書物蔵

古本オモシロガリズム

ナショナリズムと日本図書館情報学

Bibliobloggerのごく一部で話題になった(図書館目録の)ガラパゴなんとか批判に触発されてこんなことを考えた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.liverarian.com//index.php?itemid=121336
日本国内の目録体系や主題標目体系をいかに外国(ってデファクト米国なんだけど)のものにつなげていくか、つなげていくべきかどうかという問題がある。これはナショナリズムの問題と隣接する(直結はしないが)。

議論は超カンタンにおわりうる

ぶっちゃけデファクトに合わせるのにイチバン手っ取り早いのは、日本ナントカいう規則類を全廃して、アメリカさんの使ってる目録法、分類法、件名標目をそのまま使えばいい。
日本の大学司書はすべからく英文の目録法、分類法を読んで記述をとり主題標目をつけるべし。
日本文の目録法や分類法など、捨てちゃいなさい。
ガラパゴもへったくれもないよね。世界標準。アメリカさんが変えれば、それにあわせて変えればよいだけ。はい、議論おしまい。
って、これで終わりにはならんのが困るんだなぁ…(*゜-゜)

三大ツールはそもそも日本主義では

拙ブログの古い読者ならば、昭和15年に設立された「日本図書館学会」のことは憶えておろう。
くれぐれも昭和27年にできたニセの(・∀・)同名団体と混同してはならぬ。
彼ら(図書館学における日本主義者)は図書館学における英米の影響を排すべく、なにをまっさきに唱えたか?

目録の日本化であ〜る!`・ω・´)oシャキーン

(具体的には、書名主記入を唱えた)
図書館史マニヤなら、もっとまえからあった「主記入論争」の延長戦にすぎんと一笑に付すかもしれんけど、なかなかに笑えんのよ。実は主記入論争そのものが日本文化と欧米文化の衝突だとしたらば…
ホンモノの日本図書館学会員はいささか奇矯だったとしても、それが関西(京都)ではじまったことからわかるやうに、そもそも青年図書館員連盟にしてからが、最近は「ファシスト*1と呼ばれるような側面がある。
三大ツールにしてからが、固有名にみーんな「日本」とついとるのは、単に全国標準という意味ではないと思うぞ。
アメリカ直輸入でいいのか? ちっとは日本ないし日本語を反映したような独自の日本ナントカ法・表が必要ではないのか。
ということで作られたのが、そも、日本十進分類表(1929)、日本件名標目表(1930)*2日本目録規則(1943)なわけである。

アメリカ礼賛の占領期にさへ

戦後、なんでも日本がマチガイでアメリカが正しい時代があった。コメを喰ってるから馬鹿になるとか。パンを食うべしとか。そんな時代にさへ、日本ナントカ法・表は生き残った。たとえば、日本十進分類表。あれってば、いまでこそ国内標準のカヲをしとるけど、戦前はそんなことはなかったわけで。
国内標準になったのは、占領期に出された『学校図書館の手引き』(1948)に記載されたからなんよ。国会図書舘でも当時、NDCでなくDDCでもつかうべか、といった議論があったそうやないの(三十年史資料編)。でも、結局、NDCを使うことになった。
わちきにいわせれば、DDCの現地版のほうがよかったんやないの、と言いたくなるような惨状なわけだが今の日本図書館界は。

ナショナリズムの影

個々の日本ナントカ法・表の機能の良し悪しについての議論もいいのだけど、かような歴史をみてくると、なんだかその背後に日本主義というかナショナリズムの影が見えるんよ。
ナショナリズムはいわゆる合理性とは必ずしも一致せんからね。
このエントリの最初に、そんなにガラガラいうんなら、最初から全部メリケン流にやればいい、と言った。そう。じつに簡単。単に論理、合理性でいえば、日本司書も擬似インテリとして英語を読むぐらいはできるはずで、司書課程の教科書も、図書整理のツールも、ぜーんぶ米国から直輸入してやればよろしいのだ。そのほうが数倍、立派な教育内容(結果)になるよ(実際、Japan Library Schoolではそうだったじゃないの)。
でも、こういった「正しい」論理にすこしでもひっかかりを感じるとすれば、そこにナニかの影があるんだと知るべきでせうなぁ(*゜-゜)
すこしでもひっかかりを感じた人は、昭和15年の、ホンモノの日本図書館学会の連中を嗤えないですよ。

*1:正確には佐藤卓ミ氏の提唱にかかる「ファシスト的公共性」を米井勝一郎先生が援用。

*2:日本、であって基本じゃない点に注意。