書物蔵

古本オモシロガリズム

本の函(「書籍用紙函」)を円本時代に機械生産した「加藤製函所」について

(前口上)先だって編集フレンズと話して「やっぱりツイッターは流れちゃってもったいない」ということで一致したので、ブログのほうを強化することにした。
図書の函は、基本、和装本(和本)、漢籍、仏書系の「帙」と、洋装本(洋本)のボール紙函の2種類にわけてよいだろう。
和本の帙は古典書誌学ですでにいろいろあるだろうから、ここでは洋本の函についてメモしておく。
文生書院さん及び森洋介さんのツイッター発言からいくつかメモ。

洋裝本の函は輸送時の損傷からカバーする實用品なのに日本では工藝品に。出版界で知られる老舖は加藤製函所だが社史は編んでないやうで、自社サイトに「経歴書」飜刻あり。http://www.katoseikan.com/katoseikankeirekisyo.html … あとは紙器工業組合の團體史から業界史を探るとか?@bunseishoin
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書物蔵:古本フレンズ
‏ @shomotsubugyo
2016年6月13日

「加藤製函所」が出版業界で知られる老舗、ということね(σ・∀・)
いま参照先の、(株)加藤製函所の初代・加藤政次郎がらみの記述をみると。
http://www.katoseikan.com/katoseikankeirekisyo.html
1910(明治43)年11月に中田紙器製造所(中田仁三郎)に入店

この時分は同業者も非常に少う御座いました。たまたま啓成社の名将言行録や精美堂?家庭百科辞典の函の製造を頼まれて機械等もなくひどく苦しみ乍らどうやら完納致しました。この事が私の一生を書籍函に向かはせました始めだったと思います。
そし序々に民友社、大倉書店、広文堂、玄黄社、国民文庫刊行会の函を作る様に成りましてからは道具等も順々に揃ひ段々専門化して参りました。
当時上記出版社以外に博文館、金港堂書籍会社、同文館三省堂、国民中学会など全盛時代で新進の出版社として新潮社、岩波書店講談社等が非常な勢いで発展して居りました、函も従って段々多くなり、大正五年頃から新潮社の、死の勝利、桜の園、サフォ、祗園情話、祗園夜話、昌子、牧水、勇ざん等の歌集が函入りになりました頃は殆ど専門化しました。

いま、ググブックると次のものがヒットするなぁ
東京府工場統計: 昭和5年
https://books.google.co.jp/books?id=3GMUCDiIrU0C&pg=RA2-PA72&dq=%E6%9B%B8%E7%B1%8D%E7%94%A8%E7%B4%99%E5%87%BD&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwj-59_MhdThAhXBMt4KHbxhALEQ6AEIKDAA#v=onepage&q=%E6%9B%B8%E7%B1%8D%E7%94%A8%E7%B4%99%E5%87%BD&f=false
「付録>工場一覧>其ノ他ノ工業>紙〔製〕品製造業」の下位ということね。創業が「大正3年4月」になっているのは、これは「大正13.4」誤植ということになるかしら。
同じ「中田製函所」(中田直一)いうのもあって、上記加藤の手記にある「主家」っぽいが、「事業開始年月」が「昭和4.4」になっとるのは、これは改組したのか???
おなじものは国会デジデジにもあり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140823
90コマあたりから、有名な牧製本印刷工場(牧 洋之助)などの「製本業」一覧がある。
加藤の手記は続いて、

昭和二年改造社の日本文学全集が爆発的人気で一気に四十萬部予約の申込みがあり全部の函を引き受けましたので近隣の家を六軒ばかり買収致し

昭和四年頃には相当の生産力を持ち自家用の大型トラツクにて紙函の運搬を致しましたのは当社が始めてだつたと

すごいΣ(゚◇゚;) 
その後、1938年に加藤紙器を株式会社化、1941年に富国紙器(株)に発展し戦時中は「砲弾関係の包装用品(内函と包装函)」などを作っていたとか。