書物蔵

古本オモシロガリズム

松下三鷹について(メモ)

満読のモデルになったと中田邦造が言っていた「一燈文庫運動」の「記念講演会」(昭和15年ごろ?)の演者のうち、市河彦太郎(イラン公使)でないほうの、松下三鷹
NDL-OPAC見たかぎりでは、昭和14〜17年に倭寇とか楠正成の本を出していて、館界的なニオイは事物起源(レファ本の一種)を1冊だしているくらいだなぁ、と思っていたのだけど、それ以上のことは皆目わからんかった(これについては後述)。
ググったら、海軍の慰問雑誌『戦線文庫』を研究している橋本健午氏(『有害図書と青少年問題』の著者でもある)のホムペにこんな記述が。

また、発行元である戰線文庫編纂所あるいは興亞日本社については、『出版年鑑』の14年版(14年6月発行)にも見当たらない。
 同15年版(15年6月発行)でも状況は同じだが、興亞日本社は松下三鷹著『海国二千六百年史』をはじめとする9点の書名を並べた1ページ広告を出している。

あわてて『出版年鑑』をみるも、あれ? 広告索引に興亜日本社がでていない(昭和16年版にはあり)。さては… と『雑誌年鑑』の昭和15年版をみたら、こっちのほうに載っていた(^-^*)
たしかに、松下三鷹著『海国二千六百年史』が、

監修 京大文学部長 西田博士/三宅博士 定価一円八十銭

なんて鳴り物いりで広告されている(でも、この本、NDLにもWebcatにも見あたらないから出なかった可能性大)。橋本氏HPによれば、『戦線文庫』にもよく寄稿していたらしい。
松下三鷹の本領は歴史研究らしいが、妙に『戦線文庫』と仲が良かったりして、なんだか不思議。
もちろん、松下の特異としていた前近代の海軍史が、当時の海軍にフィットしまくりであったということはあるが。
この広告から1939年か1940年前半に西田幾多郎とつながりがあることがわかるが、これは、もちろん、まえからの知り合いだった可能性もあるけれど、ここでどうしても思い出してしまうのは、中田邦造のこと。

松下→堀内→中田→西田

みたいな可能性を考えてしまうのは、あまりにオモシロすぎるのでまあ、考えすぎかな(・∀・)