書物蔵

古本オモシロガリズム

紙資料に残る効用:自称フツーのねーちゃんが有能な調査員になったハナシ

リベル(図書)という重力にとらわれているようだと、レファレンス・ライブラリアンレファレンサーになれず、消えていくだけではないか。とすれば、むしろ重力から解き放たれてサイバースペースの住民となったらどうか、という話をこのまへ、した。
で、原理的にはこれで正しいハズ。けれど、意外にも紙資料の効用は消えない部分がある。それは、育成というか教育機能。

自称フツーのねーちゃんが有能な調査員になったハナシ

このまへ新宿展で拾った本をナナメ読み(^-^;)
・情報調査力のプロフェッショナル / 上野佳恵. -- ダイヤモンド社, 2009.3

Amazon評にもあったけど、ノウハウ集というよりもエッセイというべきかすら。よくあるビジネス書だろーなぁと思っていたら、ちとオモシロい側面があるのに気づいた。それは…
どーやって著者はリサーチャー(調査マン)として大成したか、ということ。著者ご本人はいまは独立自営の調査員(会社をやっとるらしい)なわけであるが…
ただ、回想録の部分を読んでみると、そもそも、そのとっかかりは経済団体の専門図書館に入ったことがきっかけで、それも、山のような紙資料に囲まれたところから出発したところがよかったよう(というのはわちきの価値判断も入った評価ね)。

モノの、考えさせる力

ある分野(ここでは経済・産業の、主として統計)における情報の生産から流通を、紙資料の形で総覧(すべてみるということ)をしたことが、著者が大成するきっかけとなったように、わちきには思われる。
ん?(・ω・。) そんなの、ネット内でもできることぢゃないかってか(*´д`)ノ
そうなり(σ・∀・)
けど、目の前に具体的なモノがあるのと、PCの一覧に文字列がでてくるの、とでは、やんぬるかな! 目、耳、口などの具体的な身体しか持たない人間にとっては、かなーりココロへのつきささり度合いが違うのよ(・∀・)

ツールを発見するのがプロ

それに、すべてのジャンルやすべての事象につごーのいいツールがあるとは限らない。あるジャンルでは、そもそも情報がテキストにならんこともあるし、なっても、カスみたいなものしか残らんこともある。でも、カスみたいな資料をサカサに読むと、答えがでることも、あるんよ。わちきはこれを、「ツール(資料)の逆さ読み」と称しておるが。
だから、ツールのないジャンル・事象では、ツールを見つけるところから実はリサーチなんだけれど、それをするのに、ジャンルごとに(分類順に)排列された紙資料はかなり便利なメディアなのだ。
ネットだと、情報本体を開くのに、どうしても画面遷移などが必要になってしまうからねぇ。

情報流通の全体像を直感的に把握できる

それに、分類にしたがって、ツールないしゴミがならんでいると、どのジャンルの、どのようなものはパブリッシュされるけど、そうならないものはどんなものか、とか、特定のジャンルごとに情報の生産・流通・消費・再生産というサイクルが(気の効くヒトには)見えてくるんよ。
上記本の著者は、紙資料にかこまれたところからスタートしているから、全体像というか全体モデルが直感的に脳内に形成されたのだろう。だからこそ、紙資料が無くネットばっかりになっても、ある意味、クリエイティブ(たとえば、「ない」ものを「ない」ということとか)にお仕事ができるのではないかと、わちきは思ったことですよ。
ネット上に、ネットレファ資源の、その時点でパーペキなリンク集をつくる、というのは理論上は可能と思うけど、それをブラウズするのと、ワケのワカラン紙の山を見せて、この部屋のどっかに答えが書いてあるから探してご覧、というのとでは、じつはかなりその後のその人のリサーチャーないしレファレンサーとしての育ち方が違うと思うのだ。

実例???

ってか似たような事例をひとつ知ってをる。
むかーし、あるお勉強会に出ていたら、その一人が、

ここの連中みたいに紙にかじりつくのはバカだ。情報がほしければ担当部署に電話をすればいい。

と豪語していた。当時、わちきは「おやおや、なんてバカな」と思ったけど、案の定、その後、その人物がりっぱなリサーチャーになったというハナシを聞かない(・∀・)
逆に、前任者だか同僚だかが10年間ためにためまくった資料の製本を地道にやった人物は、みなも(わちきも?)うらやむスーパー・リサーチャーになったことですよ(*゜-゜)
もちろん、通俗的な謎解きをすれば、前者が、電話を使えたのに対し、後者が資料も電話も使えた、というバカみたいな結論を出すことも可能なんだけれども、それってば、じつは正しいけれど皮相的な解釈だとわちきは思うてをる。
ちなみに当時のわちきはもっと機能主義的な答えをすぐ思いついていて、「いきなり見知らぬ人物に電話で聞かれて、機微情報を答えるバカがいるか、このバカ」と思っていたのだが、これもまた、ちと政治的な正しさにひきづられすぎた通俗的答えではあろう。
(あれっ(・o・;) 4年前もわちき、同じ事例に言及しとるね(σ・∀・)
 http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20050718
おそらく滞貨(未整理の資料の山を、こう言う)にまみれた後者においては、あるジャンルの情報の粕(かす)にまみれたことによって、そのジャンルの情報サイクルを総覧するを得たのだろう。
そのジャンルを総覧しえたのであるからして、資料があれば、あの資料に、といえるし、資料がなくても、その情報は資料にならない、といえるんだよねぇ。
そして、ないものを、ない、といえるのが、ホントーのプロないし専門家なわけである(*゜-゜)

と、ゆーことで

縁無き衆生や二線級のレファレンサーは紙なしでも全然かまわんけど、実はプロになりたいヒトには意外と紙環境があってもいいのではないか、と思っているのだ現在のわちきは。
もちろん、紙がなくともプロになる道は理論上、ありえて、それはすでに大成したヒトの下について、徒弟よろしく奉公することなわけなのであるが。。。 徒弟奉公って、結構タイヘンだよ(σ・∀・) やったことあるけど(・∀・)

2021.5.16追記

ツイッターで少し話題にしたので、サブタイトルを足す。
https://twitter.com/shomotsubugyo/status/1393736909432655875