書物蔵

古本オモシロガリズム

レファレンスの奥義とは(σ^〜^)

このまへ、某先生と話したレファレンス・サービス論があまりにわちの壺にはまってをったので、

レファンレンス・トランザクションの奥義をゲットした!(゚∀゚ )アヒャ

と、友人にいふてみたら、すかさず、

それって、レファレンス・サービスの基本から一番遠いスタンスですヨ(σ・∀・)σ

と切りかへされてしまった(^-^;)
げに。まさしくさうなり(´・ω・)ノ
レファレンス・サービスの基本コンセプトは、参照したい情報を最小のコストで参照することだからねぇ(゚〜゚ )
なにか「大系」があって、入門から修業、そしてその結果としてじゃないと手に入らない知識があるにしても、それをできるだけショートカットでわかっちゃう(orわからない、あるいは無いということがわかっちゃう)ようにするスタンスが基本だから。
レファレンスに「義」(基本コンセプト)があるにしても、「奥・義」化してしまうスタンスそのものを友人は批判してをるといふことぢゃ。さういへば「秘奥義」などといふコトバが1980年代のアニメにあったね(σ^〜^)σ
ぶらりとやってきて、その場でごそごそとやって、あるいはごにょごにょと職員にやり方を聞いて、さくさく見つかり、帰ってゆく、といった塩梅が、じつハ、レファレンス・サービスの要諦である。
ちなみにレファレンス・サービスはいま業界内でのみ第二次ブームだけど(って、第一次も業界内か? でも、志智嘉九郎は少なくとも神戸ではうってでていたが)、このままではあやうい。
だって、単に貸出至上主義がいきづまったから、ぢゃあかはりにレファ、ちゅー流れにすぎんからねぇ。
それに調べ物はいま、基本的にネットを無視してははじまらない。もちろん、ネットだけでもダメだが。
いま日本図書館界でレファにすがっても、ダメ、という理由はいくつか考えられる。

社会環境・ICT環境

一般人、さらに多少の知識層でさへ、ググればいいぢゃん、と思っている。それに経済不況や納税者意識によって、橋下元知事のような公務になじまない論がでている。

政府レベルの問題

「調べ学習」の是認は追い風だが、それに賛同する「文字活字」といった議員先生たちは結局、読書指導のことだと誤解している。

業界内政治の問題

レファレンス・サービスを論じる恒常的な「場」がどこにもない。本来ならJLAに委員会や部会、分科会があってよい。1970年代以降の貸出至上主義の余波。

技術的問題

技術的な問題が解決されてなけりゃあ、サービスが展開することもできない。

サービスの枠組み論がない

1960年代以降、業界に長沢先生流の大学図書館レファの技法論しかない。1950年代の志智流公共レファの技法論が途絶えてしまっている。大学流レファと公共流レファの違いについて、記述すらされていない。次に述べるような問題点を列挙する場すらない。

長年の日本的誤解1 「レファレンス」は翻訳できない

レファレンス(レファランス)は翻訳できない、という誤解がそれ。そんなことなくて、ただフツーに「参照」と訳せばよい。このまへ読んだ井上浩一著で「照読」という造語が使われていたが、それに近い。レファレンス・サービスは、単に「参照サービス」なのである。誤解がなぜ生じたかは、おそらくレファレンス・ブックが明治期に先に「参考書」と訳されてしまったからとにらんどるところぢゃ。とくに「考」の字が大誤解を生んできた。「考査事務」「参考調査」といった、「考」がはいる訳語はみな、誤解の元ぢゃ。たとへば「立法考査」などといへば、法律の分析を意味しているかのやうに聞こえてしまふが、ありゃあlegislative referenceの失敗訳にすぎなくて、もし「考えて」いる部分があるとすれば、そりゃあ、リサーチという語に求めるしかない。
レファ本」はただ、「参照本」「参照する(した)本」と言えばいいんよ。どの学問でも論文の最後に「reference」ってつけるでしょ。あれは「参照(した)文献」でしょ。参照(文献に対して)、照会(人・団体に対して)ができる枠組みをつくる(事例採取のために限定的実践も)のが参照サービス、つまりレファレンス・サービスなのです(。・_・。)ノ

長年の日本的誤解2 レファは司書がやるもんだ

1990年代の、公共・現場あがり斎藤文男先生の「セルフ・レファレンス」という問題提起自体は悪くないが、リファーは利用者がやるのが基本なのでそのような用語法は英米では成立しえない。逆に日本司書が長年、リファーは司書がやるのが基本と考えていたことが立証されてしまっている。リーディング・ルームでリードするのはユーザなんだから、レファレンス・ルームでリファーするのもユーザなのです。

件名がダメ => レファがダメ、ちゅー理路すら知らない・わからない

日本のシステム書誌でいちばんダメなのが「件名」だが、その「件名」がだめなうちは、レファなぞはとうてい進歩しない。JLA件名委員会の理論的失敗(山下栄)とその後のオタク化、NDL全国書誌部門の長年の実務べったり主義と、その対策であったはずの企画部門の管理主義化、中途半端な「改善」、TRCデータ部門の実務主義(まあこれは民間ゆえしょーがない)によって、実は英米圏ではフツーにつかえる件名が日本でぜんぜん使えない。実は「件名システムはレファレンス・ライブラリアンの思考そのもの」なので。