書物蔵

古本オモシロガリズム

【版数とばし】には業界語があった:昭和7年前から【幽霊版】なることば

実はまだ建設途上の近代日本書誌学ないし近代日本出版史。
いろんな主題が放置状態であるなかで、奥付の記述要素がある。
ん?(・ω・。)
あんなもの研究して何になるのかってか。いやサ、コンテンツがどのように受け取られる想定だったのかが分かるんよ。てtか「埋め込まれた読者」論っていうんだっけか文学理論では。
本当ならそれぞれの本一点ごとに新聞紙上の出版広告、書評、出版社史での言及、日記に残された読者感想などが揃えばいいんだけれど、これらが揃うのは、文学書の一部にすぎない。
一方で本文そのものからは、なかなかコンテンツをどう著者や出版社が売り込みたかったのかがわからない。そこで役立つのが、編集技術上、前つけ、後付けと呼ばれる本の部分。ペリ・テキストってんだっけか。
奥付を読み込むと、そういったことが効率よく分かるはずなんだが、まだ読み方が不確定。そんな奥付の要素のなかに版数と当該版発行年月日があるのだ(´・ω・)ノ
初版表示と初版発行年月日については、昔から初版本マニアによる議論があったし、近年では国会図書館蔵の帝国図書館本「納本刷り」をめぐる問題もあるのだが、ここでは「重版」について、わちきがちょっとした発見をしたことを報告しておきたい。
従来から新聞広告や巻末広告で「忽ち五版!」などという惹句が本の広告にある(いまでもある)ことは報告されておったが、これに対応して奥付に刷り込まれる版数表示が、かなり怪しいものである、ということも初版本マニアなどに知られていたわけである。
ただマニアは必ずしも学的な整理を必要としないので、偽の版数表示を表すことばが愛書界になかった。
で、代わりに浅岡邦雄先生が提案したのが

版数とばし

という術語。
しかしこの前『書物語辞典』(1938)を読んでいたら、なんと同じ概念を当時、違う形で呼ぶことば、業界用語があったと気づいた(@_@;)
それが、これ

ゆうれい‐ばん[イウレイ‥] 【幽霊版】 〔名〕
刊行物などで、それだけの出版部数がないのに、何十版などと版数を誇張して奥付に記したもの。
*現代語大辞典〔1932〕〈藤村作・千葉勉〉「ゆうれいばん 幽霊版 出版の販売政策として、実際書籍の部数は僅かしか出版しないのに版数だけを奥付に幾百版などと誇張的に出版せぬ版を書き連ねること」

これは出典がある日国のを引いたのだけれどね。
わちきとしては、この由緒正しい「幽霊版」という言葉を使おうかと思う。

「在野研究ビギナーズ」は15人の実践録 それにつけても図書館の重要さよ

縁あって荒木優太さんの編著「在野研究ビギナーズ」(明石書店、2019.9)を入手。昨日、暁ふ頭公園で一気読み。本日スタバにて読了したので、ここに感想をば(´・ω・)ノ
大学に所属していないけれど学術論文を書く15名の方々による実践記録集。俸給生活者でありながら学問を実践している人たちの半自叙伝でもある。学問ジャンルは、工学、医学など機械や巨費が必須の学問を除いた自然科学や人文、社会科学といったところ。

在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活

在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活

冒頭の荒木さんの前書きと、あともうひとかた誰だったか、日本の学会発表なるものは、質疑でお偉いさんのずれた話を延々きかされるとか、懇親会で愚痴をいいあうとか、そんなあるあるがあるらしく。歴史ある大規模学会の通弊なのだろうなぁ。

