書物蔵

古本オモシロガリズム

太田真舟=八木福次郎説について

一般の方々へ

発禁がらみのこのエントリの続きだす(´・ω・)ノ
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20150301

人魚の嘆き様へ

お久しぶりです。返事が遅れすみません。
さて標記の件ですが、現在のところ福次郎説は取り下げようと思います。ただ福次郎さんが古今書院で納本持ち込みに従事したことはあったようです。以下に説明いたします。

福次郎さんの証言(´・ω・)ノ

じつは福次郎説の最大の根拠が、福次郎さんが納本持ち込みをしていたというものでした。ご本人がそういっていたと稲村徹元氏に数年前聞いたのです。それで今回、聴き方を変えて問い合わせてみました。太田真舟の文献を示したうえで、ペンネームと思われるが書いた人をご存じかと。すると次のような返事でした。
書いた人はわからない。当時は『全日本出版物総目録. 昭和23-44年補遺編』で忙殺されており古通に行きづらかった。また

酒亭老人〔福次郎さん?〕はそうした証拠〔だれが書いたかわかるような校正刷りなど〕はノコサズオハカニイレマスヨといつも笑談していたから判らないのではないか

とのことでした。しかしながら、福次郎さんが内務省受付に行ったというのも

たゞ図書課の受付でかたく朱肉のかちかにになったハンコを捺し直しをさせ云々のくだりは小生も肉声で聞いたと思うのでウソではなかろう

とのことです。書面とは別に電話で聞いたところ、都心のガード下などで一緒に飲んだ時代(おそらく昭和3、40年代)に福次郎さんに直接、聞いたようです。

他にも候補が(@_@;)

福次郎さんが納本持ち込みをしていたことがあるのは上記証言からも(当時の古今書院の規模や担当などからも)ほぼ確かと思われながらも、福次郎説を放棄するのは、古通に近い人物で他にも真舟の記述とあう条件の人がいると気付いたからです。
たとえば、同じ号の同じページにコラムが掲載されている「おも四郎」こと太田臨一郎。彼は時事新報記者でしたが時事廃業後、慶應出版社なる大学出版社に転じ(戦後は慶應大学の図書館員)、真舟の記述にあるようにわりと頻繁に納本窓口に行く用事があったようです*1
近いところに福次郎さんの他にも候補が設定できることに気づき、なお考究すべきと感じた次第です。

*1:おも四觔「文献隨筆 雜誌散策」『書物展望. 會報第3(158)』1944-09 ※同タイトルの豆本は編集稼業のことが省かれている