書物蔵

古本オモシロガリズム

昭和帝のあの写真がどったんばったんを?:納本はいつまで行われていたか

畏友オタどんが、また日記からオモシロな記述を報告してくれた(´・ω・)ノ
jyunku.hatenablog.com
添田知道『空襲下日記』(刀水書房1984)から、昭和20年と21年に、内務省につとめる友人の吏員を訪ねた際の記述。
オタどんブログからちと転載(。・_・。)ノ

内務省吏員の悲哀

(昭和20年12月)二十日 晴
(略)
内務省の正面中央廊下を教へられた通りゆく。部屋がない。うろうろしてから、通った女給仕にきく。納本は四階南奥といふ貼紙があったから、移転したのか。とにかくそこへ行ってみよう。給仕が道を教へてくれた。窓から見ると、内庭を隔てて窓々へ蒲団が干してあるのが眼につく。なんとなく衰[ママ]れな感がわいた。四階になるほど行政警察課図書係の看板があった。室に入ると二人の男がゐて、杉崎は今日は休みといふ。(略)
(略)
(昭和21年1月)七日 晴
(略)新橋闇市を通って内務省へゆく。杉崎ゐたり。(略)
外へ出ようかといって、彼一緒に来る。(略)杉崎痩せてゐる。内務省がたがたしてゐるが、おれ達は小物だから、といってゐる。近頃の出版に何かめぼしい物ありやときけば、ちっとも納本しないからわからぬといふ。内務省まるで無視されてゐるのだ。これは面白い。有楽町の売店に並ぶ際物筍雑誌色々並んでるのをみて、これが何も納本して来ないからな、と淋しさうに洩らした。(略)

オタどんは、この記述が「不思議だ」「この時期は、出版法・新聞紙法は廃止されてはいないものの、その効力は停止されていたはずだが、納本の受付を実施していたようにも読めて」しまうと指摘し、おそらく有楽町駅付近の露店にカストリ雑誌が並んでいたのだろう、「これが何も納本して来ないからな、と淋しさうに」に権力を失墜した内務省の悲哀を感じている。

納本(ニアリーイコール検閲制度の転換期

現体制が始まった1945年から46年のことは、実はなかなか分からない。一つには紙不足で記録が残りづらかったからだろうと思し、もう一つには、例えば内務省検閲は禁止されてもGHQの新しい検閲は秘密で新設、といったことから、同時代には書きづらい面もあったのだろう(それでも占領軍以外のことならかなり自由に書けたっぽいが)。わちきも図書館史、というか正確には納本制度史の観点から、この混乱期における納本率というのは興味があるのだ(σ・∀・)
で、まずは制度論をしてみると。『日本出版百年史年表』(デジタル版)を抜き書きするとこんな感じ。

〔1945年〕9.10 聯合国総司令部(GHQ),日本政府に対し〈言論及び新聞の自由に関する覚書〉を発出(9月27日,追加として〈新聞及言論の自由への追加措置に関する覚書〉を発出).新聞・雑誌・ラジオの事前検閲を開始.→9月24日.
    9.15 GHQ,政府に対し,言論統制の具体的方針を通達.
    9.19 GHQ日本新聞規則に関する覚書〈日本に与うる新聞遵則〉(プレス・コード)を発出.9月21日発表.
    9.24 GHQ,〈新聞の政府よりの分離に関する覚書〉および〈検閲指令の明確に関する覚書〉を発出.新聞の統制撤廃・自主独立を指令.
    9.26 内務省,新聞事業令(←昭和16.12.10)と言論・出版・集会結社等臨時取締法(←昭和16.12.19)の廃止を通牒.
    9.29 朝日・毎日・読売報知の3紙,天皇マッカーサー元帥初訪問(9月27日)記事を掲載,政府はこれを不敬として発禁.
    9.29 GHQ,政府に〈言論および新聞の自由に関する新なる措置〉を通達し,新聞・出版その他言論の制限に関する法令の全廃を指示.出版法(←明治26.4.14)および新聞紙法(←明治42.5.6)は実質的に効力を停止.→昭和24.5.24(廃止).
    10.6 出版事業令・同施行規則(←昭和18.2.18)廃止(勅令).出版ならびに取次業は自由企業となり,以後,出版社の創業が続出し,小取次業も復活.
    11.4 GHQ内務省警保局検閲課および地方庁保安課検閲係の廃止を指令.政府による出版物の検閲制度,ここに終止符をうつ.
    12.26 GHQ,新聞紙法に基づく新聞雑誌発行の保証金制度の全廃を発表.
〔1946年〕 4.16 内務省,出版の検閲および取締りを廃止(但し,占領軍による検閲は存続).
〔1946年〕 9.20 内務省,新聞紙法・出版法に基づく届出・納本の廃止を正式に決定,各地方長官あてに通牒.9月28日,日本出版協会あて通知.
〔1949年〕 5.24 出版法(←明治26.4.14)および新聞紙法(←明治42.5.6)を廃止する法律公布.すでに効力停止の両法(←昭和20.9.29),ここに名実ともに廃法となる.

