。初めてだったろう、
「正面中央廊下を」とあるから、おそらく入ったのは(東の)正面入り口。この入り口から入って「うろうろ」するということから、杉崎が添田に教えた居室は、1F廊下つきあたり右の「検閲事務室」だった可能性だ大きい(次エントリ図を参照)。
https://shomotsugura.hatenablog.com/entry/20150301/p1
ところが「部屋がない」わけで。おそらく9月に検閲が廃止されて以降、添田がたずねた12月に割合と近いタイミングで部屋が移転したものと思われる。実際、貼り紙「納本は四階南奥」が、おそらく元検閲事務室前の廊下に貼ってあったことからも言える。
図書課が、係にまで縮小され、どうやら定員も杉崎以外に2人しか見当たらなかったというのも、もちろん検閲作業の廃止が大きかったろうが、同時に、納本数の激減を思わせる。また納本受付窓口が1Fでなく、4Fまで外部者を歩かせる、というのも、同様である。納本者が引きも切らない時代は入り口受付で納本も受け付けていたというのが上記エントリでのわちきの説。
「近頃の出版に何かめぼしい物ありやときけば、ちっとも納本しないからわからぬといふ。」これは逆に言うと、納本率が高い時代、敗戦までは、出版物にめぼしいものがあるかどうか、図書課員ならわかったし、なおかつ添田もそういうものとして杉崎を遇している。それが出版社の納本不履行(=無届出版)によって、「わからぬ」ことになっちゃった。ただ、それを添田は「面白い」と評価しているのは彼がアナーキスト流れだからだろう。
「有楽町の売店に並ぶ際物筍雑誌色々並んでるのをみて、」たけのこ雑誌、という言い方は初めて見たが、どうやら実際にあった表現らしい。際物出版というのも、戦前からの用語。カストリ雑誌という表現がまだない時に、「筍雑誌」という表現と「際物出版」という表現をあわせて「きわもの・たけのこざっし」と表現したのだろうね。
「これが何も納本して来ないからな、と淋しさうに洩らした」図書係員が現認しているのに、サンクションを発揮できないものだから「淋しそうに洩ら」すしかできないのであった。

カストリ雑誌はほぼ無届出版だった

昔からカストリ雑誌は納本されていたのか否かについて疑問だったが、今回、オタどんの証言発掘によってほぼわかった。
要するに少なくとも内務省には納本されていなかった(GHQは要調査)。肝心の図書係が同時代にそう証言しているよ、と言えるわけである。

昭和帝のあの写真がどったんばったんを?:納本はいつまで行われていたか

畏友オタどんが、また日記からオモシロな記述を報告してくれた(´・ω・)ノ
jyunku.hatenablog.com
添田知道『空襲下日記』(刀水書房1984)から、昭和20年と21年に、内務省につとめる友人の吏員を訪ねた際の記述。
オタどんブログからちと転載(。・_・。)ノ

内務省吏員の悲哀

(昭和20年12月)二十日 晴
(略)
内務省の正面中央廊下を教へられた通りゆく。部屋がない。うろうろしてから、通った女給仕にきく。納本は四階南奥といふ貼紙があったから、移転したのか。とにかくそこへ行ってみよう。給仕が道を教へてくれた。窓から見ると、内庭を隔てて窓々へ蒲団が干してあるのが眼につく。なんとなく衰[ママ]れな感がわいた。四階になるほど行政警察課図書係の看板があった。室に入ると二人の男がゐて、杉崎は今日は休みといふ。(略)
(略)
(昭和21年1月)七日 晴
(略)新橋闇市を通って内務省へゆく。杉崎ゐたり。(略)
外へ出ようかといって、彼一緒に来る。(略)杉崎痩せてゐる。内務省がたがたしてゐるが、おれ達は小物だから、といってゐる。近頃の出版に何かめぼしい物ありやときけば、ちっとも納本しないからわからぬといふ。内務省まるで無視されてゐるのだ。これは面白い。有楽町の売店に並ぶ際物筍雑誌色々並んでるのをみて、これが何も納本して来ないからな、と淋しさうに洩らした。(略)

オタどんは、この記述が「不思議だ」「この時期は、出版法・新聞紙法は廃止されてはいないものの、その効力は停止されていたはずだが、納本の受付を実施していたようにも読めて」しまうと指摘し、おそらく有楽町駅付近の露店にカストリ雑誌が並んでいたのだろう、「これが何も納本して来ないからな、と淋しさうに」に権力を失墜した内務省の悲哀を感じている。

