書物蔵

古本オモシロガリズム

てっちゃんよりの来かん(2016.4.3追記)

太田某氏S50執筆「納本事務の件」とりあえず「不明」。当時法人でなくてたぶん〓見の文、八木さんのいう(当時知りたくない?とかいった「太田氏」だれなのか(通信常連のおも四郎氏は小生には師筋にありて、よい慶應出版社の太田臨一郎氏一〇二歳だがまだ生存していた人々中の(断じてあの太田ではない)、なんであんな名の文で載ったのか、「通信」の総目次執筆者索引で私の執筆もこの頃は〓人でない。S50は「全日本〔出版物総目録〕」のおくれで妙な「補遺版」作り至上命令、今イギリスにいるが小山という怪物、のちに電算課長になったが五島という赤ん坊みたいな青年など職場が地獄の一丁目でした。

ところで先日ご質問の昭和50年の古書通信に出た内務省納本のことをオモシロオカシク書いた太田氏(大田ではないらしい)は、その前号7号に太田臨一郎、あるいは同一号にはおも四郎と書いてた太田臨一郎ご承知か? 慶応つまり三田の大先輩幸田先生の愛(マナ)弟子を自称し、少雨荘門下に入った坊主頭のハナタレを少しは〓え〓ビブリオマニアに〓〓しやうと勉強させて武井武雄の私刊本(決して豆本といってはいけない)をぶるさげながら、ドテラ姿で谷中墓地の入口の明治何年かおやじさんが建てたろという焼けのこりのおうちでとめどなく、〓〓〓の調子で弁じ立て、ベンベン.. 102歳までご存命だったから、三田会のビブリオマニアな?神様みたい〔な〕お方だが、いくら何でも同一号に三つも書けない(書いたのは柳田国男先生ぐらいか)/版元の編集長にタネ本でもあれば判ずるが。酒亭大人はそうした証拠はノコサズオハカニイレマスヨといつも笑談してたから判らないのではないか。たゞ図書課の受付でかたく朱肉のかちかちになったハンコの捺し直しをさせ云々のくだりは小生も肉声で聞いたと思うのでウソではなかろう。今頃その辺のところがよくレファレンスでおし寄せるというが、そんなことは浅岡Drにでも聞かれたらよい。旧帝図本で、何だったか、博文館の刊行物を発行順に10冊ぐらい、4,5添付