書物蔵

古本オモシロガリズム

下鴨で柿沼かたしに

8月18日(日)記す。もう一週間近く前になるけれど。
友人らは行かなくなっちゃったので単独で下鴨の古本市へ行く。
オタどんがいうには、古本者も上級者になればいつしか古本仙人となって、古本などろくに買わず、仲間や古本屋さんと駄弁って帰る、というパターンになるらしいが。
そのオタどんは下鴨に日参するとて、ざわざわ新しい幹線のいつもの出口で待っていてくれた。いつもは東亰ステンショで二、三人で待ち合わせなどして行くに、今回は一人ゆえ気楽なもの。オタどんと駅下の牛カツ屋さんに入る。美味しかったな。
地下鉄道にて北上し、同志社交差点にてタクりて会場入り。駅下で買った蚊除けをスプレーす。
コミケ96を覗き暑かったが、なんと今年は砲台場より下鴨社のほうが涼しく感じられるのは、これは今年の夏はとても暑いからだろう。
暑い中、拾おうとするも、あまり拾えず。結局、寸葉さんが取り置きしてくれた絵葉書を1枚受け取っただけだった。
やれやれ、とてその絵葉書を見るに、写っている風景は海外の図書館にてわちきの収集範囲からズレるmなぁと思いつつ、ふと、差出人を見たらば、な、なんと柿沼介(かたし)であった。
昭和戦前期、満鉄図書館にてその令名を謳われ、なおかつ実務だけでなく学問も大切だよとした稀有な図書館人のひとりである。戦後は新設の国立国会図書館に入り、図書館学資料室は彼の置き土産であったという。その柿沼である。
以前から、わちきが収集しおる図書館絵葉書を使う人には図書館関係者が意外と多いことを知っているので、当たり前といえばあたりまえだが、それでもやはり偉人柿沼のハガキを入手できて、びっくり嬉しかったことだった。
暑かったし、へばってきて、もうこれでいいやと縁台で伸びてたら元気なオタどんが現れて、3時ごろには梁山泊へタクる。梁山泊はクーラーが効いてて助かった。店主さんはおられなかったが、めずらしく他のお客さんも2、3人いた。ここでは慶応出が書いた山岳書本を1冊。
下鴨で図書館学の復興を柿沼かたしに頼まれた……ような気がした