書物蔵

古本オモシロガリズム

ありがち特殊コレクションの顛末

京都市立の事件をきっかけにツイッターに書いたものを転載。

書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 4月27日

ありがち特別コレクションの顛末
ふりだし:有難がって寄贈をうける
→単に置いてをく
→10年くらゐで旧蔵者の名声が薄れる
→利用がなくなる
→利用がないと気の利いた司書が気付く
→廃棄する
 a こっそり廃棄(溶解処分)→後で問題に
 b 表だって廃棄(放出/売立)→すぐ問題に

これが悪いパターンね。

a も b も、結局問題ではあるのであった。
じつはおほまちがいは、最初から二番目の、単に置いてをく、がマチガイ(σ・∀・)σ

適宜、活性化させていかないといけない―といふか、さうできるやうな性格の特別コレクションでないといけないんだけれどね


あゝ、むかしの悪いパターンもあったから書いてをかう(σ^〜^)σ

むかしの特別コレクションの顛末
ふりだし:有難がって寄贈をうける
→特別コレクションは手間がかかるうへ問題になりがちだ!
→すぐ一般蔵書に溶け込ま(マージ)しちゃふ
→10年くらゐで旧蔵者の名声が薄れる


→どうなったか聞かれなくなる
→一般書として廃棄される
→数十年後、じつはその特別コレクションが重要だった!となる
→何もわからなーい! 誰もしらなーい! 問題はなにもなーい!となる

さう、問題は最初からあらかじめ回避されとる(σ^〜^)σ

でもこれって、結局サービス寝たきり


問題にならないこと自体が問題なんだよねぇ(゜〜゜)

米国図書館界では、むしろこれから特別コレクションが重要になっていくといはれとるのに―だって一般書はネットにころがってをるわいね(σ^〜^)σ―日本図書館界は、今回のやうに問題になればまだしも、問題にならないところばかりなのは


むしろ、わちきに言はせれば大問題(σ・∀・)

でも、かやうな、誰でもすぐ思ひつくことすら、図書業界誌にも司書課程教科書にも書いてないんだよねぇ…

図書館情報学の知的貧困…(゜〜゜ )


あゝ、さうぢゃった。最近―ってってもここ十数年の、日本では例外的に良い事例のパターンも紹介してをかう( ^ - ^ )


ある図書館の特別コレクションの顛末

ふりだし:ある役所から不要図書の移管をうける
→すぐ一般蔵書に溶け込ま(マージ)しちゃった
→10年くらゐで元の役所が消滅
→どうなったか聞かれなくなる
→一般書として廃棄される


→60年後、じつはその不要図書が超重要だった!と具眼の士が喝破
ここまでは、いちばん悪い、問題が問題にならないパターン
でも次が異なった(´・ω・)ノ


→残ったものを一般書からかき集めて特別コレクションを創造
→それを具眼の士らに研究させ司書もへばりつかせる
→十年ほど研究成果でまくり講演会集まりまくり

それはどこなの?と問はれれば、ここなりよ(´・ω・)ノ

https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/information/20161213-19753/

残念ながら展示は先週土曜にいったんおしまひとなってをるが…

「あゝ、日本にもちゃんと特別コレクションを運営できる図書館があるぢゃないの( ^ - ^ )」
と、読者を喜ばせてをいて、書物蔵はここでは終はりませぬ( -Д-)ノ
ってか、論理としてはこの先があるので自動的に思ひついちゃったので書かざるを得ぬ…(*・ω・*)

ここがやったことって、内務省納本現品を、ちゃんとした研究者に自由に使はせて―書庫に這入らせたり―さらに「エンベディッド司書」と昨今米国でいふ随伴司書をへばりうつかせたり、といふことなんだけど、この3要素のうち、最初の納本現品って、ここだけが持ってゐるものでないことは、すぐわかる。

日比谷図書館の一般書(ここに納本現品が混ざってた)は、5月25日の空襲でまる焼けになってしまふたからせうがないとして、じつは、深川区京橋区と、あと麹町区にある図書館は、いまでも納本現品を持ってゐるでしょ(σ・∀・)σ
つ・ま・り…

ここ十年の千代田の驀進が、すばらしければすばらしいほど、なぜに深川区京橋区と、あと麹町区の図書館はいったい何なの?何をやってゐるの?てふ問題提起として立ち現はれてくるのだ…(゜〜゜ )
でも、かういった、理の当然で立ち現はれる問題も、どこにも書かれないんだよなぁ…
この項おはり

いちおーこんな本が英米にはあるみたいね…
Alison Cullingford. The special collections handbook. Facet Publishing, 2011. xiv, 210 pages
http://www.facetpublishing.co.uk/title.php?id=301263#.WQgmalI2U3U


あるところに二十年ちかくほっぽらかされた特別コレクションがありましたとサ

千代田の成功例を見て、あゝさういふふうにすればよいのかとて、二十年ぶりに耕さうかとした


具体的には
a 廿年まへそのコレクションを使ってゐたやうな関連分野の研究者層を、再度集めてくること
b 独立したコレクションとして独立した価値を発揮できるやうな目録の作成
c 主題的に関連する新資料の発見および編入
あたりが当座の目標ぢゃったが…


昭和時代の風紀委員みたひなヤル気はあるがアタマが悪い人が、そもそも、特別コレクションの新しい存在意義がわからないとて、ジェネラルコレクションばりにバラバラに無意味な目録編成を指令したり、それにヤル気はあるがアタマの悪い部下が追従したりもうメタメタ(´ヘ`;)


a にも申し訳ないし、概成してゐたb も世にでぬし、50年ぶりに再発見されたcも宙に浮いて消滅の危機に瀕してをるし、月々百万円もらってアタマが悪いのはホンタウに罪なことぢゃとつくづく思ふた…(´・ω・)ノ
と聞いたなぁ…(σ^〜^)


わちきは実践してをるからはっきりいふが、コレクターなどといふものは、もともと変人奇人である分、時代に先駆けて価値をみつける(価値を創る)ことができるんよ。

ゆゑにコレクションなどといふものは、もともとヘンテコな、一般に理解されぬものなのぢゃが、それを社会に開いていくのが、

博物館であり、図書館なのぢゃ(´ヘ`;)
日本のバヤイ、特に図書館が、1970年代の貸出至上主義に足元をすくはれ、
中央(東京)で生産された標準図書を、地方人民に平等に配給する
機関になってしまひ、さういった個人コレクションを発展させて公共に開いていく機能がメタメタに(-∀-;)
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