書物蔵

古本オモシロガリズム

「在野研究ビギナーズ」は15人の実践録 それにつけても図書館の重要さよ

縁あって荒木優太さんの編著「在野研究ビギナーズ」(明石書店、2019.9)を入手。昨日、暁ふ頭公園で一気読み。本日スタバにて読了したので、ここに感想をば(´・ω・)ノ
大学に所属していないけれど学術論文を書く15名の方々による実践記録集。俸給生活者でありながら学問を実践している人たちの半自叙伝でもある。学問ジャンルは、工学、医学など機械や巨費が必須の学問を除いた自然科学や人文、社会科学といったところ。

在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活

在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活

冒頭の荒木さんの前書きと、あともうひとかた誰だったか、日本の学会発表なるものは、質疑でお偉いさんのずれた話を延々きかされるとか、懇親会で愚痴をいいあうとか、そんなあるあるがあるらしく。歴史ある大規模学会の通弊なのだろうなぁ。

在野にはむしろ図書館こそ

各人ともに勤めの合間やらなにやらに学問にいそしんでいるのは当然として、やはり共通する苦労は文献の入手が大変なのと、時間の確保。はっきり言って、日本の公共図書館の貧弱と大学図書館の閉鎖性を感じざるを得ないなぁ。って、わちきにはもはやそれをただすチャンスはないが…
実際、訳あって最近、都立中央と慶応大の図書館を趣味の研究に使おう使おうとしているんだけれど、やっぱり足らない。地元の区立図書館は言うに及ばず(´・ω・`) わちきなんぞ15年ほど古本を家一軒分集めても、いざとなると足りんからなぁ… 国会にも戦前雑誌は6パーセントしか残ってないと常々ぐちっていても、それでも邦語文献はあそこが一番持っている。著作権処理がまだとてネットにだしてないデジデジも早急にネットに出すべき。
都立中央は昔でこそレファレンス図書館として特化したものだったが、いま行ってみると、巨大な閲覧(リーディング)図書館に変わっている。象徴的なのはレファ本を単行本と混排していること。もちろんこれも啓蒙、教育、入門にはいいんだが、わちきみたいにとんがったことを書こうとすると、これはかえって非効率。きちんとしたレファレンス(オンリー)コレクションというのは、日本の場合それこそごく一部の大学図書館と国会にしかないのかしら。どなたかが在野研究で必要になるお金は文献複写費と所蔵機関までの交通費、と書いていた。図書館界は閲覧料の無料化を進歩として呼号してきて、それはもちろん結構なことなんだけど、複写代は徴収してはばからない*1
それはともかく…。

時間というよりペースメーカー、モチベーション維持

全体的に楽しく面白かったんだが、在野研究者をやる上でのディテールもいろいろ面白い。例えば肩書きに苦労する点。所属とかね。天皇家は昭和帝は博物学をしていたし今上はたしか英国水運史をしていたと思うが、彼らの所属がimperial palace と書かれていた話とか。朝廷の中心人物が形式上、実は在野研究者だったというのも皮肉な(σ・∀・)
在野研究者ならではの苦労や面白いこと、あるいは在野だから「在朝」つまり大学所属よりも良いことなんかもそれぞれの学問ジャンルに即した経験として書いてある。
在野、独立で重要なのは文献と時間とさっき言ったが、時間というのはむしろペースを整える、ということ。例えば仲間内で小研究会をつくって定期的に話をするとか。1990年前後だっけ、たしか国文系で既存学会の大規模旧弊化が進んだ反動で、小規模研究会がけっこうできて、その「研究同人誌」があった話は。たまに谷澤永一が参加してたやつなんか古書展で見るね。
もちろん在野といえど学会に所属することは可能なことが多いからこれらの人々でも所属したりしている。適当な規模の、合致したジャンルのものがあればよいのだろうね。
先週、森洋介さんとこの件で話したが、小研究会というのは持って5年だとか。言われてみれば、わちきが昔やった文脈の会もそれくらいで解散したっけか。

この本では扱わない知識ジャンル→趣味

ただ、やっている研究が既存学会にないとかすると、トンデモ化リスクを覚悟で独力でやるしかない、ということもあろう。これをどう考えるか。ってか、学問に適合的であれ非適合であれ、やっちゃう人はやっちゃうからいいのだ、という考えもありかな。
そういう意味でこの本の方々はちゃんと学問をしているから、この本はちゃんとした学問についての本である。ただ、これはわちきのここ10年の興味なんだけれど、ディシプリン成立前史としての趣味や、ディシプリンと並行して存在する趣味ジャンルなんてものがあって(例:軍事学とミリオタ、鉄道工学と鉄オタ)
そういったトンデモも含めめた「成果」が、図書館などの公的文献世界で(批判も含め)ちゃんと参照されるようなカラクリができるといいなぁ、とわちきは常々思っておるのでした(´・ω・)ノ
もちろん、趣味を排除すると学問になりやすい、というのは柳田國男なんかにも感じるけれど(要するにエロを柳田が排除した話。これは存疑とキングビスケット先生に釘をさされた(^-^;))


初期の自然科学が貴族や大ブルジョワの趣味だったように、学問はじつは趣味の極まったものにすぎないのではなかろうか、と常々わちきは考えておるのであった。

*1:公共図書館の論点整理』課金の章によれば、1980年代当時、コピー代無料論がちゃんとあった。これを現在の視点で再説すれば、庁舎管理権によって館内一律撮影禁止などしてはダメで、スマホによる資料撮影ができる物理的、法的体制を整えることが図書館界の真に誠実な著作権処理だとわかる