納本(ニアリーイコール検閲制度の転換期

現体制が始まった1945年から46年のことは、実はなかなか分からない。一つには紙不足で記録が残りづらかったからだろうと思し、もう一つには、例えば内務省検閲は禁止されてもGHQの新しい検閲は秘密で新設、といったことから、同時代には書きづらい面もあったのだろう(それでも占領軍以外のことならかなり自由に書けたっぽいが)。わちきも図書館史、というか正確には納本制度史の観点から、この混乱期における納本率というのは興味があるのだ(σ・∀・)
で、まずは制度論をしてみると。『日本出版百年史年表』(デジタル版)を抜き書きするとこんな感じ。

〔1945年〕9.10 聯合国総司令部(GHQ),日本政府に対し〈言論及び新聞の自由に関する覚書〉を発出(9月27日,追加として〈新聞及言論の自由への追加措置に関する覚書〉を発出).新聞・雑誌・ラジオの事前検閲を開始.→9月24日.
    9.15 GHQ,政府に対し,言論統制の具体的方針を通達.
    9.19 GHQ日本新聞規則に関する覚書〈日本に与うる新聞遵則〉(プレス・コード)を発出.9月21日発表.
    9.24 GHQ,〈新聞の政府よりの分離に関する覚書〉および〈検閲指令の明確に関する覚書〉を発出.新聞の統制撤廃・自主独立を指令.
    9.26 内務省,新聞事業令(←昭和16.12.10)と言論・出版・集会結社等臨時取締法(←昭和16.12.19)の廃止を通牒.
    9.29 朝日・毎日・読売報知の3紙,天皇マッカーサー元帥初訪問(9月27日)記事を掲載,政府はこれを不敬として発禁.
    9.29 GHQ,政府に〈言論および新聞の自由に関する新なる措置〉を通達し,新聞・出版その他言論の制限に関する法令の全廃を指示.出版法(←明治26.4.14)および新聞紙法(←明治42.5.6)は実質的に効力を停止.→昭和24.5.24(廃止).
    10.6 出版事業令・同施行規則(←昭和18.2.18)廃止(勅令).出版ならびに取次業は自由企業となり,以後,出版社の創業が続出し,小取次業も復活.
    11.4 GHQ内務省警保局検閲課および地方庁保安課検閲係の廃止を指令.政府による出版物の検閲制度,ここに終止符をうつ.
    12.26 GHQ,新聞紙法に基づく新聞雑誌発行の保証金制度の全廃を発表.
〔1946年〕 4.16 内務省,出版の検閲および取締りを廃止(但し,占領軍による検閲は存続).
〔1946年〕 9.20 内務省,新聞紙法・出版法に基づく届出・納本の廃止を正式に決定,各地方長官あてに通牒.9月28日,日本出版協会あて通知.
〔1949年〕 5.24 出版法(←明治26.4.14)および新聞紙法(←明治42.5.6)を廃止する法律公布.すでに効力停止の両法(←昭和20.9.29),ここに名実ともに廃法となる.

一見して、五月雨式に言論統制が弱まっていることがわかる。本当はGHQの覚書(メモランダム・事実上命令)の中身を見たほうがいいんだろうけれど、ここで重要なのは1945年9月29日のメモランダム。これは有名な天皇マ元帥の写真が載った新聞を、内務省が発禁にしたら、おまえわかってねーなぁ、とてGHQがメモランダムを出したというもの。メモランダムの発生原因からして、多分に即席のものだったろう。
あの写真はこれ(σ・∀・)
commons.wikimedia.org

1年後の通牒で

この昭和20年9月29日のメモランダムをもって「実質的に」自由になったと思われているんだけれど、よく見ると、1946年9月に、まだ廃止されていない出版法がらみで内務省が通達を出している。これがオタどんの疑問への回答手がかりになるのであった(´・ω・)ノ

新聞雑誌の納本廃止
 内務省ではさきに新聞紙と出版物の検閲制度を廃止したが、今度さらにその刊行に際しての届出、納本も廃止することになり全国地方庁に通達した
 これは昨年九月廿七日の「新聞並びに言論の自由に関する」連合軍司令部からの覚書について判然しない点が二三あつたゝめ取扱ひ方針を明らかにしたもので、今後業者は政府に対し新聞紙、出版物の届出納本は全く必要がなくなつたわけである。
『読売新聞』1946.9.28朝p.3

