- 書籍雑誌商資料 : 内地・植民地/1937〜41. 第2巻. 金沢文圃閣, 2004.11. 368, 30p
出版業界誌は1924(大正13)年12月に大阪で創刊された『出版タイムス』(新文芸社)がその嚆矢という。
(略)
当時の業界紙は“内報屋”“広告取り”と嫌われ、記事も不正確・憶測で果ては中傷まであったりするものもあれば、また業界の景気に大きく左右されて宇荒れたり消えたり、発行のサイクルが変わったりと、その存在確認がかなり難しい。1943(昭和18)年には戦時体制の中、業界紙の存在は許されない情勢となり、すべてが廃刊されることになる。ともかく、側面から業界を見る資料といして扱いを注意することでさまざまな発見もある。
上記略のところには、つぎの出版業界誌紙が列挙されており、これはほぼ、日本の戦前の出版業界誌の網羅的リストといってよかろう(゚-゚*)(。。*)ウンウン
- 出版タイムス(月6回刊)1924.12− 1931-発行地:東京
- 出版研究所報(週2回刊)1929- 1940出版通信と合同
- 出版通信(旬刊)1930- 1940.2-出版研究所報と合同 出版同盟新聞に
- 出版新聞(月刊)1925-1939
- 出版文化通信(旬刊)1937- 1940出版同盟新聞に吸収
- 新聞之新聞(日刊)1924- 1931-出版欄
- 日本出版新聞(月刊)1929.4- 発行地:大阪
同じ事物を呼ぶ固有の表現は、ことばによる検索にきはめて有効(o・v・o)b
『日本出版新聞』なるものなど、これを見てはじめてしったc(≧∇≦*)ゝ
それよか、ここで重要なのは検索語を知ったこと。
内報屋
とか、
広告取り
とか(。・_・。)ノ
主として業界紙をネガティブに見る観点から呼ぶ呼び名。いわれてみれば、我々にも理解可能な表現なれど、実際に使われていた固有表現をゲットできたのは大いにありがたい。
これはスグに応用できて。
いまググブックると、
Jiyū, 第 1 巻 1937 0 レビュー
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viii ページ
そのやり方がまた全社員に訴ふといふ散らしを社内に流し込んで遛いて、翌は、僕のところにも新開社から^收に來たが跳ねっけてやった、ところが經濟世界は五百回もって來たのを斷はって置いは御存知でせう、内報屋の關戶君が何か新^社攻 II ? "の村料が ...
といった戦前の用例が出てくる。
これはNDL-OPACを引くと、
自由 東京:自由社 1巻1号〜2巻3号(昭12.1〜13.3) 雑54-206
といったものらしいと判る。