書物蔵

古本オモシロガリズム

『図書館戦争』の感想

有川浩という小説家のSF「図書館戦争」を読了す。図書館戦争
おおむかし「図書館戦隊ビブリオン」ってのがあって,ちょっと大人には読めないもの(文字通りこどもだまし)であったので,これもまた,と危ぶんでいたけれど,意外にエンタメ文学として成立していたので読めた(深みはないけど)。そういうものとしておおいに読むがよろし。
しかしなー,これを読んだ図書館員がはしゃぐのが目にうかんでウツになるよ。
というのも館界は,もはや,船橋西図書館焚書事件やら,「図書館の発見(新版)」の後の時代になってしまっているから。はしゃいでる場合じゃないよ…
反検閲運動の擁護者としての専門職「司書」神話とか,日野図書館の神話ってのが,目に見える形で瓦解した後の時代を現在ただ今の図書館員は生きている。決してそれらの前の時代じゃないよね今は。
2つの神話にのっかったこの小説を手放しで喜ぶ業界人,図書館人がもしいるとすれば,そいつぁよっぽど能天気(もちろん一般の人が面白がる分には罪はないですよー)
この小説は一見,社会派小説でいて,エンタメ。図書館の自由とか,自由宣言ってのは,あくまで「借景」,プロットとして出てくるんであって,こーゆー小説がでてきたことで

館界の長年の主張が社会に認められた

とか,

図書館教育の教材として最適

とか言い出す輩がいるとすれば,それは「政治と文学」という古典的命題にあまりにも鈍感とゆーしかない
10年まえなら,はしゃいでも,わちきに因縁つけられづらかったろうけどね。そーゆー意味じゃビブリオンではしゃいだ連中の頃は時代がまだノーテンキだった…
(この項,つぎの「図書館の自由」批判に続く)