書物蔵

古本オモシロガリズム

悪魔の文字と闘った図書館人は正気?(囗にト2)

カキコ相次ぎましたので,まとめて…

囗にト,圕,囗に礀

件の岩波新書秋岡梧郎起源説が述べられています。わたしは十数年まえ大学図書館で職員に業界内「略字」だと教わりました。
圕については文献も多いのですが,囗にトについては極めて限られます。それでも,図書館学大嫌いの谷沢永一先生でさへ尊敬する天野敬太郎は,さすが自著『図書館総覧』(昭和26年)(の最終ページ)に圕を簡略に書く場合の字体であるとしています(起原には言及せず)。
圕については,本ですと一般書では,漢字三昧 / 阿辻哲次. -- 光文社, 2003.5. -- (光文社新書) に中国の字書をひきながら記述があった憶えが。
サイトでは中国公立図書館史研究というサイトの2003/9/22に文献注つきであります。
囗(くにがまえ)に礀(たてぼう)で「図書」というのは知りませんでした。これについて印刷物になったことはないのでは。
字体は,おそらく天と地の横棒に縦棒の上下は付かないと考えてよろしいですね(なにしろ,筆記されたのをみたことがないもので)。

戦前に軍人・実業家に伍していた図書館人

戦前から戦後にかけて,一般に「国語国字問題」に熱心だったのは軍人・実業家と総括されてますが,(例えば紀田順一郎『日本語大博物館』1994初版)じつは図書館員も微力ながら参画していたのは(業界内では)有名なハナシですね(って,若い衆は知らんよーだが)。
文字だけでなく図書館本には戦前から横書きが多かったということもあります(あまり指摘されてません。横書き登場 / 屋名池誠. -- 岩波書店, 2003.11. -- (岩波新書) あたりで例に出てきてもおかしくないと思ってたのですが。)。
軍人・実業家・図書館人とくれば,一部学者は,すわ軍国主義と圕! はたまた資本主義と圕! とやりたくなっちゃうようですが,むしろ,近代化の一環と捉えるほうがよいでせう。 まあ,近代=悪ととらえるのならば,非難もできましょうが。
Library economyというのはまさしく圕を効率的に管理せんとする企てとしてはじまり(米国流図書館学),その眼目は図書,文献を効率的に管理することであったわけで(ここらへんは必ず概論でならうはず)。
ですから,漢字仮名まじり,という複雑怪奇な表記法をつかう日本語の場合,文献管理のためフリガナやローマ字を標目として使うなんてゆーまどろっこしーことだけに止まらずに,文字そのものを簡単にすればいーじゃん,って考えるようになるのがむしろ自然なわけで。
実際,翼賛運動のせいでか戦後館界では埋もれている堀内庸村が,戦後,ローマ字論本を出していたと知ったとき,キタ━━━━\(・∀・)ノ━━━━!!!! 同じ遺伝子だ!と思いましたですよ。
と…
記事がむやみに長くなりそうなのでここいらへんで…
高島俊男先生の説とか,岩波の「日本に正書法はないよ」ハンドブックとか紹介すべきなのでしょうが。まあ,ここでは図書館人も軍人・実業家にまけてませんよ〜,ってことで。

正気?

ほんとは梅棹忠夫先生のローマ字論とかも出したいですねぇ。この先生は,現在ただいまも日本語表記はローマ字化すべきと唱えておるのだ。偉い! 日本語表記については,わちきも一家言あるぞよ(誰も提案していない「漢字ローマ字まじり文」を提唱せんとするわちきなのです… (・∀・) って正気?)
日本語文献を紙ベースで処理しようなどという企てが基地外じみたものであるならば,まさしく間宮不二雄も,正気じゃないと言うこともできる(画像は『標準式ローマ字制定七十周年記念講演集』標準ローマ字会 昭和32年より。春の京都遠征の戦利品)。
ただまぁ,電脳ってのも一種の狂気なわけで(正確には偉大なバカ)。もともと基地外じみた標記体系は法外な手段でないと鎮圧できんということなのだわさ。夷を以て夷を制すじゃ。正字正かな使ひができる君子は,夷狄なんかほっぽって南にむかって座っとりゃーいいのじゃ。