書物蔵

古本オモシロガリズム

ステーキを食べる:ものからことへ

ステーキを食べようとて、森さんを誘ってステーキ屋へ。
蔵書整理で間違って買った副本を進呈す。

読書と読者 (本の文化史)

読書と読者 (本の文化史)

森さんがこのタイトル「読書と読者」を評して、シャルチエ「書物から読書へ」のタイトルと対比して、

シャルチエはものからことへ、になってるでしょ。対して、日本の本は、漫然と並列させている。

と。
なるほどね。って何言っているかわからんか。
読者や書物という物体について焦点を当てるのではなく、読む行為に焦点をずらしていかねばならない、という長期課題がシャルチエ本のタイトルには表現されている、ということ。
森さんの説明がわかりやすいのは、対概念ないし対比として理論を解説するから。
イーザー「行為としての読書」が超歴史的なのに対しヤウス「挑発する文学史」が歴史主義的だという対比も。
しかし、対概念を措定して議論を進めるのは、参照の一般技法でわちきがよくやる手と同じではあるなぁ。仮想的全体を仮設的に作って、そこにない場合に違うところを探す、という手。
出版物に答えを探す場合、例えば、「総合雑誌」に探して出ない場合、探す案件が「専門雑誌」に出るかも、その専門とは?と考えてみる、といった具合ね。総合と専門どっちにも出なければ、雑誌には出ないかも、ならば雑誌でなく新聞は?と考えてみる、みたいに、初手から全体を考えずに、対概念つけたし方式でジグザクと調査を進めていく技法。
実際的だし効率もわりといいのよ。もちろん、対概念は一つでないので、そのレパートリーは広く考えないといけないけど。例えば専門雑誌のほかにも業界雑誌という概念もあるから。
いまヤウスもイーザーも、マケプレなどでは妙に高いね