書物蔵

古本オモシロガリズム

文献メモ:ある市井の徒

もうかなり前にキングビスケット先生に教わったこの本。

面白いだけでなく、無学な人がどのように本を読めるようになっていくか、といった史料になっている部分がある。

 新コはそのころのあれやこれやを振返って、これを読むのだと一冊の本もくれるおののなかった昔を歎いたことがたびたびあります。〜何処かにそのころの新コと同様なものはいつだっている。新コの本の乱読は、こうして反抗から始まりました。生きている辞典や事典のような教師や先輩をもたない新コは、不具な読書法に陥った、わずかにそれを修正してくれるものがあったとするなら、それは新聞だった、新聞の振り仮名は読み方を教えてくれたのでした。しかしそれは、漢字を重ねたものの発音を教えてくれるだけで、意味は判断するより外はないのでした。(p.56)

9割がたの人々は「小卒」で。肝心の義務教育たる小学校では、字の読み方は習っても、本の選び方は習わない(今でもそう)。そんななか、庶民から上昇を果たそうとする青少年に「何を読むべきか」はいたく重要な問題だったことがわかる。ただし、昭和期の大人になった長谷川伸は、それは「生きている辞典」たる「教師や〔インテリの〕先輩」が指南すべき情報であったとしている。当時、読書法の本が、実際には読み方や選び方ではく、これを読めの文献リストが大半であったのは、ニーズと、それへの不完全な「死んだ」知識であったことを暗示していよう。
労働者仲間に文学知識を授けられる話なんかもある。

 新コはその髭青年の話のうちに、この横浜にイラコスズシロという詩人が、港湾の防疫医官でいると聞いた、その詩人が作品を『文庫』という雑誌に発表していることもいい、一度か二度か憶えはないがその詩の一節をちょッと気取って朗誦して聞かせてもくれた。新コは本屋の店で『文庫』を探し、あけてみてイラコスズシロを探しました、外国人の姓名だとはさすが思ってはいないので、目次の漢字を探したが、どういう文字を排列してそう訓むのか判りません、東北に伊良子という地名があって、『義光記』なぞには伊良子宗牛がたびたび出ている、そんなことはまだ知らない新コでした、そのうちに『文庫』を取り落として表紙に破れをつくった。かつて新コは小さいとき、煙草売りの悲しさが身に沁みていたので、表紙に破れをつくった雑誌をそッと置いて出てゆく、うしろめたさが厭なので、『文庫』を買いました。

伊良子は1895(明治28)年から1907(明治40)年まで「文庫」に書いており、