在野にはむしろ図書館こそ

各人ともに勤めの合間やらなにやらに学問にいそしんでいるのは当然として、やはり共通する苦労は文献の入手が大変なのと、時間の確保。はっきり言って、日本の公共図書館の貧弱と大学図書館の閉鎖性を感じざるを得ないなぁ。って、わちきにはもはやそれをただすチャンスはないが…
実際、訳あって最近、都立中央と慶応大の図書館を趣味の研究に使おう使おうとしているんだけれど、やっぱり足らない。地元の区立図書館は言うに及ばず(´・ω・`) わちきなんぞ15年ほど古本を家一軒分集めても、いざとなると足りんからなぁ… 国会にも戦前雑誌は6パーセントしか残ってないと常々ぐちっていても、それでも邦語文献はあそこが一番持っている。著作権処理がまだとてネットにだしてないデジデジも早急にネットに出すべき。
都立中央は昔でこそレファレンス図書館として特化したものだったが、いま行ってみると、巨大な閲覧(リーディング)図書館に変わっている。象徴的なのはレファ本を単行本と混排していること。もちろんこれも啓蒙、教育、入門にはいいんだが、わちきみたいにとんがったことを書こうとすると、これはかえって非効率。きちんとしたレファレンス(オンリー)コレクションというのは、日本の場合それこそごく一部の大学図書館と国会にしかないのかしら。どなたかが在野研究で必要になるお金は文献複写費と所蔵機関までの交通費、と書いていた。図書館界は閲覧料の無料化を進歩として呼号してきて、それはもちろん結構なことなんだけど、複写代は徴収してはばからない*1
それはともかく…。

時間というよりペースメーカー、モチベーション維持

全体的に楽しく面白かったんだが、在野研究者をやる上でのディテールもいろいろ面白い。例えば肩書きに苦労する点。所属とかね。天皇家は昭和帝は博物学をしていたし今上はたしか英国水運史をしていたと思うが、彼らの所属がimperial palace と書かれていた話とか。朝廷の中心人物が形式上、実は在野研究者だったというのも皮肉な(σ・∀・)
在野研究者ならではの苦労や面白いこと、あるいは在野だから「在朝」つまり大学所属よりも良いことなんかもそれぞれの学問ジャンルに即した経験として書いてある。
在野、独立で重要なのは文献と時間とさっき言ったが、時間というのはむしろペースを整える、ということ。例えば仲間内で小研究会をつくって定期的に話をするとか。1990年前後だっけ、たしか国文系で既存学会の大規模旧弊化が進んだ反動で、小規模研究会がけっこうできて、その「研究同人誌」があった話は。たまに谷澤永一が参加してたやつなんか古書展で見るね。
もちろん在野といえど学会に所属することは可能なことが多いからこれらの人々でも所属したりしている。適当な規模の、合致したジャンルのものがあればよいのだろうね。
先週、森洋介さんとこの件で話したが、小研究会というのは持って5年だとか。言われてみれば、わちきが昔やった文脈の会もそれくらいで解散したっけか。

この本では扱わない知識ジャンル→趣味

ただ、やっている研究が既存学会にないとかすると、トンデモ化リスクを覚悟で独力でやるしかない、ということもあろう。これをどう考えるか。ってか、学問に適合的であれ非適合であれ、やっちゃう人はやっちゃうからいいのだ、という考えもありかな。
そういう意味でこの本の方々はちゃんと学問をしているから、この本はちゃんとした学問についての本である。ただ、これはわちきのここ10年の興味なんだけれど、ディシプリン成立前史としての趣味や、ディシプリンと並行して存在する趣味ジャンルなんてものがあって(例:軍事学とミリオタ、鉄道工学と鉄オタ)
そういったトンデモも含めめた「成果」が、図書館などの公的文献世界で(批判も含め)ちゃんと参照されるようなカラクリができるといいなぁ、とわちきは常々思っておるのでした(´・ω・)ノ
もちろん、趣味を排除すると学問になりやすい、というのは柳田國男なんかにも感じるけれど(要するにエロを柳田が排除した話。これは存疑とキングビスケット先生に釘をさされた(^-^;))


初期の自然科学が貴族や大ブルジョワの趣味だったように、学問はじつは趣味の極まったものにすぎないのではなかろうか、と常々わちきは考えておるのであった。

*1:公共図書館の論点整理』課金の章によれば、1980年代当時、コピー代無料論がちゃんとあった。これを現在の視点で再説すれば、庁舎管理権によって館内一律撮影禁止などしてはダメで、スマホによる資料撮影ができる物理的、法的体制を整えることが図書館界の真に誠実な著作権処理だとわかる

文献メモ:ある市井の徒

もうかなり前にキングビスケット先生に教わったこの本。

面白いだけでなく、無学な人がどのように本を読めるようになっていくか、といった史料になっている部分がある。

 新コはそのころのあれやこれやを振返って、これを読むのだと一冊の本もくれるおののなかった昔を歎いたことがたびたびあります。〜何処かにそのころの新コと同様なものはいつだっている。新コの本の乱読は、こうして反抗から始まりました。生きている辞典や事典のような教師や先輩をもたない新コは、不具な読書法に陥った、わずかにそれを修正してくれるものがあったとするなら、それは新聞だった、新聞の振り仮名は読み方を教えてくれたのでした。しかしそれは、漢字を重ねたものの発音を教えてくれるだけで、意味は判断するより外はないのでした。(p.56)

