書物蔵

古本オモシロガリズム

日本OPACが使えない件

(エントリ内容とちょっとずれるが画像→は<ホンモノの>NDC第8版。「宝塚文芸図書館」が発行元になってるのがミソ。このすばらしき図書館については別項予定)

問題はカードの時代からの持ち越し

って、カード目録時代から、日本の閲覧目録(non-Online*1 Public Access Catalog)って使えなかったよ。
と、昔のことを思い出して↓に反応してみた(・∀・)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://egamiday3.seesaa.net/article/96615928.html
既知文献の有り無しを確かめる機能をもつリストを、finding listってゆーじゃん(上記の人が所蔵データベースと呼んでいる機能を米国図書館学で呼ぶテクニカルターム)。
いま、日本に存在するOPACって、ほぼみんな、ただのfinding listだよ。
図書整理法(いまじゃコジャレて資料組織法とかいう)で未知文献を見つけられるカラクリは分類や件名なわけだが…

米国ではふつーの学部生ができることが日本でできないというナサケナサ

まぁ、これは話半分で聞いて欲しいんだけど。
おそらく米国の院生ぐらいなら、どんな専攻であってもDDCLCCLCSHはひととおり使うことができる程度の目録リテラシーがあるんじゃないの。じゃないと学士号すら取れないのでは。
すくなくとも、米国大学のレプリカたるICUではそれっぽかったけどね*2。もちろん、パラ・プロフェッションたる司書は十二分に使えてアタリマエ。大昔に聞いた話だけど、日本の司書が、実務でNDCをパラパラめくるのを見て英米司書は大笑いしてたそうな(憶えているものらしい*3)。
なれれば、こういった主題標目は極めて便利。どんな領域でも系統的にひととおりの単行本、もちろん未知の、がでてくる。
もちろん、米国大学生ならばある程度、慣れさせられているわけだし、縁無き衆生も司書に代行してもらうなりすればよいわけで米国では。
そんな状況が実務やルーティンとしてすでにあって、さらにそれ以上に、新しい検索の研究が行われれてをるのだらう米国では。
それに対して、日本じゃぁ件名も(分類すら書誌分類としては)普及してない段階で、いきなり「連想検索」とかでオモシロいというレベル。いや、べつに連想検索がいかん、とか、あってはならん、とか云ってるわけじゃぜんぜんなくて。

日本文明の周辺性 つねに「流行り」しかない

(米国では)フツーの、分類や件名でフツーに引けてもないのに、そんなことばかりおっかけられても困る、ということなのだ。
零戦を開発できるのに、それを量産する工作機械が開発できてない、って感じ。なんというかハコウテキ。
いや、もちろん、BSHがスバラシーから使えといっているわけじゃない。あれじゃあ…と思うよ。特に前版までは。なんであんなになっちゃうまでほっぽっとかれたのか、については維持管理問題を一度書いた(まぁホントは、件名の本来的機能を殺いじまうある特殊日本的な運用技術の問題があるんだけど)。
NIIの人たちは、こんな古びた主題標目を米国並みに使えるようにする、なんちゅーつまらんことには興味ないんだろーね。だいたいオモシロくない。オモシロくなければ、研究職は動いてくれんからね。
でも、オモシロくなくても役に立つんだがなぁ(*゜-゜)
結局んとこ、日本じゃあ米国的意味でのレファレンス・ライブラリアン(いわゆるレファレンサー)がいないんだろうね。
いても、主題標目ンことを知らぬまま、伝統的な主題書誌や、目録記述の部分のみを素朴に引いているだけなのだろう*4。だけどそれって、ちょっと気の利いたユーザ以上のことはぜんぜんしてないってことにならんか、技術的には。

つまらない実用品を使えないって「どーよ?」

時代遅れだ、旧態依然だとさんざ文句を垂れられているLCSHが、米国でなんでいまだに使われ、廃止にしようという声がでるたんびに業界中から反対の声がでて、うやむやなまま存続しちまうのはなぜか。
あの、旧態依然でつまらん主題標目が使えるのだわさこれが(慣れれば)。なんだか判らんけど役に立つ。
で、それに代わる機能をもつ索引システムがない。
いやもちろん、オモシロな索引システムはグーグルをはじめワンサとあるよ。
けど、あーいったものは、とりあえずとか、おもしろとか、視野を広くとか、そういったきっかけ、オマケ、ないしお遊びとして使えるのであって、ある主題に関して、ほんとにもうこれ以上、単行本ないの? といった問いには答えられない。
ビジネス実務や家政ならそれで充分なんだけど、研究とか学術とかで先行文献をろくすっぽ見てないとゆーのは、致命的。
で、日本の場合はだ。
そもそも件名が業界内ですら普及せんかったからOPACはただのfinding listでしかないし、だとすれば、気の利いた販売書誌のシステムに勝てぬのはアタリマエだのクラッカー。
ということで、わちきのやぶれかぶれの提案は。
NIIのデータをみーんなAmazonに持ってもらえばいいじゃん。
もちろん違う道というのも論理的にもありえるんだけどね。

補論「流行り」について

じつは件名をつけるのが業界内で流行った時代があるのだわさ。
1940年代後半から1950年代にかけて件名記入をつくるのがモーレツに流行った。たんに本を並べておいときゃあ用がたりる程度の小図書館でさえ作ったり。ってそれは辞書体目録のためであったりもするんだけどね。
けど、結局んとこ
1)日本語処理に無理があった(romanizeしたり記入作成やカード配列にコストがかかりすぎた)
2)標目表の統一に失敗した(おなじNSHだったのにBSHとNDLSHが分立)
3)1970年代の貸出運動の余波で目録に対する興味やレファレンスのニーズが減少した
4)BSHの維持・指導体制に問題があった
ってなよーな理由でしりすぼみに
流行った時期からはっきりわかるように、これは米国の日本占領の影響。米国ではこれがあたりまえだから、ということで流行ったのであった。
でもしりすぼみ。
文明の生態史観じゃないけど、やっぱ日本文明ってよくもわるくも周辺的だと思うのだ。
いろんなもんが中心文明から、「これが流行りだよ」って入ってきては未消化のまま廃れちまう。って、それでもまた中心文明から新しいものを輸入すればなんとかなっちゃうんだけどね。
あたりまえに図書館がつかえて図書館目録がつかえて図書館司書がつかえる。そしてさらに、グーグルやアマゾンがつかえるという図式のなかで米国市民は生きている。
図書館さして使えず図書館目録はただのfinding list、図書館司書はいうもさらなり。けどグーグルやアマゾンは新しく入ってきて使えるよね、という図式に日本国民は生きていて。
そんで図書館目録は使えないという認識をする。いや、それは認識としてはまったく正しい。正しいが、どうしてそうなのか、ぐらいのことは考えたほうが業界関係者ならば知っておくべきではないかと。

さらに…

こんなんじゃあアドルフ君が日本民族は「文化維持的民族」だといったのは正しいことになっちまいますなぁ…

*1:こんな用語はありません。

*2:わちきはICUとは無関係ですよ。ってかどっちかっつーとあそこは日本社会のことが感覚的にわからん日本人選良を作っちまうような気がするからあまり…

*3:まぁ全部じゃなくて3桁ぐらいなんだろうが。

*4:しかし実は、主題書誌やレファ本を使うと、主題標目を駆使したのと近似の答えが出るという事実もあるが。