書物蔵

古本オモシロガリズム

「ルビをふると論争になる」ってホント?(゚∀゚ )アヒャ

Rubyといはんか、ルビ(ふりがなの活字)は大切で。
昨日も、其中堂の古書目録の記事にふられたルビから、「古本屋」は「ふるほんや」より「こほんや」と読まれていた可能性がおほきいといふことに気づかされたが。
ここに『図書』といふ本についての雑誌がありテ、そこに「ルビ」につきこんな記述を見出した(´・ω・)ノ

網野善彦〕先生は決して読者サービスの精神に富んだ人ではなかった。(略)難しい地名や人名にはルビをふるとか、それを自らがするということはなかったと思う。
 編集者が、「先生、この文字にルビをふってください」と頼んで初めてルビがふられる。ときには、それは出来ないと言われたこともある。理由は「ルビをふると論争になる」。それでもたまりかねて某社の本にはあんなにルビがふってあるじゃないですか」と反論すると、「あの出版社にはルビをふる専門の人がいるから」と言うのである。要するに編集部が勝手にルビをふっているということらしい。
長井治「網野善彦と編集者の時代」『図書』(790)pp.29-33(2014.12)引用はp.32

抑々、ルビがないと読めないといふ表記体系はいかがか、と思ふ。だから友人なぞ、「漢字は本来〈読めない〉ものです」といふてをるし、また別の友人なぞ「フランス人が云ふには、漢字は切手みたいなもんで、読むんぢゃなくて、ならびを見て概念を想起するものとか」とかおしへてくれたりもした。
それに最近でたユースフルな、

では、漢字人名の「固有のよみ」などは、最終的にわからんので、常識よみすればよいのであるぐらいのことをちゃんと書いてあるし(^-^*)
それに日本漢語はよめたところで、同音異義語だらけになって、口語で議論はとてもできんし(σ・∀・)σ
そして、

ルビをふると論争になる

とはとは( ・ o ・ ;)
ん?(・ω・。)

書籍館はショセキクワンぢゃないのぢゃー(σ・∀・)
ショジャククワンなのぢゃーo(^0^)o

と呼号してをった御仁は、すぐ近くにゐるぢゃないか、ってかc(≧∇≦*)ゝアチャー