書物蔵

古本オモシロガリズム

レファレンスに関するつぶやき

書物蔵 ‏@shomotsubugyo 10月8日

さっきの話のつづき(´・ω・)ノ
このレファ本の使い方本のこと(σ・∀・)σ
・長沢雅男 著. 情報と文献の探索. 第3版. 丸善, 1994.3. 337p ; ISBN 4-621-03943-1 :
長沢, 雅男, 1933- || ナガサワ, マサオ 氏は米国で図書館学の学位をとり、帰朝後、1960年代から慶應図書館学科からレファレンス・サービス論を展開したひと。
日本のレファレンス・サービス輸入史には3段階が想定できる。
1)最初は明治末から昭和前期の、海外文献を読んで、みようみまねではじめたもの。
 毛利, 宮彦 || モウリ, ミヤヒコ らに象徴される
つぎは
2)戦後、占領軍から直接指導されたもの。
 a 国会さんの、議員向け調査及び立法考査局と、国民むけ一般考査局
 b 神戸の志智, 嘉九郎, 1909- || シチ, カクロウ
そして
3)慶應の「日本図書館学校」
 長沢, 雅男, 1933- || ナガサワ, マサオ
あまり指摘されないことなんだけど、長澤氏は大学図書館のレファレンスを想定してゐて、じつは公共への浸透性には欠けるのであった(´・ω・)ノ
志智は公共図書館を前提にしてゐたのぢゃが、弟子の伊藤昭二先生が貸出主義に転向しちゃって止まっちゃったのであった(σ・∀・)
具体的にいふと、最初に挙げた長澤著は、事例が、上品か、マジメなものしか載ってない。
これは、教科書ということもあらうが、むしろ、公共系の卑近で雑多な事例を採取できなかったから、とみるべき。
けど、志智系のレファ論が途絶えてたから1970年代以降は長澤系の教科書がつかわれた
ん?(・ω・。) 2)-a系はどうなった(どうだった)ってか(^-^;)
これはレファを「考査」てふマチガイ訳語でやっちゃったせいで、レファレンス司書といふより学者司書に流れ、公共向けレファサービスの展開がでけんかった。
その流れも、2011年10月、一般考査部門が閉鎖されて
いったん途絶えたと見てよい。
注釈すると、
「学者司書」は、「僕に聞いてくれれば、ボクの専門なら直接、答えますよ」という司書。ヨーロッパの大学図書館国立図書館にゐる。
「レファレンス司書」は「僕は調べ方なら案内できますよ。専門なんてないので、なんでも聞いてください。」という司書。アメリカの図書館にいる。
両者は、外から見ると似ているけど、本質、ってか本来の任務がぜんぜんちがふ、って、こういはれるとわかるよね(σ・∀・)σ
アメリカ文明の強みは、こんなところにあるんだわさ。
日本では、
  公共図書館にレファレンス司書はいなーい
  大学図書館に学者司書はいなーい
といふのが現状ではあるまいか(´・ω・)ノ
大規模館ではスケールメリットといふ一点にのみ頼って、自然発生的に、レファ司書や学者司書がでてきたもんなんぢゃが。
代表としては
  朝倉, 治彦, 1924-2013 || アサクラ, ハルヒコ,
近年では
  井上, 真琴, 1962- || イノウエ, マコト
あたり。
ただこれも、司書職制(もどき)といふ、日本的組織の人事部から見れば人事の「停滞」でしかないところから自然発生した人たちだった
日本的に人事がちゃんとまはりはじめ、つまり、なんでもできるが(新しいことは)なんにもできない人たちばかりになると、学者司書もレファ司書もいなくなっちゃふ
日本人が―利用者も司書自身ですらも―誤解しちゃふのは、「レファ司書」を、「学者司書」みたいなもんだらう、と思っちゃふこと。
ちゃふねん。
レファ司書は、どんなジャンルにでも「それはこう調べたら」と回答してくれるが、
学者司書は、その人の知ってるジャンルだけ、調べをすっとばして「アレを見ろ」と回答する。
レファ司書は、どんなジャンルでも、「それはこの機関に聞いたら」と回答してくれるが、
学者司書は、知らないジャンルだと、「俺に聞くな」と、ちゃんと責任ある回答をする。
一連の発言で、その感をつよくしたのぢゃが、
  レファレンス・ワーク って、 基本、アメリカニズム
なんよ。
アメリカ的思考法。
まへのエントリで近代図書館のコンセプトを説いたが↓むしろ、アメリカ式図書館といふべきか。

図書館にゃ、妥当な答えを考える材料(materials)はあっても、正しい答えが書いてある本(Bible) なんか1冊もないよ。ってかそこにおいてはバイブルもマテリアルになってしまふ。それが近代図書館のコンセプトなのに、日本のみんなは正しさを求める

逆にいふと、
志智嘉九郎による普及運動の頓挫とか、長澤雅男による大学中心のノウハウ開発とその不調(『日本の参考図書』の停滞を見よ)と同様に、
国会における国民向けレファレンス部局の廃止(2009)は、業界レベルでアメリカニズムの終焉を意味しているわりと重要な事件だった…