ちとオモシロな記述をみっけた(σ^〜^)σ
分類法と用語法〔件名法?〕との比較検討はわれわれの間で随分やった。なぜアメリカ人のするように件名標目表(あるいはシソーラス)を優先するのか、それまで論理的構造の下で物を考えるクセのついていた日本人には理解しにくいことだった。
シソーラスの構造はローカルで、目の前に見えるものだけを取り上げたり、考えたりするアメリカ流の思考法の現れで、それなりに理解はしたが「それだけで十分なのか」というのが石原さんにも、わたしにも疑問だった。
いやサ。
それだけで十分なのです!
と書物蔵。
ってか、それから何十年もたつけれど、いまだにニフォン人の図書館学関係者は、結局、分類も件名もダメダメだよねぇ。
やっぱりアドルフ君のいふとほり、大和族は「文化支持的人種」なのかしら(^-^;)