書物蔵

古本オモシロガリズム

図書館経営「論」につきて論ず

省令科目(司書課程)の改定で「図書館経営」ができた。そんなことやってる場合じゃないって意見もあり(根本「知的貧困」),それはそれでまったく正しいと思うんだけど(根本先生の意見をたとえれば,医学生が大学で医学そっちのけで病院経営を学んでどうする,ってもの),省令科目でやるべきかどうかを棚上げにしていえば,もっと日本固有の図書館経営学があるべきだと思う。
なんか両極。ひとむかしまえの商学みたいな感じのものと,米国図書館学のひきうつし。後者がよりアカデミックではあるけど。
で,どっちがよりましかってと,アカデミズム信奉者である私じゃあるけど,実は前者の商学モドキだと思うよ。山本七平じゃないけど,みんなが知ってて,実行しもしてるのに,そもそもその現象が記述されていなけりゃあ研究の対象にすらならないから。
米国では米国人が米国人を相手にしてる訳で,同僚だって米国人だろう。情報流通になにがしかの普遍性があるにしても,それこそ収集整理の話になるわけで。経営は米国の法制度,商慣習,風土のなかでしかありえない。
国立大学図書館員に「事務系」と「図書系」がいたりすることって,教科書に書いてないでしょ。(でもなんで司書系じゃなくて図書系なんだろ?)とりあえず日本の現象を記述するところから始めないと。日本の記述→英米由来の分析,の順ね。ぎゃくをやると英米にある現象しか見えなくなる。
個人的には,ある論文集の他の人のポシャった企画「(日本)図書館経営論の系譜」なんてものを書きたいな。スケッチ(というか仮説)はもうできてますよ〜ん。
ところで「員数主義」だけど,日本人の心理特性だけに原因をもとめるだけじゃ足りない。これには行政法学上のあるささいな制度が背景に。でもこの制度,つまらなくてホントにどうでもいいもんなんで,それに気づいている人はいないねぇ。現にあることと,文字になってるかどうかはちがうってことだわさ。でも,それについてはまた。