9割がたの人々は「小卒」で。肝心の義務教育たる小学校では、字の読み方は習っても、本の選び方は習わない(今でもそう)。そんななか、庶民から上昇を果たそうとする青少年に「何を読むべきか」はいたく重要な問題だったことがわかる。ただし、昭和期の大人になった長谷川伸は、それは「生きている辞典」たる「教師や〔インテリの〕先輩」が指南すべき情報であったとしている。当時、読書法の本が、実際には読み方や選び方ではく、これを読めの文献リストが大半であったのは、ニーズと、それへの不完全な「死んだ」知識であったことを暗示していよう。
労働者仲間に文学知識を授けられる話なんかもある。

 新コはその髭青年の話のうちに、この横浜にイラコスズシロという詩人が、港湾の防疫医官でいると聞いた、その詩人が作品を『文庫』という雑誌に発表していることもいい、一度か二度か憶えはないがその詩の一節をちょッと気取って朗誦して聞かせてもくれた。新コは本屋の店で『文庫』を探し、あけてみてイラコスズシロを探しました、外国人の姓名だとはさすが思ってはいないので、目次の漢字を探したが、どういう文字を排列してそう訓むのか判りません、東北に伊良子という地名があって、『義光記』なぞには伊良子宗牛がたびたび出ている、そんなことはまだ知らない新コでした、そのうちに『文庫』を取り落として表紙に破れをつくった。かつて新コは小さいとき、煙草売りの悲しさが身に沁みていたので、表紙に破れをつくった雑誌をそッと置いて出てゆく、うしろめたさが厭なので、『文庫』を買いました。

伊良子は1895(明治28)年から1907(明治40)年まで「文庫」に書いており、

下鴨で柿沼かたしに

8月18日(日)記す。
友人らは行かなくなっちゃったので単独で下鴨の古本市へ行く。
オタどんがいうには、古本者も上級者になればいつしか古本仙人となって、古本などろくに買わず、仲間や古本屋さんと駄弁って帰る、というパターンになるらしいが。
そのオタどんは下鴨に日参するとて、わざわざ新しい幹線のいつもの出口で待っていてくれた。いつもは東亰ステンショで二、三人で待ち合わせなどして行くに、今回は一人ゆえ気楽なもの。オタどんと駅下の牛カツ屋さんに入る。美味しかったな。
地下鉄道にて北上し、同志社交差点にてタクりて会場入り。駅下で買った蚊除けをスプレーす。
コミケ96を覗き暑かったが、なんと今年は砲台場より下鴨社のほうが涼しく感じられるのは、これは今年の夏はとても暑いからだろう。
暑い中、拾おうとするも、あまり拾えず。結局、寸葉さんが取り置きしてくれた絵葉書を1枚受け取っただけだった。
やれやれ、とてその絵葉書を見るに、写っている風景は海外の図書館にてわちきの収集範囲からズレるなぁと思いつつ、ふと、差出人を見たらば、な、なんと柿沼介(かたし)であった。
昭和戦前期、満鉄図書館にてその令名を謳われ、なおかつ実務だけでなく学問も大切だよとした稀有な図書館人のひとりである。戦後は新設の国立国会図書館に入り、図書館学資料室は彼の置き土産であったという。その柿沼である。
以前から、わちきが収集しおる図書館絵葉書を使う人には図書館関係者が意外と多いことを知っているので、当たり前といえばあたりまえだが、それでもやはり偉人柿沼のハガキを入手できて、びっくり嬉しかったことだった。
暑かったし、へばってきて、もうこれでいいやと縁台で伸びてたら元気なオタどんが現れて、3時ごろには梁山泊へタクる。梁山泊はクーラーが効いてて助かった。店主さんはおられなかったが、めずらしく他のお客さんも2、3人いた。ここでは慶応出が書いた山岳書本を1冊。

