書物蔵

古本オモシロガリズム

與座は実ハ、アタマイイΣ(゜∀゜;) 

内田鉄洲こと与座弘晴の話はいちどしたっけか。
ヨザコウセイ、意外ときちんと記述できる人ぢゃったといへやう(。・_・。)ノ
こんなとこなんかも。

普通、出版物といへば単行本をいふ

新聞雑誌も勿論出版物に違ひないが、普通出版物と云へば単行本を云ふ。この単行本界は一種独特の立場にあり、専門学術書の出版が主とされて居たが、最近千倉書房、先進社等がヂャーナリスティックな出版物を発行し当てゝ以来最近この種出版物は非常な勢で発展し新刊書の大勢は
新聞雑誌記者志願者必携 : 最近受験問題集 /読書新聞社編輯部 編 . 読書新聞社, 昭和10. 241p ;619-275(p.203-204)

なるへそである。出版物の下位概念にはひろくは新聞もはいってしまふが、フツーは単行本に限定されるという説明って、意外とないんよ。

雑誌つくりは記者ならぬ編集者

また、雑誌史をば調べむとて、戦前の雑誌記者/雑誌編集者論を渉猟したれドモ、大久保久雄さんが1970年代だかの書誌で述べてゐたやうに、実ハ戦前、雑誌編集論てふものハほとんど無く、あったとしても、新聞記者みたいなもんだから、ぐらいのテケトーな説明がちょろっとついているだけだったりもす(゜〜゜ )
しかれドモ、與座の次の指摘は、なかなかに面白くわかりやすきものなるかな、と思ふたことぢゃった。

雑誌の編集は、新聞と違ひ、雑誌の体裁に纏め上げるためにはいろ/\の技術的知識が必要である。原稿を紙面に割振ることや活字や印刷の知識、写真や凸版の製販の仕方、それから校正の知識等がなければならぬ、次は経費との関係、組代、印刷代、紙代、製版代等も一通り知って居なければならぬ(これは拙著「書籍雑誌の作り方と売り方」に詳細説明せり)これ等を知らず、良いものさへ作ればいゝ、と云ふので経費等を無視した編集者では飯が食へぬ。
 現在の雑誌は殆んど大部分、外部の著作家に原稿を執筆させて、それを集めて雑誌に纏め上げるのが編集の仕事で、その他は埋草を書くとか、ゴシップを書く位が関の山であるのだから、雑誌では記者と云ふより編集者と云った方があてはまるかも知れない。
(p.211-212)

なーるへそーである。雑誌記者は、記すことより編むことが主になるから、編集者といふべきであろうといふご指摘。
あと、記事内容においては新聞類似だけど、容れ物に関しては単行書だから、雑誌記者は、単行書をつくる知識を持っているべきというのは、これは対比的な説明でわかりやすい。
この本の”與座正仁”は、昭和9年は東光書院をやっていたようだ。

ひと版は千部なり

単行書の話にもどすと。
こんな貴重な証言もしてゐる。

版の話
 よく出版物には、一版とかニ版とか、(広告には忽ち五十版等とある)云ふのはどの位の部数を標準にするかと云ふ質問を時々受けるが、あれは、何も規定のあるものではないから二百とか三百とかを標準にして忽ち十版など云ふ場合もあるが、出版界従来の慣習では一千部を一版とすべきである。(これ等は、読書子の為一千部か五百部か出版法で決定したらよいと思ふ)即ち最初一千部刷って売り切れた場合次の印刷をする。その時どの位売れると云ふ見込みをつけて、五百か一千か印刷し之を第二版と呼ぶのが隠〔ママ〕当である。

  • 書籍雑誌の作り方と売り方 / 読書新聞社編輯部 編. -- 読書新聞社, 昭和10. -- 68p. -- 特245-530

(p.51-52)

これをいかやうに解釈するかぢゃが。キモは「出版界従来の慣習では一千部を一版とすべきである」なる部分にあるといふべく(゜〜゜ )
まず與座の事実認識として、1刷りの部数は、200、300、500、1000などがありえたと例示しとる。これはすなはち、100部単位で増減さすことがでけたといふやうに読める(σ・∀・)σ

「出版界従来の慣習では一千部を一版とすべきである」
昭和10年現在、法令は関係ないが、〈1版≒1000部〉が業界の慣例であるので、なんらかの規範を版表示に制定するのであれば、その数値を設定すべきである

といふ解釈でよろしいか?(σ^〜^)σ
とすれバ。

忽ち十版!!!

と戦前の本の宣伝にあった場合、
2,000部から10,000部の間であろうということが言えるわけである。もちろん、律儀に版を数えなけりゃならない法文は制定されていなかったわけなので、浅岡先生がつとに指摘せるごとく、「版数とばし」をしている可能性はあるけれど。
「版数とばし」といふハ、わちきの語にあらずして、浅岡先生が使用せる術語ニテ(σ・∀・)σ 要するに、「1版、2版〜」と、番長皿屋敷のように数えあげていく際に、時そばみたいに、「3版〜、5版〜」と、とばして数えちゃふこと(σ^〜^)σ
しかしまあ、たとへさうだったとしても、「たちまち10版」といったバヤイ、すくなくとも複数版になって、まあ、1000から数千部ぐらいにはいったらうとハ、與座の記述からいへるわけであるのだなぁ。
ん?(・ω・。)
このことって、意外と書いてないんよ(σ・∀・)σ
もちろん、ここでさかんに「版」といっとるのは、editionでなくissueのこと。つまり戦後でいふ「刷」のことであるのはみなさんご存じでせう。
さらに。。。
p.57に雑誌広告論で「所謂脅迫雑誌の様に」とある(≧∇≦)ノ

2017.3.6追記

取り屋雑誌のことを「脅迫雑誌」といったのだねぇ
いまググブクルと1件、『未来』がでてくる

Mirai - 第 124〜135 号 - 45 ページ
https://books.google.co.jp/books?id=QzNDAQAAIAAJ
1977 - ?スニペット表示 - ?他の版
雑誌は、暴力団や与太者の脅迫雑誌か単なる基本線であるはずだから。それを守り得ないえるというル?ル&守は、琅も大切な道義的にとつて反論や抗議に誌面をさき、公的に答言うまでもなく、言論の自由を標榜する機関身の手で放棄したものと言えないだろ ...