書物蔵

古本オモシロガリズム

朝日新聞に久々にまともな論調

今朝の朝日新聞文化欄に著作者の権利(複製権)を制限する方向という記事がある。図書館協会と権利者団体で,その方向のガイドラインをつくるんだそうな。

朝日は赤い?いや,日本社会の近代化の末に…

朝日は… 最近評判わるいよ。いや,あそこは記者個人に裁量が比較的大きいので,個人の突出した思いが出やすいんだという説もあるけど。近代化が進んだ結果,むかしみたいに「新しくみつけた権利=善」でなくなった分だけ,記者個人が自由な朝日は,結果としてスジワルの記事が増えるということに。
最近,図書館がらみでは,法務省をけしかけて文化ファシズム(「児童ポルノ焚書運動)*1をしかけたということがあった。法務省(の担当者)もこまっただろうなぁ。根拠法規が議員立法であるせいもあって,「あーもう勝手にどうぞ」ってな感じで,所蔵は違法などということを言ったのだろうと同情しますよ(担当者に)。

法律の解釈

なんどか隠微なかたちで書いたけど,わちきは館界の著作権法ばやりが嫌い,というか,著作権法そのものはどうでもよくて*2,どんな法にせよ図書館の社会的使命にそった方向で生かしたり殺したりする解釈の伝統がないなかで,単独法の一部だけを極端に原理主義的に解釈することが嫌いなのだ。
法の解釈はだれでもできるが,その解釈を強制できるのは,それこそ裁判官だけ(ま,強制を執行するのは,law enforcementという違う機関がやるのだけど)。裁判官が裁決するときには,相互に矛盾する法令やら政治運動やら社会的慣習やらなにやらかにやらを考慮したうえで判決しているはず。要するに事案の文脈を判断しているはず。そうでないなら裁判官を人間がやる必要がない。
でだ。
論理パズルはマニアや法曹実務家にまかせておいて,ここでは著作権法の「解釈」を評論しちゃおう。

まずは常識論的にヘン

短歌や俳句が,半分までしか複写できないってのが,まず噴飯もの。おそらく,著作権法の立論上,論理として必要だから,そうなっている。それはそれでいいが,問題は,それを現実の複写実務にそのまま適用するのが正しいと思い込むこと。
半分までしか複写できず,半分かくしてコピーするのはイヤだから複写しないってのは,それこそ原理的には国民の正当な権利を,たんに役人が自己都合で侵害してるだけなんですけど。
それに館外貸出しをすれば,適用法文がかわって全部丸々コピーできる,ってのも法の論理パズルマニアにはうけても,常識論的にはヘンだわな。
結果として貸出しをしない図書館(国立と都立ぐらいか?)の所蔵資料だけが,半分しかコピれないっってゆーことになってる。
だけどさ,結果から考えたらヘンだよね。
まだ品切れになってない新しめの本が主体の市町村立図書館では(貸出しをするから)全部コピーできて,絶版本だらけの国立や都立で半分までってのは。
結果として国立と都立だけでしか半コピーじゃないんだから,本の売り上げ増進にも全然役だってないし。

そんなに著作権原理主義したいなら,館外貸出ししたらどう

パチンコ屋。そうパチンコ屋方式*3にすればいい。
あたしゃねぇ,あのパチンコ屋ってのがわからんのだ。

あれは法で禁じられている「賭博」以外のなにものでもない

んじゃない?
それに,あれが賭博だからこそ,庶民はきわめて熱心に通うのではないか。カネのかかってないゲームにダイノオトナが血眼になって通うわけがない。
でもあれは賭博じゃないことになってる。パチンコ屋の中でカネをうけとると違法になるから,ちかくにヘンテコな小屋をつくって,景品とカネをとりかえるってことで違法ではないことになっている。
だから,そんなに法律を厳格に守りたいんなら,

国会図書舘も館外貸出しをすればいいんよ。

国会図書舘のとなりに,だれかが景品交換所よろしくヘンテコな小屋をたてる。そこにはなぜだか10円コピー機があって… となれば,お客は借り出した本を私的利用のために一冊まるまる複写できるよね。
相場の倍以上のカネを払って,読者は半分しかコピーできず,それで著作者がトクをするわけでもない,毎日「10件」客の怒鳴り声を担当者が拝聴するという,だれもトクしない現在のクダラナイ状況よりずっとましだと思いますよ。
いや,これが誰かがトクをしているんならいいんです。たとえば国会図書舘の外郭団体が儲けているとか (・∀・)  戦後,各省庁やそうやって開発独裁的に業界を育成してきたのだし。でも,そんなもんないみたいだよ…
こうゆーと,それじゃコピーセンターになっちゃうとかいう人がいるけど(記事中の著作権法の専門家もそう)。もう四半世紀まえになってるんですけど…
なんども言う。1981年論文「図書館破壊学入門」で資料保存の論点は尽きている。それからコピーのことをまじめに考えてこなかっただけじゃないの。
国会図書舘は,もう四半世紀まえにコピーセンターになっていたの。だったらきちんと最大限コピーできるようにすべきなの。

関連して『図書館雑誌』(2005.12)に

国際図書館協会連盟(IFLA; イフラと読む)の法務委員会(CLM; Comittee on Copyright and other Legal Matters)の活動についての記事が。
最大の話題はWIPOジュネーブ宣言であったそうな。内容は今後発展途上国への配慮や,障害者等への社会性の概念の導入が必要としており(具体的方策はまだ何も書かれていないけれども)

発展途上国のために,あるいは知る権利等のために,著作権者側に権利制限を迫る基本理念をまず確立することになろう。

IFLAWIPOにナニ言ったって馬耳東風だろうが,方向としてはただしい。上記記事では,厳格適用(原理主義的運用)をすすんでやった国会図書舘と,「黙認」を堅持してきた都立図書館とが並置されているが,ようやく本来の方向にすすみはじめたというところか。
それにしても,ここ数年間どんどん原理主義にはしった期間,原理主義者以外だれもトクをしなかったというのもおそろしいこと。まさしく法匪なり。こういう手合いは一度,道路交通法を厳格運用しながらクルマを運転したらどうか。あるいはニュルンベルク法が成立したら,それをすすんで守るのだろうなぁ。どっちも人が死ぬけど。
文化庁が中立的に,著作権者も大切だけど利用者もね,ってのならまあいい。けど図書館ってのは情報流通のなかでいちばんユーザに近いポジションにいるんだし,ユーザのニーズを社会的に代弁していくことも,それこそ社会的使命なのではないかな。
もちろん,司書がたんなる書物蔵の番人なら,そんな大それたことをすべくもない。よろしく「図書館」なる名称を廃止して,「文庫」にもどるべし。

*1:ファシズムというものは,清く正しいもの。やってるうちに他人にもおしつけたくなる。

*2:基本的に,ほんとうにキホンテキな人権(human securityとかね)以外の権はネゴトだと思っている。もちろんケンカを仲裁する道具としては使えるにしても。

*3:館界に1960年代まであった「パチンコ方式」という蔑称は,半開架のこと。別物ね,って図書館史トリビアか。