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古本オモシロガリズム

住谷タケシのレファレンス・サービス論/6/10追記あり

なんどか拙ブログでも言及した住谷たけし氏が、レファレンス・サービスの日本的誤解(理解?)を一般雑誌でも広めていたらしい。

辞書事典にしたしむの話- みちくさのみち
http://d.hatena.ne.jp/negadaikon/20130519/1368967153

引用部を読むと、要するに、大学生の大衆化の余波で国会図書館にも学生が来るが、最低限の「利用教育」を受けてないので、なんでも資料案内の窓口に聞かれちゃう。これは世間の「安易さがしみこんでいる風潮」であり、「質問の内容も極めて幼稚だ」という嘆き節。
引用者は「ジャムの本くらい教えてあげたら」としているが、逆に、当時の図書館員としてはダメダメでもない人物が、どのようにレファレンス・サービスを考えていたのかがよくわかって面白い。

「森羅万象」を聞いてよいはず(σ・∀・)σ

わちきは、レファレンス・カウンターには森羅万象につき質問してよいと思ふてをるから(森羅万象については→「死せるカクロウ,生ける広報官をうごかす」)、「簡易な質問」や「実用書」を参照する質問がってもいいと思うが、おそらく、住谷は、ジャムの作り方についての質問は、レファレンス・サービスの対象でないと思っていたのだろう。
むずかしい知識体系があって、その奥の方、上位の方の事柄について、「お畏れながら」とユーザが質問し、それが物知りたる司書が恭しく答える、などとゆー上品かつ深遠な図式を住谷は考えていたのではあるまいか。生活上のちょっとした疑問と図書で解決する、なんちゅーことは本来のレファレンス・サービスでないとか考えていたのかもね。
レファレンサーになんでも聞いていいのだよ。もしその質問・依頼が、利用指導や検索代行にあたるものなら、窓口にいる準司書や受付嬢(ん?(・ω・。)、これは古い言い方か)に回付すればいいし、自分で負えないような専門的なものなら、専門機関を紹介すればよい。ユーザの心構えの問題に還元しちゃふのは、B-29を竹やりで落そうとする精神主義と同じだと思う。
初手から、そのような質問は幼稚で安易だから日本文化を低めるものだ、おとといおいで、といった態度は、はっきりいって、谷沢永一がこっぴどくしかったように、「司書が学者づら」をすることに他ならない(司書が学者面(がくしゃづら)については「書誌学vs.図書館学」)。

図書館コンシェルジュ」てふコトバの革新性

ところで千代田図書館に設置された「図書館コンシェルジュ」に、かような間違った受容を壊す可能性がある。
いや実に。この用語、一見くだらぬと思えるが、実は日本のレファレンス・サービスのダメさを改善するのに役立つ潜在力を持っている。マシなほうの図書館員でさへ、レファレンス・サービスを(図書館本家の米国とは)勝手に、マジメな事柄についてのみ、本に書いてあることのみを恭しく司書が教える、などといふ図式に理解しちまってるが、ぜんぜん違ふ。
たとへば、本に書いてないことを教へてよい。もちろん、職員の恣意では困るが、本に書いてないような情報の質問にも答える、というスタンスを、日本の図書館学は持ってこれなかった。理由は端的に大学図書館の一部でしかレファレンス・サービスが展開されず、公共図書館でのサービスの発展が止まってしまったから(正確には前川恒雄らが戦略的に止めた)。
大学の中でだけ暮らしていると、学問がらみのしつもんしか発生しないし、ツールの開発もそれに沿ったものになり、さらに困ったことに、そういった日本固有の環境を前提にした言説が(ひいては教科書が、ってこれは実は長澤雅男批判でもある)創られ、さらにそれを読むような「熱心な」職員が、それを正しいものとして現状にあてはめようとする。
でもしか司書なら、べつに質問の高低とか考えないんだろうけれど、逆にまじめな司書さんはあてはめちまふ。
まずもって、なんでも、それこそ、「ちかくにいいレストランありませんかね」ぐらいの質問、それがサービス対象の質問であることからサービス対象であることを認めていかないと、日本レファレンス・サービスの復興など望めない。
その点で日本型の誤解を壊すインパクトがあるはずなのだ「図書館コンシェルジュ」には。
ただもちろん、千代田図書館にしてからが、従来型のレファレンス担当とコンシェルジュは別担当(別会社だとか)であることから、せっかくのこの創造的破壊型コンセプトが、結局、「あれは司書のやることぢゃない」などといふ「合理化」が業界でなされてしまう(悪い)可能性もあるのだが。

