♪大きいことはいいことダァ
しばらく前、インターネットでgoogle booksやNDL近デジが見られるようになる前までハ。
図書館は大きければ大きいほどよいし、蔵書も多ければ多いほどよい
あるいは、大きくできなけれバ。
みんなが将来参照するような一般的・標準的な本を厳選して揃えましょ。
古くなったものはこまめに間引いて、いつも最新版をそろえときましょ。
というのが正しいことと無意識的に前提されてをった。
その前提のもとで、「きちんとした選書」も求められていて、そのきちんとした選書にはきちんとした司書がまじめに勤めるというのが美徳でもあったし、誇りでもあった。
だから、ぴょんぴょん兎内さんみたいなやうな人がいた(これは半分ほめている)。
あなたは消えるでせう
けれども有能な米人さんたちが来ていふには、ネットの発達で、
必要になった時に、エンドユーザ(ホンタウの主題専門家たる研究者自身)が必要だと自分で選んで論文・図書単位で発注するからくりができるから、あらかじめ一括してかかえこむための選書なんてなくなるよ
とか、
ふつーにネットでゲットできる記事や図書を持ってるだけぢゃあ、機関としての強みにならないよ。
とかいふていたやうである(。・_・。)ノ
あたかもよし、かやうなる記事が時事的報知にも上がってをる(σ・∀・)σ
E1501 - 特別コレクションを研究図書館の中核に<文献紹介> | カレントアウェアネス・ポータル変更する
http://b.hatena.ne.jp/entry/current.ndl.go.jp/e1501
でも、特別コレクションを中核にすえろったって、そんな特別なコレクション、手許にないよ(´・ω・`) ちゅーのが、フツーの図書館員の考えるところであらう(。・_・。)ノ
むりもないが。。。
ぢゃが、ここにヒジョーにオモシロい例がある。それも、この日本で、公共図書館の例ぢゃ(o^∇^o)ノ
一般コレクションに溶け込まされてきた特殊本、
ここで千代田図書館の柳与志夫館長と田中栄博館長が批判されていたので思いついだのぢゃが。
武雄市図書館訪問メモ(1)法律書の同一タイトル版違い(千代田ネタ付): 図書館員の愛弟子
http://b.hatena.ne.jp/entry/lomax.cocolog-nifty.com/apprentice/2013/11/1-0055.html
あの千代田図書館が持っている「内務省委託本」ってさぁ。アレ、一般コレクションから後発的に新たにこしらえた特別コレクションなんだよねぇ(σ^〜^)
大きいコレクションがいい、標準的なコレクションがいい、という流れはずっとまえからあり、それはむしろ、司書が主導権を握れる世界に顕著だったことで、たとえば国会図書館などでは、どうしても解体できないものを除き、あらゆる中小コレクションが解体されマージされ一般コレクションとして均一で一視同仁的な分類排架のなかに溶け込まされてきた*1といふ。
だから、たとへば、かの女スパイ、じゃなかった(^-^;) 有能なるLC日本課長司書にして社会評論家、坂西しほの寄贈本はどれ?と聞いても、そんなん、どっかにあるだろーけど、どこのどれともわかりましぇーん、という事態となっているやうである。
内務省交付本内務省委託本もまた、予算がないなかで一冊でも多く一般蔵書、まともな本を増やすため、東京市立図書館が内務省から永久寄託をうけた本たちであり、それはどんどこ一般蔵書に溶け込まされて、ただの本として忘れられてきた。
忘れられていただけならまだよかった。
まじめな司書たちは、どんどこ廃棄したし、あまつさえ、これはもうヴァンダリズムといってもよいが、なんと、1980年代あたりにモロ製本にだしちゃったのだ\(◎o◎)/!
ん?(・ω・。) にゃんであきれとるのかわからんってか(^-^;)
内務省委託本は、実は、内務省の決裁文書そのものなのだ!
見返しには決裁者と印鑑、検閲の意見などが書き込まれていたのに、製本にだしちゃってからに、みーんな、捨てられちゃったのだ。
あーあ。
んで、それでも残ってた交付本を見つけて、これは大事だよと申し立てた人があった。だれあろう、浅岡邦雄先生ぢゃ。(つづく