一見して、五月雨式に言論統制が弱まっていることがわかる。本当はGHQの覚書(メモランダム・事実上命令)の中身を見たほうがいいんだろうけれど、ここで重要なのは1945年9月29日のメモランダム。これは有名な天皇マ元帥の写真が載った新聞を、内務省が発禁にしたら、おまえわかってねーなぁ、とてGHQがメモランダムを出したというもの。メモランダムの発生原因からして、多分に即席のものだったろう。
あの写真はこれ(σ・∀・)
commons.wikimedia.org

1年後の通牒で

この昭和20年9月29日のメモランダムをもって「実質的に」自由になったと思われているんだけれど、よく見ると、1946年9月に、まだ廃止されていない出版法がらみで内務省が通達を出している。これがオタどんの疑問への回答手がかりになるのであった(´・ω・)ノ

新聞雑誌の納本廃止
 内務省ではさきに新聞紙と出版物の検閲制度を廃止したが、今度さらにその刊行に際しての届出、納本も廃止することになり全国地方庁に通達した
 これは昨年九月廿七日の「新聞並びに言論の自由に関する」連合軍司令部からの覚書について判然しない点が二三あつたゝめ取扱ひ方針を明らかにしたもので、今後業者は政府に対し新聞紙、出版物の届出納本は全く必要がなくなつたわけである。
『読売新聞』1946.9.28朝p.3

読めばわかるが、「検閲」は「昨年九月廿七日」に廃止したのは「判然」だが、一方で「届出」と「納本」はその覚書では「判然しない点」だったので、1年後だけど明確に「方針を明らかにした」のだという。
つまり、出版法全体が無効だったのではなく、内務省は「検閲」にかかる(直接関係する)条項だけ効力停止されたつもりになっていた、というわけなのだ。まあもともと、あの昭和帝とマ元帥の写真が原因で即座にだした通達だったから、そんなに精緻にメモられていなかったんだろうと。
内務省は勝手に(?)GHQが無効にした検閲の条項と、届出・納本の条項は同じ法律でも違う条項だから、守って当然、と思っていただろうけれど、民間出版社の方は、

検閲しないならなんで納本しなきゃあかんの? 検閲と一緒に無効になった発禁というサンクションがないなら、内務省に納本する義理なんてないし

と思っていたろうね。この出版社の(内務省から見たら拡大的)解釈が、納本率の著しい低下を招いて、それで、1年たって内務省も折れて現状を追認し、届出・納本も不要と各県知事に通牒し、おくれて出版協会にも通知したのだろう。
逆に言うと、

昭和20年9月29日から翌年9月20日まで、届出・納本は法定の義務と内務省側は思っていたが、カストリ出版を始め誰も守っていなかったので、内務省は1年たって届出・納本も廃止にすることにした

というのがオタどんの疑問への答へといへませう。

SCAPIN-66: FURTHER STEPS TOWARD FREEDOM OF PRESS AND SPEECH 1945/09/27

で、1年前の原文がこれ。
dl.ndl.go.jp
7項に、次のような諸法律の、suchの部分はrepelされることになる、とあるね。だからこれらタイトルの法律全部、という書き方でなく、言論統制的なそんな部分は効力停止、と読むのが正しいといえば正しい。新聞紙法などが7項に列挙されているが、出版法が出てこないのはちと面白い。メモランダムの例示だからいいのかしら。
いずれにせよ、オタどんが不思議に思うたのは、みんなも今まで(?)誤解しておったように、法律を条文単位で考えず、法律を固有のタイトル単位(例:出版法)で考える思考に無意識にハマるからなのであった。
これについてはおほむかし友人に「著作権法って、私法なの公法なの?」と聞いたら「刑事罰的な条項は公法では」と条項単位で考えるのが玄人思考だと教えてもらったので気づいたことなんだわさ(´・ω・)ノ