質問の発生(存在)意義

では、なんでも一生懸命、最大限(ん?(・ω・。) こりゃあレファレンス・サービス論にいふmaximum theoryか)、回答・代行検索してあげることが、良いことなのかといへば、そうでもないんだなぁ、これが(σ^〜^)
かなり昔、日本でもかなり大きい図書館の窓口で働いてたことがあるけど、その窓口で一番多く聞かれたのは、「トイレの場所」。
ここで、「いとも神聖なる図書館を公衆便所がはりにつかうなどけしからん」とか考えちゃふのは、住谷流。そうでなくて、こう考える。「あ、こりゃあ、アド・サインが不備なのか。今度の会議で営繕課に改善してもらうよう言おう」。
もちろん、実は夜間閲覧の間、図書館はある種のセキュリティーセンター*1としてユーザに見られるから(実際、カツアゲにあった学生が逃げ込んできたことがあった)、最低限の安全対策を日ごろから考えておこう、などという、より広い文脈に図書館を位置付けるきっかにもなるんだけどね、カウンターでの「質問」は。
「件名目録」がわからん、となれば「知りたい事柄のことばから引く目録」とでも和らげて、書いておけばよい。いまでこそ、eメール・ソフトウェアの普及で、「件名」なる言葉も普及したが、それ以前、「件名」などという言葉は、フツーの人は知らなかったといってよいだろう。それを、「件名目録も知らんのか」とユーザをしかっちゃふのは、こりゃ、逆さ。「件名目録」などといふ訳語をつくった先人や、わかりやすい掲示をしない同僚をしかるべき。
質問は、サービス全体の綻びの顕れか、図書館に対する社会のニーズの変化を顕す指標なり。サイン・システム、書架配置、請求記号システム、選書、どれも上手くいってれば、質問など発生しないなり。
ある質問に答えることはもちろん結構なことだが、それで終わらずに、わかりやすい表示、排架の改善、選書の適正化につなげなければ、実はその質問に正しく答えられたとて、賽の河原つみみたいなもの。

住谷, 雄幸, 1926- || スミタニ, タケシ について

いや住谷だとて、当時の図書館員なかぢゃあ、まともなほうだったとは思うよ。けっこう頑固そうな左翼だったのは時代のせいとしても、ぢゃあ、残りの図書館員が調べものにどれだけ意見があったかといえば、まるでなかったといってよいのではあるまいか。

「国立国会図書舘を考える会」(1977.3〜)
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20051224/p1

50ねん会『図書館の発展のために:5周年記念論文集』同会 1958 106p.
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20051216/p1

しかしこの人、最近私家版を2点も出しとるね(σ・∀・)σ

追記(6/10)まあ住谷さんも、ね、ホントはね(σ^〜^)

追記がおくれちまったが、この記事をUPしたら即、某Mさんから批評てふか修正意見が出されたのでご紹介。

 なほ内容について申せば、小生は住谷雄幸「国会図書館員の憂鬱」にもいささか同情します。
 レファレンスは森羅萬象何でも訊いて良いと書物奉行氏が述べる建前はその通りですし、negadaikonさんも「「お上」意識丸出しに見える」と言ふやうな、お高く止まって「司書が学者づら」をする思ひ上がりはサービス(奉仕)業として不可であるのも同意しますものの、例に擧がった「ジャムの作り方」なんかだったらわざわざ御苦勞にも永田町まで來ずとも地元で調べた方が質問者のためにもなりませう。
 negadaikonさんに據れば住谷の「本論は実は大学図書館をもっとちゃんと振興していかないといけないでしょう。という方向につながっていく」とのこと。
 http://d.hatena.ne.jp/negadaikon/20130519/1368967153
とすれば、つまり、最後の砦である國會圖書館の莫大な藏書の山に踏み迷ふ前に、それぞれの地域や大學の圖書館で濟ませられるやうにしておけといふ館種別の機能分化論の提言として受け取ってやれませんか。

いや実に、最初は引用のみで論じちゃったけど、住谷氏の本文にあたったら、前半は人民を指導する前衛感が強いけど、実は本論はさうなりc(≧∇≦*)ゝアチャー

 住谷の「掲示も読まず、目録案内も読まず、いきなり窓口に来て文献案内を求める学生も多い。[……]ものを安易にきくことは、文化を低めることだといったある文化人の言葉が、実感をもって迫ってくる」云々も、上から目線と受け取られかねない物言ひでしたが、しかし、レファレンス・サービスとは調査代行業でなく「セルフ・レファレンス」の援助なのである、天は自ら助くる者を助く、といふ意味では、尤もな意見と思はれますが、いかが。

ありゃりゃ(#+_+) 「リファーをするのは本来、司書でなく利用者。だって、リードするのは利用者でせう」論は、わちきの持論なれば、そのとほりなり(;´▽`A``

 愚按ずるに、住谷雄幸の一文(未見ですが)は、正しい論をも内包しながら、舊來の高尚な教養主義や選良意識に囚はれてゐたがゆゑにそれを十分に伸張し訴求することができなかったのではありますまいか。

そのとほりともうせませう(。・_・。)ノ

*1:安心して用を足せるというのは、こりゃ十分に立派なセキュリティーである。