読めばわかるが、「検閲」は「昨年九月廿七日」に廃止したのは「判然」だが、一方で「届出」と「納本」はその覚書では「判然しない点」だったので、1年後だけど明確に「方針を明らかにした」のだという。
つまり、出版法全体が無効だったのではなく、内務省は「検閲」にかかる(直接関係する)条項だけ効力停止されたつもりになっていた、というわけなのだ。まあもともと、あの昭和帝とマ元帥の写真が原因で即座にだした通達だったから、そんなに精緻にメモられていなかったんだろうと。
内務省は勝手に(?)GHQが無効にした検閲の条項と、届出・納本の条項は同じ法律でも違う条項だから、守って当然、と思っていただろうけれど、民間出版社の方は、

検閲しないならなんで納本しなきゃあかんの? 検閲と一緒に無効になった発禁というサンクションがないなら、内務省に納本する義理なんてないし

と思っていたろうね。この出版社の(内務省から見たら拡大的)解釈が、納本率の著しい低下を招いて、それで、1年たって内務省も折れて現状を追認し、届出・納本も不要と各県知事に通牒し、おくれて出版協会にも通知したのだろう。
逆に言うと、

昭和20年9月29日から翌年9月20日まで、届出・納本は法定の義務と内務省側は思っていたが、カストリ出版を始め誰も守っていなかったので、内務省は1年たって届出・納本も廃止にすることにした

というのがオタどんの疑問への答へといへませう。

SCAPIN-66: FURTHER STEPS TOWARD FREEDOM OF PRESS AND SPEECH 1945/09/27

で、1年前の原文がこれ。
dl.ndl.go.jp
7項に、次のような諸法律の、suchの部分はrepelされることになる、とあるね。だからこれらタイトルの法律全部、という書き方でなく、言論統制的なそんな部分は効力停止、と読むのが正しいといえば正しい。新聞紙法などが7項に列挙されているが、出版法が出てこないのはちと面白い。メモランダムの例示だからいいのかしら。
いずれにせよ、オタどんが不思議に思うたのは、みんなも今まで(?)誤解しておったように、法律を条文単位で考えず、法律を固有のタイトル単位(例:出版法)で考える思考に無意識にハマるからなのであった。
これについてはおほむかし友人に「著作権法って、私法なの公法なの?」と聞いたら「刑事罰的な条項は公法では」と条項単位で考えるのが玄人思考だと教えてもらったので気づいたことなんだわさ(´・ω・)ノ

ステーキを食べる:ものからことへ

ステーキを食べようとて、森さんを誘ってステーキ屋へ。
蔵書整理で間違って買った副本を進呈す。

読書と読者 (本の文化史)

読書と読者 (本の文化史)

森さんがこのタイトル「読書と読者」を評して、シャルチエ「書物から読書へ」のタイトルと対比して、

シャルチエはものからことへ、になってるでしょ。対して、日本の本は、漫然と並列させている。

と。
なるほどね。って何言っているかわからんか。
読者や書物という物体について焦点を当てるのではなく、読む行為に焦点をずらしていかねばならない、という長期課題がシャルチエ本のタイトルには表現されている、ということ。
森さんの説明がわかりやすいのは、対概念ないし対比として理論を解説するから。
イーザー「行為としての読書」が超歴史的なのに対しヤウス「挑発する文学史」が歴史主義的だという対比も。
しかし、対概念を措定して議論を進めるのは、参照の一般技法でわちきがよくやる手と同じではあるなぁ。仮想的全体を仮設的に作って、そこにない場合に違うところを探す、という手。
出版物に答えを探す場合、例えば、「総合雑誌」に探して出ない場合、探す案件が「専門雑誌」に出るかも、その専門とは?と考えてみる、といった具合ね。総合と専門どっちにも出なければ、雑誌には出ないかも、ならば雑誌でなく新聞は?と考えてみる、みたいに、初手から全体を考えずに、対概念つけたし方式でジグザクと調査を進めていく技法。
実際的だし効率もわりといいのよ。もちろん、対概念は一つでないので、そのレパートリーは広く考えないといけないけど。例えば専門雑誌のほかにも業界雑誌という概念もあるから。
いまヤウスもイーザーも、マケプレなどでは妙に高いね