書物蔵

古本オモシロガリズム

件名の教科書を書くのなら

なぜだか「演習」のほうが概説になってるJLAテキスト

現状の教科書でいちばんマシなのは、JLAの資料組織化のなぜだか「演習」のほう。「概説」は、すくなくとも件名のところはダメ。ただそんな「演習」も、じつは書き手が実際に件名をつけていたわけではないようで(いたい、刷りによっていつのまにか一部の設問を差し替えられてちゃあ、教材として使えないでしょ(*'へ'*))、役立つのは「演習」のむしろ理論(それこそ概説)的部分のいくつか。だ
でもそれも、部品として役に立つにすぎず、最初の最初ンとこがないんだよなぁ。

件名システムの理解に必要な諸概念

わちきが教科書を書くとすれば件名の起源として「キャッチ・ワード」の説明は欠かせない。これを知っていると、カッターのいう「特定記入の原則」は、「守るべき原則」ではなくて、「結果として自然と守っていることになってしまうもの」でしかないことが理解できるであろう。
また、カッター自身がその辞書体規則で似て非なる(エセ)件名法として言及している「アルファベティコ・クラスド」目録(ABC順分類目録)についても説明が必要。というのも、日本人は最初から最後まで、エセ件名目録たるアルファベティコ・クラスド・カタログを見たことがないもんだから、どのように付与したらアルファベティコ・クラスドに(つまり件名でないものに)なるのかが判らんかった。で、じつはTRCもNDLも、かなりの部分にアルファベティコ・クラスド的な実績データを抱え込んでいる。
「要約主題」と「周辺主題」の弁別とか、「標準列挙順序」(主題要素のスタンダードな並べ順)については、じつは肝心の教科書にあまり出てこないことで、これらが書いてあるのが「演習」のいいところなんだケド、こと標準列挙順序については、あの説明じゃあ絶対に実際にゃあ主題分析できないんだよなぁ。順序先頭の「事物」(phenomenon)ちゅーか、ランガナータンのいふ「個性」(personality)なんて、いったいどーすれば選べるっちゅーの(σ^〜^) 実は、誰でも選べるようになるあるコツがあるんだけれど、これもどこにも書いてないことである。

極めて日本的な誤解を理解としとる「専門家」

あるところで「件名には体系がある」と書いていた「専門家」がいたのをみて、「あっ、これこそ日本的な件名の誤解を象徴する言明」とてウレシクなっちゃったんだけど、件名標目システムになにか「体系がある」と思っちゃう人が大昔から今までいる。けどこれは典型的なマチガイで、むしろ体系がないことが件名の強み。でもこういった誤解は、アルファベティコクラスド的に付与実績が流れがちであることと、さらに日本にしかない「分類体系順件名標目表」という珍奇なものの存在が(というか、その存在を所与のものとして是認する人々が)この誤解を醸成しちまう環境になっている、とゆーのも、どこにも書いてないんだよなぁ。

似て非なるものは専門シソーラス

シソーラスとの関係も、いかに違うものかを中心に書いておかないといかんね。ってか、中途半端に説明しようとすると、「まあ似たようなもんですよ」といいたくなってしまうのだけれど、シソーラスの論理に従って一般件名標目表を維持しようとすると、基本的にまちがっちゃうんだよね。理由は、一般シソーラスというのが存在しえないことから言えるんだけど、これもどこにも書いてない。ちなみにロジェの、意味の管理じゃなくて表現の多様化の手段としてのシソーラスは、一般類語辞書(原義のシソーラス)ではあるけど、図書館情報学や情報検索の世界でいわれとる術語シソーラスぢゃないんだわさ。

LCの連中がやったのは、あれは「擬態」。それをまにうけるのはオバカさん

国会の連中が数年前にやった件名管理の改善は、LCSHの擬似シソーラス化をマネたものなんだけれど、本質的に一般件名標目表はシソーラスたりえないので、それをわかってやってりゃあいいんだけど、どこまでわかってマネしてんのかね。実際、上位語と下位語、関連語の3種が、see alsoの1種に混在していたことをもって、件名標目表の遅れとみる論調が支配的だったわけだが、じつはあれって、論理的には意味がある(ちゅーかしょうがない現象な)んよ。もちろん、利用者への当座の便宜として、あたかも直近上位や直近下位が設定(できるかのようなフリを)するというのは重要なことだけれど。