  • 山稜の読書家 / 島田巽. 茗渓堂, 1985

下鴨で図書館学の復興を柿沼かたしに頼まれた……ような気がした

下鴨で柿沼かたしに

8月18日(日)記す。もう一週間近く前になるけれど。
友人らは行かなくなっちゃったので単独で下鴨の古本市へ行く。
オタどんがいうには、古本者も上級者になればいつしか古本仙人となって、古本などろくに買わず、仲間や古本屋さんと駄弁って帰る、というパターンになるらしいが。
そのオタどんは下鴨に日参するとて、ざわざわ新しい幹線のいつもの出口で待っていてくれた。いつもは東亰ステンショで二、三人で待ち合わせなどして行くに、今回は一人ゆえ気楽なもの。オタどんと駅下の牛カツ屋さんに入る。美味しかったな。
地下鉄道にて北上し、同志社交差点にてタクりて会場入り。駅下で買った蚊除けをスプレーす。
コミケ96を覗き暑かったが、なんと今年は砲台場より下鴨社のほうが涼しく感じられるのは、これは今年の夏はとても暑いからだろう。
暑い中、拾おうとするも、あまり拾えず。結局、寸葉さんが取り置きしてくれた絵葉書を1枚受け取っただけだった。
やれやれ、とてその絵葉書を見るに、写っている風景は海外の図書館にてわちきの収集範囲からズレるmなぁと思いつつ、ふと、差出人を見たらば、な、なんと柿沼介(かたし)であった。
昭和戦前期、満鉄図書館にてその令名を謳われ、なおかつ実務だけでなく学問も大切だよとした稀有な図書館人のひとりである。戦後は新設の国立国会図書館に入り、図書館学資料室は彼の置き土産であったという。その柿沼である。
以前から、わちきが収集しおる図書館絵葉書を使う人には図書館関係者が意外と多いことを知っているので、当たり前といえばあたりまえだが、それでもやはり偉人柿沼のハガキを入手できて、びっくり嬉しかったことだった。
暑かったし、へばってきて、もうこれでいいやと縁台で伸びてたら元気なオタどんが現れて、3時ごろには梁山泊へタクる。梁山泊はクーラーが効いてて助かった。店主さんはおられなかったが、めずらしく他のお客さんも2、3人いた。ここでは慶応出が書いた山岳書本を1冊。
下鴨で図書館学の復興を柿沼かたしに頼まれた……ような気がした

コミケット96の三日目へ

友人らは行かなくなっちゃったので、ひとりで行く。
今回、オリンピックの影響とかでいつも三日間のところ四日間で開催。いつもどおりお昼過ぎに行ったが、あとでネットで知ったところ、午前中の入場の際、めずらしく混乱が生じ、熱中症が何人も出たとか。来年のオリンピックでは死者が出るだろうなあと予想。
会場ではほとんど拾えず。というのも、人気のあるところは品切ればかり。結論からいうと、ちょっと有名どころで欲しいものがあれば、とらのあなメロンブックスで購入すべき、ということ。コミケットに実際に行く意味があるとすれば、やはり図書館情報学にいう未知文献を探索に行く場合に限ると再認識す。
ツイッターを見てるとtarimo99さんが行ったようなので、いろいろ話が聞きたいなと、夜に呼び出す。コンテンツの話はあまりせず、むしろ、同人誌即売会の全国情勢であるとか、地方都市の同人誌販売状況などという、どこにも総括されていない話が聞けて、書物史的な楽しさがあった(^-^)
サンパル古書の街の思い出なんかも聞いた。
彼は地方図書館探訪も含め本当に精力的にいろいろ見て回っているからなぁ。一年に一度はお会いして話を聞きたいと思ったことだった。

明治10年代から30年代の新聞挿絵は使える!

  • 文明開化がやって来た : チョビ助とめぐる明治新聞挿絵 / 林丈二 著. 柏書房, 2016.10

これを読了。
いや、大変に勉強になった。資料性が高く、かつ楽しい本なのは著者が路上観察学(昭和末期考現学)の創始者だからだろうな(^-^)
ってかわちきも絵葉書会で林さんには大変に世話になった。お人柄といいさすが(゜~゜ )
幕末から写真は日本に入っていたけれど、ものすごく特別なものだったし、わちきがフォトライブラリーの代用として使う写真絵葉書も明治33年以降のものなので、その間の画像資料として、新聞挿絵がこんなにも使えるものであるとは知らなんだ(・o・;)